第11話 戦国の医療
【豊臣家滅亡まで 残り6,098日】
翌朝、前田利家の屋敷へ医師たちが集められた。曲直瀬玄朔を中心に、鍼を得意とする者、金瘡を診る者、薬種に詳しい者、前田家の侍医。合わせて六人である。病人は一人なのに、医師は六人。意見も六つあり、処方となればそれ以上に増える。
違うのは、電子カルテがないことと、医師たちの髭がやたらと立派なことくらいだった。
俺は淀殿と簾の内側に座った。利家の傍らには、小柄な女性が控えていた。
まつ。利家の妻である。背筋がまっすぐで、目がよく動く。前田家の奥を何十年も切り回してきた人の目だった。
「拾様がおられねば、わしが逃げると思われておる」
利家が笑った。
「にげる?」
「薬が苦い時にな」
「だめ」
「やはり見張りでございますな」
まつが、ぴしゃりと言った。
「見張りは、わたくし一人では足りませぬゆえ。ありがたいことにございます」
利家は、笑いながら視線をそらした。その声は、昨日より少し弱かった。
玄朔が、まず脈を取った。右手、左手と順に触れ、指を置く位置を何度も変える。
俺は無意識に、視界に表示が出るのを待った。何も出ない。この妙な仕組みは、人の能力値を見せても、病名までは教えてくれないらしい。
玄朔は脈だけで終わらなかった。舌を見て、目を確かめ、腹へ触れ、足のむくみを押す。食べたもの、便、尿、眠り、咳、痛み。いつから悪いのか。何をすると苦しいのか。薬を飲んだあとに何が変わったのか。
検査機器はない。それでも、観察する項目は想像していたよりずっと多かった。
「夜半、御胸が塞がるようなことは」
「時にある」
「横になられた時は」
「息が浅うなる」
「足の腫れは」
「夕刻に強い」
心不全。腎機能の低下。感染症。悪性の病。あるいは、そのいくつかが重なっているのかもしれない。頭に病名が並ぶ。だが、どれ一つ証明できない。検査の手段がなければ、現代の知識は候補を増やすだけで、確信は増やさない。
玄朔は、尿の入った器を手に取った。光にかざして色を確かめ、それから、わずかに匂いまで確かめた。
俺は思わず顔をしかめた。玄朔がこちらを見る。
「拾様には、少々刺激が強うございます」
「みる」
「御無理をなさらずとも」
「みる」
最初の人生では、会議室の数字ばかり見ていた。劉禅のころには、兵の食事や排泄まで記録させた。今さら尿くらいで逃げるわけにはいかない。ただし、近づいて嗅ぐ必要まではないと思う。
まつが、小さく噴き出した。
「拾様は、殿よりよほど肝が据わっておいでですこと。殿は、御自分の尿を見せるのを嫌がって、昨日まで三度も医師を追い返したのでございますよ」
「まつ」
利家が低い声で言った。
「本当のことにございます」
槍の又左も、妻にだけは勝てないらしい。
診察が終わると、医師たちが一斉に口を開いた。
「水気の巡りが滞っております」
「いや、胸脇の気が結しておるのでしょう」
「脾胃が弱り、薬を受け付けませぬ」
「古傷の毒が、内へ回った恐れも」
六人いれば、六つの説明が出た。玄朔だけが、すぐには結論を言わなかった。
「御病は、一つにてはございますまい。長年の御疲れ、御食の衰え、水気の滞り、咳、御胸の苦しみ。どれか一つを除けば治る、という御様子には見えませぬ」
「では、治るのか」
利家が尋ねた。玄朔が黙る。
「治るか、治らぬか」
玄朔の額に汗が浮かんだ。四百年後でも、医師が最も答えにくい問いだ。
「わからない?」
俺が口を挟んだ。全員がこちらを見る。
「わからない、で、いい。うそは、だめ」
玄朔は、深く頭を下げた。
「仰せの通りにございます。御快復なさるとは、今のわたくしには申し上げられませぬ」
部屋が静まった。側近たちは目を伏せた。
まつだけが、目を伏せなかった。膝の上で両手を重ね、まっすぐ玄朔を見ていた。
「……ようございました」
まつが言った。
「治ると言う御医師は、これまで何人もおりました。皆、治りませなんだ。分からぬと仰る方は、曲直瀬様が初めてにございます」
その声は落ち着いていた。だが、重ねた手の指先が白くなっていた。
「では、なにを、する?」
「まず、御仕事を減らしていただきます。次に、御酒を」
