第107話 人の帳面がない
【豊臣家滅亡まで 残り5,275日】
金の次は、人だった。
人なら、金より簡単だと思った。
間違いだった。
「とよとみけの、けらいは、なんにん?」
俺が聞くと、三人の役人が、三つの数を答えた。
「三千二百余り」
「五千を、超えまする」
「一万に、近いかと」
「どれが、ただしいの」
三人は、顔を見合わせた。
「何を家来と数えるか、によりまする」
なるほど、と思った。
じかの家来。家来の家来。台所の者。奥の女房衆。蔵の役人。船手の者。大工。庭師。医者。僧。芸事の者。その時だけ雇われた者。大名から預かった人質に付いてきた供。太閤その人に仕えた者。秀頼に仕える者。淀殿に仕える者。北政所に仕える者。
そして、自分が誰に仕えているのか、本人も分かっていない者。
「なまえの、ちょうめんは」
「ございまする」
出てきた。山ほど。
だが、名しかなかった。名と禄。名と役目。名と所属。それぞれ、別の帳面だった。
同じ人が、違う字で書かれていた。同じ名の、別の人がいた。父から子へ役目を継いだのに、父の名のまま残っていた。死んだ者が、生きている者として載っていた。関ヶ原で逃げた者が、大坂城の勤めになっていた。
「だれが、なにを、できるか。わかる、ちょうめんは?」
「役目は、書いてございまする」
「やくめじゃ、なくて。できること」
沈黙。
役目と、できることは、同じではない。
蔵の役人でも、算用が得意な者。字がきれいな者。掛け合いがうまい者。鍵の番だけをしている者。前の役人の息子だから座っている者。いろいろだ。
侍でも、槍が得意。鉄砲が得意。馬が得意。兵糧の運びが得意。字が読める。読めない。病がある。親の世話をしている。借金がある。敵方に親類がいる。
そういうことは、人の頭の中にしかない。頭の持ち主が死ねば、消える。
利家が死んだときと、同じだった。
【人物評価:片桐且元】
政務 91
交渉 96
間に立つ力 90
両方から疑われやすい 表示中
「あたらしい、ちょうめんを、つくる」
「……また、でございますか」
且元が、疲れた顔をした。近頃、俺が帳面と言うたびに、家来たちが、少しずつ弱っていく。
「ほうこうにんの、ちょうめん」
「何を、記しまする」
「なまえ。とし。うまれたところ。かぞく。いまの、やくめ。まえの、やくめ。できること。できないこと。やまい。よみかき。さんよう」
「多すぎまする」
「しゃっきん。やりたい、やくめ。やりたくない、やくめ」
「さらに、増えました」
「うえの、ひとへの、ふまん」
部屋が、静かになった。
「……拾様。最後のは、書かぬ方が」
「どうして」
「乱が、起きまする」
「いまも、おきてる」
関ヶ原が、それを証していた。
不満は、書かなければ消えるのではない。見えなくなるだけだ。
「本人に、聞くのでございますか」
「うん」
「上役の前で」
「それは、だめ」
「では、誰が」
難しかった。三成なら、全員に同じ問いをして、全員を怒らせただろう。正則なら、酒を飲ませて聞いた。清正なら、現場へ行った。長政なら、家族から聞いた。
「みっつの、みちを、つくる」
一つ目。本人が、自分で申し出る。
二つ目。上役が、評価する。
三つ目。同じ役の者と、下の者から、聞き取る。
「互いに違うた場合は」
「ちがった、って、かく」
「どちらが正しいかは」
「すぐに、きめない」
人の値打ちを量るのは、正解を当てる試しではない。違いを、見つける仕事だ。
試しに、三人分、やってみた。
一人目。蔵の役人の男。
上役の評価。《口数少なく、融通が利かぬ》
本人の申し出。《算用は得手。人前で話すのは不得手》
同輩の話。《不正を見つけても、黙らぬ》
まるで、違った。
二人目。若い侍。
上役の評価。《臆病》
本人の申し出。《馬が怖い》
同輩の話。《鉄砲の手入れが、抜きん出てうまい》
馬から外せば、いいだけだった。
