第116話 堺の三人
第116話 堺の三人
【豊臣家滅亡まで 残り5,145日】
商人は、忠義を語らない。少なくとも、武将ほどには。
「とよとみけの、ために」
俺がそう言うと、堺から来た三人の商人は、揃って黙った。
断ったのではなかった。算盤を弾いていたのだ。何を求められるのか。いくらかかるのか。断れば何を失い、受ければ何を得るのか。
一人は、薬種を扱う商人。一人は、船と蔵を持つ商人。一人は、古くから堺の会合衆に連なる家の、白髪の老人。
【人物評価:堺の商人三人】
信用の網 92
値の知らせ 95
退き際の判断 98
主君への忠義 表示不能
最後だけ、武将とは違った。
「……とよとみけの、ために、とは、いわない」
三人の肩が、少しだけ下がった。
「おおさかと、さかいで、あきないを、つづけるために。なにが、いる?」
白髪の老人が、目を細めた。
「……手前どもが、若様に、教えるのでございますか」
「きょうは、きく」
天下人の家が商人を呼ぶとき、ふつうは、金を出せ、物を集めろ、船を貸せ、である。相談に乗れ、ではない。
老人は、しばらく俺の顔を見ていた。それから、隣の船持ちの商人に、目で合図した。
「では、一つ」
船持ちの商人が、言った。四十くらいの、日に焼けた男だった。
「御用金を、急に申し付けられぬことにございます」
且元の眉が、動いた。
「金を出すのを嫌うておるのでは、ございませぬ。いつ、いくら、何のために、いつ戻るのか。それが分からぬのを、嫌うておるのでございます」
金の多い少ないではなかった。先が読めないことが、問題だった。
「戻らぬのなら、戻らぬと、初めから仰せくださいませ。貸すのではなく、納めるのだと。……それなら、手前どもも、腹を括れまする」
厳しかった。だが、正しかった。
薬種の商人が、続けた。
「二つ目は、関所にございます」
「おおいの?」
「数では、ございませぬ。通す役人によって、取る銭が違いまする」
昨日と今日で違う。役人によって違う。
「だれが、きめてるの」
「誰も」
また、だった。
白髪の老人が、最後に言った。
「三つ目は、裁きにございます。商いの揉め事を、商いを知らぬ武士の方だけで、裁かせぬこと」
治長の顔が、険しくなった。
「武士では、何が悪い」
「悪いとは、申しませぬ。ただ、刀を持つ方は、約束より、面目を重う見られまする」
「商人は、面目を軽う見るのか」
「面目では、蔵は満ちませぬ」
空気が、固まった。
俺は、笑いそうになった。笑ってはいけなかった。二人とも、本気だった。
「……しょうにんどうしは、なにで、きめるの」
「証文。帳面。立会人。前の取引」
「じゃあ、それを、つかって」
且元が、慌てて言った。
「拾様。町人に、裁きを任せるので」
「まかせない。あきないを、しってるひとの、いけんを、さきに、きく。さいごに、とよとみけが、たしかめる」
老人が、ゆっくりと言った。
「……若様の、ご都合の悪い裁きでも、変えぬこと」
大胆だった。治長が、腰を浮かせかけた。
「わかった。……でも、とよとみけが、あらそいの、かたっぽの、ときは。とよとみの、ぶぎょう、だけで、きめない。さかいと、おおさかと、おてらから、たちあいにんを、だす」
三人の顔が、初めて、変わった。
「……そこまで、なされまするか」
「とよとみけが、じぶんに、つごうのいい、やくそく、だけを、まもる、いえなら。だれも、ながく、とりひき、しない」
武将なら、忠義で残るかもしれない。商人は、残らない。もっといい条件の方へ行く。だから、裏切り者に見える。だが、最初から、忠義で結ばれてはいない。信用で結ばれているのだ。
俺は、約束を書いた紙を、三人に渡した。
一、御用金は、目的と、額と、期限を示す。
一、関所で取る銭を、書き留める。
一、商いの揉め事には、商人の立会いを置く。
一、豊臣家が揉め事の片方のときは、外から立会人を入れる。
最後に、署名。豊臣秀頼。
子供の字だった。一画一画、ゆっくり書いた。それでも、「頼」の字が、少し右に傾いた。
「……この紙を、手前どもが、持っておってよろしいので」
「そのために、わたした」
