第109話 名のない仕事
【豊臣家滅亡まで 残り5,250日】
帳面を作ると、問題が見えた。
同時に、人が見えた。
最初に見つかったのは、四十を過ぎた、奥の女房だった。前に、公家と商人の両方の言葉が分かると書かれていた女だった。
名を、小野といった。
上役の評価。《口が過ぎる》
本人の申し出。《文が書ける》
同輩の話。《公家にも、武家にも、商人にも、相手に合わせた言葉を使う》
呼んでみた。小柄な女だった。背筋が、まっすぐだった。俺の前に座っても、少しも臆した様子がなかった。
「くげへの、ふみを、かける?」
「書けまする」
「しょうにんへは」
「書けまする」
「だいみょうへは」
「相手によりまする」
「ちがうの?」
「違わぬと思う者が、しくじりまする」
強かった。三成に聞かせたかった。いや、聞かせたかったのは、もう、過ぎたことだった。
「じゃあ」
俺は、同じ中身の文案を、三通、渡した。朝廷へ。堺の商人へ。前田家へ。
小野は、同じ中身を、三つの言葉に変えた。
朝廷には、由緒と礼を。商人には、期限と払いを。前田家には、亡き利家への恩を。
同じ話なのに、三通とも、別の人が書いたように見えた。
「だれに、おそわったの」
「聞いて、覚えました」
「いまの、やくめは」
「御方様の、お召し物と、女房衆の取り次ぎにございます」
人の使い方が、もったいなさすぎた。
次に見つかったのは、年寄りの船頭だった。
上役の評価。《頑固》
本人の申し出。《淀川の浅瀬を知る》
同輩の話。《夜でも、船を通せる》
絵図より、値打ちがあった。
次。寺の小僧。
上役の評価。《落ち着きがない》
本人の申し出。《数が好き》
同輩の話。《米俵を一度見れば、数を覚える》
次。足軽の後家。
上役の評価。なし。
本人の申し出。《縫い物》
近所の話。《傷を負った者の布を、洗って、干して、分けるのが早い》
関ヶ原のあと、城下の寺で、玄朔の手当てを手伝っていた女だった。
次。若い大工。
上役の評価。《手が遅い》
本人の申し出。《壊れた物を直す》
同輩の話。《新しく作るより、古い材を使うのがうまい》
数字が、次々に、浮かんだ。
だが、数字が出る前から、周りの者は、知っていたのだ。帳面が、見つけたのではない。帳面が、埋もれていた声を、真ん中まで、運んだだけだった。
「拾様」
且元が言った。
「名のある武将を、集めるのでは、ございませぬのか」
「あつめない」
「では、何を」
「なまえの、ない、しごとを。できる、ひとに、わたす」
国は、名のある人だけでは、動かない。むしろ、名のない仕事の方が、ずっと多い。洗う。数える。運ぶ。書き直す。直す。聞く。待つ。
誰かが、毎日、やっている。だが、うまくいっている時は、誰も褒めない。しくじった時だけ、責められる。
利家の、見えない七つの仕事と、同じだった。
「あたらしい、やくしょを、つくる」
且元の顔が、曇った。
「……また、でございますか」
「ちいさい、の」
「拾様の、小さいは、信用できませぬ」
近頃、家来たちが、正直になった。良いことだった。たぶん。
《人材改め方》
人を探す。育てる。配る。役目を変える。病や家の事情を考える。そして、本人の望みも、聞く。
「望みまで聞けば」
大野治長が、言った。
「皆、楽な役を、望みまするぞ」
「そう?」
試しに、十人に聞いた。
楽な役を望んだ者、二人。もっと難しい役を望んだ者、三人。今の役を続けたい者、四人。分からない者、一人。
「ひとは、らくが、したいだけじゃ、ない」
できることを、したい。認められたい。家族を守りたい。役に立ちたい。しくじって恥をかきたくない。人によって、違う。だから、聞かなければならない。
治長は、しばらく黙って、十人分の答えを見ていた。
「……拙者は、楽な役を望んだ二人の方に、入りまするな」
「なにを、のぞむの」
「御方様の、お側に、おること」
治長は、それだけ言って、少しだけ、目を伏せた。
「……それは、らくな、やく?」
「楽では、ございませぬ」
治長は、苦く笑った。
昼過ぎ、蔵で、寺の小僧を試した。