三人目。奥の女房。
上役の評価。《口が過ぎる》
本人の申し出。《文が書ける》
同輩の話。《公家の言葉と、商人の言葉の、両方が分かる》
他家との文の遣り取りに、使える。
「……拾様」
且元が、紙から顔を上げた。
「人とは、役目より、多いのでございますな」
当たり前のことだった。だが、家というものは、人を役目の名で呼ぶ。蔵役。馬廻。侍女。足軽。そう呼ぶと、その人が何をできるのかが、見えなくなる。
「かつもと。かつもとの、ちょうめんも、つくる」
「……拙者の、でございますか」
「うん。かつもとが、なにが、とくいで、なにが、にがてか」
且元は、少し考えてから、筆を取った。自分で、自分の欄を書き始めた。
《得手 間に立つこと。書き留めること》
《不得手 船。人に強く言うこと》
《望む役目 特になし》
《望まぬ役目 両方から恨まれる役目》
最後の行を書いて、且元は、筆を止めた。長いこと、その行を見ていた。
「……これは、消した方が、よろしゅうございますな」
「けさないで」
「されど」
「のぞまない、やくめを、かいて、いいって、きめた。かつもとが、さいしょに、かいて」
且元は、しばらく黙っていた。それから、その行の横に、小さく書き足した。
《ただし、拾様の御為ならば、この限りにあらず》
「……それは、かかないで」
「拙者の、申し出にございます」
且元は、筆を置いた。少しだけ、笑っていた。
その日の終わりに、俺も、自分の欄を書いた。
《とくい ちょうめん。ききだすこと》
《にがて ながい はなし。うま。にがい ちゃ》
《のぞむ やくめ ない》
《のぞまない やくめ ない》
且元が、横からのぞき込んだ。
「……拾様。望まぬ役目が、ない、とは」
「ぜんぶ、やる」
且元は、しばらく黙っていた。それから、何も言わずに筆を取って、俺の欄の端に、一行、書き足した。
《上役の評価 休まれぬ》
「……かつもとは、おれの、うえやく、じゃ、ない」
「同輩の話、の欄にいたしましょうか」
「……いい」
且元が書いた一行を、しばらく見ていた。休まれぬ。上役でも、同輩でも、下の者でも、同じことを書くのだろう。
封印スキルの空欄が、また、かすかに瞬いた気がした。
【豊臣秀頼(拾)】
休む力 表示不能
表示不能。数字にさえ、ならなかった。俺は、見なかったことにした。
【豊臣家の人の把握】
名を掴めている 63%
所属を掴めている 47%
できることを掴めている 11%
体の具合を掴めている 6%
望む役目を掴めている 1%
跡を継ぐ者を掴めている 4%
ひどかった。
治長が、自分の欄と、俺の欄を見比べて、首をかしげた。
「……拾様の欄にも、上役の評価の欄が、ございますのか」
「ある。ははうえに、かいてもらう」
治長は、何も言わなかった。少しだけ、困った顔をした。
「拾様。帳面は、いつ、出来上がりまする」
「できあがらない」
皆が、固まった。
「ひとは、かわるから」
病になる。学ぶ。年を取る。家族が増える。借金を返す。考えが変わる。
「まいとし、なおす」
部屋の全員が、絶望した顔をした。
俺は、少しだけ、楽しくなった。帳面は、いい。そして、人は、帳面より、ずっと面白い。
【本日の豊臣家滅亡確率】
96.4% → 96.3%
治長も、自分の欄を書いた。
《得手 奥向きの取り次ぎ》
《不得手 武辺》
《望む役目 御方様のお側》
《望まぬ役目 御方様から離れる役目》
二つの欄が、同じことを、裏と表から言っていた。
その夜、且元の欄を、もう一度見た。望まぬ役目、両方から恨まれる役目。
この先、且元は、その役目を負わされる。豊臣と徳川の間に立って、両方から恨まれて、城を追われる。書物には、そう書いてある。
俺は、且元の欄の横に、自分の字で、小さく書き足した。
《このひとを、ひとりで、まんなかに、たたせない ひでより》