老人は、紙を、両手で受け取った。しばらく、傾いた「頼」の字を見ていた。
「……太閤殿下も、一度だけ、手前に、じかに書き付けをくださいました。天正の頃。堺の町の堀を埋めよ、という御命で」
老人は、少しだけ笑った。
「埋めよ、と命ずる書き付けと、守る、と約する書き付け。……同じお家から、両方いただくとは、思いませなんだ」
帰り支度をしながら、船持ちの商人が、ぽつりと言った。
「若様。……一つ、お聞きしてよろしゅうございますか」
「うん」
「なぜ、手前どもを、呼ばれたのでございますか。大名方ではなく」
俺は、少し考えた。
「……いくさが、おきても、ふねは、うごく。だいみょうが、かわっても、しょうにんは、のこる」
商人は、しばらく黙っていた。
「……関ヶ原のとき、手前の船は、東の荷も、西の荷も、運び申した。どちらからも、裏切り者と呼ばれました」
商人は、苦く笑った。
「されど、どちらの兵糧も、運ばねば、どちらの兵も、飢えておりました」
商人の言葉を、そのまま、帳面の端に書き留めた。《どちらの兵糧も、運ばねば、どちらの兵も、飢える》。
三人が帰ったあと、治長が聞いた。
「……拾様。商人を、信用なさるのでございますか」
「しない」
治長が、驚いた顔をした。
「しんようしないから、やくそくを、かく。むこうも、おれを、しんようしてない。だから、かみを、もたせた」
信用とは、相手を信じきることではない。裏切りたくなったときにも、裏切らない方が得になる形を作ることだ。
治長は、しばらく黙っていた。
「……御方様にも、同じ理屈を、お話しなされまするか」
「……それは、むり」
「でございましょうな」
治長は、ほんの少し、笑った。
三人を門まで見送る途中、白髪の老人が、城の石垣を見上げて、足を止めた。
「……この石垣の石、半分は、堺から運んだものでございます」
「そうなの」
「太閤殿下が、この城を築かれたとき、堺の商人は、船を出し、人足を出し、銀を出しました。……出せ、と命じられて」
老人は、石垣の一つの石に、手を当てた。
「出せと命じられたものは、恨みになりまする。約束して出したものは、貸しになりまする。貸しは、返してもらえると思えば、また貸せまする」
老人は、手を離して、俺を見た。
「若様。この城の石は、まだ、恨みのままにございます。いつか、貸しに変えてくださいませ」
石垣を、見上げた。
父は、天下を取ったあと、この城を、命じて築かせた。石も、船も、人足も、銀も、出せ、の一言で集めた。出した側には、何の約束も、残らなかった。だから、石の一つ一つに、取られた、という思いが、染みついている。
それを、貸しに変える。借りたものとして、帳面に書き、いつか返すと約束する。返してもらえると分かれば、商人は、次も、出してくれる。
老人は、城を守る石の中に、いつ崩れてもおかしくない石がまじっていると、教えてくれたのだった。
その夜、帳面の端に、書き足した。《この城の石は、まだ恨みのまま》。
その夜、小野が、三人の商人への礼状を、三通書いて持ってきた。一通ずつ、言葉が違った。白髪の老人への一通は、堺の堀の話から始まっていた。
「……どうして、ほりの、はなし、しってるの」
「廊下で、聞こえてしまいました」
小野は、すました顔で言った。
小野は、三通の礼状を、一通ずつ読み上げてくれた。
薬種の商人には、薬の効き目を確かめる帳面の話を。船持ちには、関ヶ原のときに両方の荷を運んだ苦労への、ねぎらいを。
「……ふなもちの、はなし、きいてた?」
「廊下で」
小野の耳は、城のどこにでも、あるようだった。
小野の礼状は、三通とも、最後の一行だけが、同じだった。《豊臣家は、帳面を残しまする》。
【堺・大坂の商人の信用の網】
つながり 12%
【豊臣家の軍の威光】
S
【豊臣家の商いの信用】
D
父は、人を引き寄せた。俺は、約束を残す。同じやり方ではない。それで、いい。
【本日の豊臣家滅亡確率】
95.8% → 95.6%
翌朝、堺から、返事が届いた。老人の字だった。一行だけ。
《傾いた頼の字、手前の家の蔵に、掛けておきまする》




