第104話 開戦
【豊臣家滅亡まで 残り5,323日】
【関ヶ原級全国内戦 発生済み】
鉄砲の音は、大坂までは、聞こえなかった。
それでも、戦が始まったことは、分かった。
早馬が来る。次の早馬が来る。知らせが、食い違う。
西が優勢。東が優勢。小早川、動かず。小早川、寝返り。大谷隊、奮戦。福島隊、突破。島左近、傷を負う。家康の本陣、動かず。
何が本当か、分からなかった。戦場の知らせは、いつも遅い。そして、願いによって、歪む。
「拾様!」
且元が、駆け込んできた。
「西から、傷を負った者が!」
「いれて」
「東方の者も、混じっておりまする!」
「おなじ」
「武器は」
「もんの、そとで、あずかる」
「名は」
「かきとめる。でも、おおやけに、しない」
「逃げてきた兵と、見なされまするぞ」
「いきて、もどれば、あとで、せつめい、できる」
死ねば、説明できない。
城下の寺に、血に濡れた者たちが運ばれてきた。槍の傷。鉄砲の傷。折れた骨。泥。吐いたもの。怯えた目。
敵も味方も、傷口の色は、同じだった。
玄朔が、叫んでいた。
「湯を! 布を! この者を、先に!」
医者たちが、まず、手を洗っていた。五つのときに、城の台所で始めた、手洗いの決まりだった。桶が並び、灰汁が用意され、誰に言われるでもなく、皆、傷に触れる前に手を洗っていた。
誰も、俺の名を呼ばなかった。
それで、よかった。決まりは、使われるときに、作った者の名を、要らない。
夕刻、戦の形が、固まり始めた。
西軍、崩れる。宇喜多隊、退く。小西隊、散り散りに。大谷吉継、自刃。石田三成、行方知れず。
俺は、机の縁を、掴んだ。
書物の通りだった。いや、少し違った。だが、負けた。三成は、負けた。
吉継は、崖の下で、友を受け止められなかったのだ。
その夜から、書状が、次々に届いた。
正則から。
《治部を見つけても、すぐには斬らぬ》
短かった。正則は、約束を、覚えていた。
長政から。
《逃れ来る者の名簿、使い始め申した》
清正から。九州から。
《豊臣の城には、兵を向けず》
小さな変わり目が、戦場の外に、残っていた。
家康からも、返書が来た。戦の前に送った書状への、返事だった。
《誰を生かすか、承知いたした》
それだけだった。信じていいのか、分からなかった。だが、返事は、来た。
数日後、三成は、近江の山中で、捕らえられた。
捕らえられて、大津に送られたとき、東の陣中で、三成を囲んだ武将たちの中に、正則がいたという。
正則は、三成の前に立った。何か言おうとした。周りの者は、正則が罵ると思っていた。
正則は、長いこと黙っていた。それから、一言だけ言った。
「……飯は、食うたか」
三成は、答えなかったという。
その横から、長政が、自分の羽織を脱いで、縄で縛られた三成の肩に、黙って掛けた。九月の終わりの、冷たい雨の日だった。
三成が捕らえられて間もなく、輝元が、西の丸を出ていった。
家康に、城を明け渡したのだ。戦わずに。毛利の領地は、安堵されると約束されていた。
あとで聞いた話では、その約束は、守られなかった。毛利は、百二十万石を、三十万石余りに削られた。
輝元は、出ていく前に、本丸に寄った。
「拾様。……臆病の、代金でござる」
輝元は、笑おうとして、笑えなかった。
「されど、毛利の兵は、一人も、関ヶ原で死にませなんだ。……それだけは、臆病のおかげでござる」
恵瓊は、三成と同じ日に、京の六条河原で首を斬られることが、決まっていた。小西行長も。
輝元は、それを知っていた。
「恵瓊は、わしに決めさせまいとした。……されど、恵瓊がおらねば、わしは、何も決められなんだ」