十二、三の、痩せた少年だった。落ち着きがない、と書かれていた通り、座っている間じゅう、足の指が動いていた。
蔵の戸を開けて、米俵の山を見せた。ひと目。それだけで、戸を閉めた。
「いくつ」
「三百二十一」
蔵の役人が、慌てて数え直した。半刻かかった。
「……三百二十一、にございます」
小僧は、得意そうでもなかった。当たり前のことを聞かれた顔をしていた。
「どうして、わかるの」
「十ずつ、固まりで見ておりまする。十の固まりが、三十二と、あと一つ」
「……おちつきが、ないのは」
「数えるものがないと、足の指を数えてしまいますゆえ」
蔵の役人が、噴き出した。
小僧は、その日から、蔵の出入りの数を見る役になった。足の指は、それでも、動いていた。
夕方、小野が、最初の文を持ってきた。
宛先は、西の丸。徳川家康。
中身は、関ヶ原のあとの、浪人の扱いについて。
文は、礼を尽くしていた。だが、求めることは、一つも、曖昧ではなかった。家康が断りにくい順番で、条件が並んでいた。
「……だれかに、おそわった?」
「いいえ」
「じゃあ、どうして、このじゅんばんに」
小野は、答えた。
「人は、自分で決めたと思えるときに、一番よう、動きまする」
三成に、本当に、聞かせたかった。
胸が、痛んだ。だが、同時に、少しだけ、笑った。三成が遺した問いに、名も知られなかった女房が、答えを出していた。
「おの。この、ふみ、どこで、かいたの」
「台所の隅で。夕餉の支度の合間に」
「……こんどから、へやを、ひとつ、あげる」
小野は、初めて、驚いた顔をした。
「わたくしに、部屋を」
「ふみを、かく、へや」
小野は、しばらく、黙っていた。
「……二十五年、この城におりますが。自分の部屋をいただくのは、初めてにございます」
小野は、深く頭を下げた。背筋は、まっすぐなままだった。
その夜、小野の部屋を、見に行った。
城の北の隅の、小さな一間だった。小野は、文机に向かっていた。机の上には、紙が三つの山に分けてあった。公家への文。商人への文。大名への文。
「……もう、かいてるの」
「はい。書き溜めておきまする」
「なにを」
「言い回しを。相手ごとに、使える言い回しを」
小野は、紙の束を一枚めくった。細かい字で、びっしりと書いてあった。《断るとき》《頼むとき》《詫びるとき》《急かすとき》。それぞれに、公家向け、武家向け、商人向けの言い方が並んでいた。
「わたくしが死んでも、この紙があれば、誰でも、文が書けまするように」
三成と、同じことを言った。
小野は、筆を置いて、俺を見た。
「拾様。……一つ、伺うてもよろしゅうございますか」
「うん」
「なぜ、わたくしを、見つけてくださったのでございますか」
「……みつけたのは、おれじゃ、ない。おのの、となりの、ひとたちが、かいた」
「隣の……」
「こうけ、ぶけ、しょうにんの、ことばを、つかいわけるって。おのの、となりで、はたらいてる、ひとが」
小野は、しばらく黙っていた。
「……わたくしは、口が過ぎると、上役にずっと言われておりました。隣の者たちが、そのように見ておったとは、知りませなんだ」
【埋もれていた人】
今月見つかった者 27
役目を変えた者 14
辞めずに済んだ者 9
新しく取り立てた者 6
家の落ち着き D → D+
【豊臣家が残る見込み】
34% → 36%
二だけ。だが、関ヶ原の前は、一上げるのに、何人も死にかけた。
「……あがった」
声に、出ていた。且元が、帳面から顔を上げた。
「何が、でございます」
「とよとみが、のこる、みこみ。……ひゃくの、うち、ふたつ」
且元は、少し考えてから、笑った。
「二つだけに、ございまするか」
「にも、だよ」
英雄を一人救うのではない。名のない二十七人を、見つける。その方が、国は、強くなる。
【本日の豊臣家滅亡確率】
96.2% → 96.0%
翌日、新しい知らせが届いた。
《奉公人名寄より》
役目の分からぬ者 382
勤めの中身が分からぬ者 211
禄だけ受け取っておる者 86
同じ人が重ねて載っておる者 143
笑うのを、やめた。
隠れていた人の次には、隠れていた問題が来る。