「減らしておる」
「どれほど減らされたかを、記していただきます」
「医師は病人を信用せぬのか」
「病人の申す『少々』には、人によって大きな違いがございます」
まつが、すかさず言った。
「殿の少々は、一升のことにございます」
利家が咳き込んだ。病の咳ではなかった。
玄朔が、今使っている薬を全部見せるよう求めた。箱がいくつも運ばれてきた。粉薬、丸薬、煎じ薬、黒いもの、白いもの。何が入っているか分からない包みまである。
「これ、ぜんぶ?」
「それぞれの御医師が、よいと申されるものを」
「いっしょに、のむ?」
侍医が、小さな声で答えた。
「……時に、同じ日に」
危ない。量も揃っていない。どの薬が効き、どの薬が害をなしたかも分からない。
「だれが、きめる?」
誰も答えなかった。
「きょうから、かく。いつ。なに。どれくらい。どうなったか」
「書式をお作りいたしましょう」
背後から三成の声がした。またいた。記録という言葉を聞くと、どこからでも現れる男である。目が少し輝いている。
危険だ。三成に自由に書式を作らせれば、利家は病ではなく記録用紙で倒れかねない。
「みじかく」
「必要な項目を漏らさぬためには」
「みじかく」
「しかし」
「みじかく」
三回言うと、三成は不満そうに口を閉じた。玄朔が、わずかに笑った。
「御薬、御食、御便、御眠り、御痛み、御息。この六つではいかがでしょう」
「ねつも」
「七つであれば、一枚に収まりましょう」
三成はもう、頭の中で罫線を引いている。
利家が咳き込んだ。玄朔がすぐに背へ手を添える。俺は、その手を見た。秀吉にも触れた手。ほかの患者にも触れているだろう手。見た目は清潔だ。だが、見えないものは見えない。
「て、あらいますか」
「朝に清めております」
「いま。としいえに、さわるまえ」
医師たちが顔を見合わせた。鍼医が眉をひそめる。
「診察のたびに、禊をせよと」
「みそぎじゃ、ない。みえない、よごれ」
「証はございますか」
「わからない。でも、あらっても、わるくない」
玄朔は利家を見た。利家は肩をすくめた。
「拾様は、分からぬことを分からぬと申せと、先ほど医師を叱られた。ならば、拾様の分からぬことも、試してみるのが公平であろう」
玄朔の目つきが変わった。診断する医師の目ではない。新しい手順を組み立てる者の目だった。
「診察の前後に、湯と灰汁で手を清め、別の布を用いる。鍼や匙も分けましょう」
「だれが、いつ、やったかも、かく」
三成の筆が走り始めた。利家がため息をつく。
「医師を呼んだはずが、また評議になった」
その通りだった。だが、医療も組織だ。名医が一人いても、薬が重なり、記録がなく、手順が揃っていなければ、患者は守れない。目の前の利家と豊臣政権が、少し似ているように思えた。
帰り際、まつが廊下まで見送りに出てきた。淀殿が先に行き、俺と二人になった一瞬、まつは膝をついて、俺と目の高さを合わせた。
「拾様。ありがとう存じます」
「なにも、してません」
「いいえ。あの人に、長う生きよと言うてくださった」
まつの目が、少しだけ潤んだ。
「あの人は、藤吉郎殿の分まで働こうとしております。止めても聞きませぬ。わたくしが止めても、聞かぬのです」
四十年、この人は利家の隣にいたのだ。槍の又左を、戦場から何度も迎え入れてきたのだ。
「ぼくも、とめます」
まつは、笑った。泣きそうな顔のまま、笑った。
【前田利家 病名】
確定不能
以前なら、それを失敗だと思っただろう。今は違う。分からないのに分かったふりをして治療を重ねる方が、よほど危ない。
その日、俺たちは病名を手に入れなかった。代わりに、薬を重ねないための記録と、続けて見るための七つの項目と、患者に触れる者が守る清潔の手順を手に入れた。
十分ではない。だが、始めるには十分だった。
【本日の豊臣家滅亡確率】
98.1% → 97.8%
病名は分からないまま、確率は下がった。分からないと言えた分だけ、下がったのかもしれない。
翌朝、屋敷の入口に桶が一つ置かれた。その桶一つが、あれほどの騒ぎを起こすとは、このときの俺はまだ知らなかった。




