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転生したら豊臣秀頼だったので、大坂の陣を起こさせません ~MBAホルダー、豊臣家の事業承継に挑む~  作者: 東雲 諒杏
第三部「豊臣家株式会社」                                     第一章 戦後の決算

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第106話 天下人の決算書


【豊臣家滅亡まで 残り5,290日】


 その知らせは、西の丸から、紙一枚で届いた。


 《豊臣家御料所 摂津・河内・和泉の内 六十五万石》


 太閤が生きていた頃、豊臣家の蔵入地は、国じゅうに散らばって、二百万石を超えていた。関ヶ原のあと、家康は、それを大名たちへの褒美として、配り直した。豊臣家の手元に残ったのは、大坂の周りの三つの国だけだった。


 三分の一以下。


「……これは」


 且元の声が、かすれた。


「内府殿が、天下の仕置として、決められたこと、と」


 使いの者は、それだけ言って下がった。


 淀殿は、紙を、黙って見ていた。扇を持つ手の指が、白くなっていた。怒鳴らなかった。泣きもしなかった。


「……それでも、六十五万石」


 淀殿が、ぽつりと言った。


「毛利は、百二十万石から、三十七万石に。宇喜多は、すべてを。……豊臣は、まだ、ましだと、申したいのでしょうね。家康は」


【人物評価:徳川家康】

新規表示:天下の配り直し 100


 百だった。


 だが、豊臣家には、まだ、金があった。


 大坂城の蔵。伏見の蔵。京の蔵。金。銀。米。反物。具足。茶道具。進物。


 そして、誰も値打ちを説明できない、石。


「これは、なに」


 俺は、蔵の奥の、黒い大きな石を指した。


 蔵の役人が、恭しく答えた。


「太閤殿下が、たいそう、お気に召された石にございます」


「いくら?」


「値を付けるなど、恐れ多い」


「うれる?」


「売るなど、なお恐れ多い」


 財ではなかった。思い出だった。しかも、置いておくだけで、蔵の番人の扶持がかかる。


 次の箱を開けた。


「これは」


「名物の茶入れにございます」


「いくら?」


 役人は、今度は、嬉しそうに答えた。


「一国にも替え難い、と」


「いっこくと、とりかえ、できる?」


「できませぬ」


「じゃあ、いくら?」


「一国にも替え難い」


 話が、進まなかった。


 太閤の遺したものには、金と、威光と、物語が、混ざっていた。


 俺は、帳面を、分けさせた。


 《すぐに使える金》

 《一年のうちに、米に替えられる物》

 《売れば、政の揉め事になる物》

 《売れない物》

 《誰も、値打ちを説明できない物》


 最後の欄が、思ったより、ずっと多かった。


「……拾様」


 蔵の役人が、震えた。


「太閤殿下の御遺品を、値打ちがない、と」


「ねうちが、ない、とは、いってない」


「では」


「うれない、ねうち」


「同じでは」


「ちがう」


 値打ちには、種類がある。売れる値打ち。使える値打ち。人を従わせる値打ち。人を泣かせる値打ち。そして、持っているだけで、費えがかかる値打ち。


 秀吉は、それを全部、集めた。すごかった。本当に、すごかった。だが、集めたあとの扱い方は、ほとんど、残していなかった。


「みいりは?」


「御料所の年貢。金山、銀山。商人の納め物。諸大名の進上」


「まいとし、おなじ?」


「年によりまする」


「だれが、きめるの」


「その都度」


「だれが」


 沈黙。また、それだった。


 秀吉が決めていた。秀吉がいない。だから、実入りの一部は、慣わしだけで続いている。一部は、止まった。一部は、家康の方へ流れた。一部は、誰も取り立てていない。


「でていくのは?」


 寺社の造営。城の手入れ。奥の女房衆。公家への進物。大名への褒美。軍の備え。葬儀。縁組み。医者。扶け。


 そして、太閤の名誉を保つための、費え。


 最後のが、大きかった。とんでもなく、大きかった。


「削れませぬ」


 背後で、声がした。


 淀殿だった。蔵の評議には、出ていなかったはずだった。いつの間にか、後ろに立っていた。


「ははうえ」


「太閤殿下の御威光を削れば、豊臣は、終わりまする」


「わかってる」


「分かっておらぬ顔です」


 七つの子供の顔に、そこまで出るのか。


「ぜんぶは、のこせない」


「では、何を、捨てるのです」


 問いは、鋭かった。


 答えられなかった。


 思い出を、そろばんだけで切ることはできない。父の遺したものを、儲かるかどうかで量ることはできない。


 前の世の会社の立て直しなら、儲からないものは売る。だが、豊臣家の財には、家来の忠義が結びついている。茶入れを売れば、茶入れだけが消えるのではない。太閤から拝領したという、誰かの思い出が傷つく。寺の普請を止めれば、費えが減るだけではない。太閤の供養を怠った、と見られる。


「けっさんしょを、つくる」


 淀殿が、眉を寄せた。


「けっさんしょ」


「いちねんで、なにが、はいって、なにに、つかって、なにが、のこったかを、かく」


「帳面なら、ございます」


「くらごとに?」


「はい」


「やくにんごとに?」


「はい」


「ぜんぶを、あわせたのは?」


「……ございませぬ」


 それだった。金はある。帳面もある。だが、全体が見えない。豊臣家は、金持ちなのか、貧乏なのか。誰も、知らない。


【豊臣家の財】

持っている物 S

毎年決まって入る物 C(六十五万石に減少)

出ていく物の統制 E

全体を見る力 F

決める力 F


 見た目は、金持ち。中身は、危うい。前の世で、何度も見た会社だった。


「ははうえ。すてるものを、きめるまえに。なにを、もってるか、ぜんぶ、みよう」


 淀殿は、しばらく、黙っていた。


「……太閤殿下の御遺品を、勝手に、売らぬと」


「やくそく、する」


「約束を、破れば」


「どうなるの」


「母が、泣きまする」


 重かった。首を斬られるより、重かった。


「まもる」


「よろしい」


 淀殿は、踵を返して、蔵を出ていった。


 蔵の役人が、小声で言った。


「拾様。……太閤殿下より、御方様の方が」


「いわないで」


 俺も、そう思っていた。


 蔵を出る前に、淀殿が、一つの箱の前で、足を止めた。


 淀殿は、自分で蓋を開けた。中には、小さな、黒い茶碗が一つ、入っていた。飾り気のない、手のひらに収まるほどの碗だった。


「……これは、名物では、ございませぬ」


 淀殿は、碗を取り出して、手のひらに載せた。


「殿下が、わたくしに、初めて茶を点ててくださったときの、碗です。聚楽第で。殿下は、茶の作法が、お下手でございました。湯をこぼして、わたくしの袖を濡らして。笑って、ごまかされた」


 淀殿は、碗の縁を、指でなぞった。


「値は、ございませぬ。売れば、百文にもなりますまい。……されど、これを売ると申す者がおれば、わたくしは、その者を、許しませぬ」


「……うらない」


「分かっておりまする」


 淀殿は、碗を、箱に戻した。蓋を閉める前に、一度だけ、中を見た。


 売れない値打ち。帳面の五つ目の欄に、その碗は、入らなかった。俺は、新しい欄を、一つ作った。


 《ははうえの もの》


 その日、豊臣家で初めての、全部を合わせた決算が、始まった。


 三日後、帳面は、部屋から廊下にあふれた。十日後、隣の部屋も埋まった。ひと月後、且元が言った。


「拾様」


「うん」


「太閤殿下は、天下を、取られました」


「しってる」


「それゆえ、天下の分だけ、帳面がございまする」


 俺は、机に、額を付けた。


 天下人の決算書は、天下より、重かった。


【本日の豊臣家滅亡確率】

96.0% → 96.4%


 夕方、且元が、帳面の山の間から顔を出した。


「拾様。……一つ、分かったことが、ございまする」


「なに」


「太閤殿下の頃から、ずっと、同じ額が、毎年、ある寺へ出ておりまする。名目は、供養料。されど、その寺は、十年前に、焼けてなくなっておりまする」


「……だれが、うけとってるの」


「分かりませぬ。十年、誰も、確かめておりませなんだ」


 太閤の名誉を保つ費えの中に、誰のものでもない費えが、紛れていた。


「……ふめい、って、かいて」


「承知」


 且元は、帳面に、不明と書いた。豊臣家の決算書の、最初の不明だった。


 その夜、帳面の山の横で眠ってしまった。目を覚ますと、肩に、掛け物が掛かっていた。


 淀殿の、香の匂いがした。


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