輝元は、深く頭を下げて、出ていった。大行列ではなかった。供は、数人だけだった。
俺は、家康に、三成の命乞いの書状を送った。長政も、送ったと聞いた。
家康は、断った。
「……どうして」
使いに聞いても、答えは、なかった。
豊臣の政に刃を向けた者を生かせば、次の乱を招く。家康の判断は、分かる。分かるから、余計に、苦しかった。
俺は、三成に、書状を送った。牢の中へ。許される紙は、一枚きりだった。
《みつなり
きよまさから。いきて もどれ、と
まさのりから。めしは くったか、と
おれから。しなないで。めいれい》
処刑の前日、三成から、最後の書状が届いた。
《拾様
拙者は、人を動かすことを、最後まで、得手とはいたしませなんだ。
されど、拾様が、人を動かすのではなく、人が動ける道を作ろうとなされたことは、分かっておりまする。
清正殿に、お伝えくださいませ。生きて戻れとの仰せ、承り申した。戻れませぬ。されど、その言葉は、拙者の懐の、一番奥にしまい申した。
福島殿に、お伝えくださいませ。飯は、食い申した。頭から。刺さり申した。
拾様の御命は、努力目標といたしまする。必達は、叶いませなんだ。お詫び申し上げまする。
書き物を、残し申した。拙者を残す要は、ございませぬ。
干し飯の袋は、いつか、まつ様に。空のまま。一口ずつ食べ申したと、お伝えくださいませ。
石田治部少輔》
視界が、にじんだ。
利家を、救えなかった。三成も、救えなかった。俺は、また、人を救えなかった。
だが、三成の書き物は、残った。米の帳面。家来の台帳。評議の書き留め。異を唱えた者の名。しくじったわけ。誰が、何を決めたか。嫌われながら書き続けた紙が、七つの箱に入って、豊臣家に残った。
処刑の日の朝、京の方の空は、晴れていたという。
三成は、刑場へ向かう途中、喉が渇いたと言った。警固の者が、湯はないから、代わりに干し柿を食えと言った。三成は、柿は痰の毒だから要らぬ、と断ったという。
もうすぐ首を斬られる男が、体を気遣った。周りの者は笑ったという。
俺は、笑えなかった。三成らしかった。最後まで、正しかった。
処刑の日、大坂の城では、いつも通り、評議を開いた。
泣く者がいた。怒る者がいた。黙っている者がいた。
俺は、議題を読み上げた。
一、逃れてきた者の家族を守ること。
二、傷ついた兵の手当ての費え。
三、取り上げられた領地から流れてくる浪人を、書き留めること。
四、関ヶ原の戦の、収支を書き残すこと。
三成がいたら、最初に求めただろう議題だった。
評議が終わったあと、数字が開いた。
【関ヶ原級全国内戦阻止】
失敗
目を閉じた。分かっていた。
次の数字が、出た。
【豊臣家が残る見込み】
20% → 34%
目を、開けた。
「……え」
見間違いでは、なかった。上がっていた。
【説明】
関ヶ原は、問題の原因ではありません
豊臣家の組織の欠けが、関ヶ原を生みました
戦のあとの守りの定め/書き物の引き継ぎ/敵とみなす範囲を限ったこと/民を受け入れたこと
以上により、家が残る見込みが、上がりました
椅子に、座り込んだ。
戦を、止められなかった。それでも、戦のあとを、変えた。
関ヶ原を防ぐことが、本当の目的ではなかった。関ヶ原のあとも、豊臣家が、そこにあり続けること。それが、はじめから、要ることだった。
【本日の豊臣家滅亡確率】
97.9% → 96.1%
最後の表示が、出た。
【新たな課題を始めます】
豊臣家の組織の立て直し
診断を行ってください
涙を拭いた。三成の書き物を、持ち上げた。
「……はじめよう」
声が、かすれていた。
誰も、返事をしなかった。三成は、いない。利家も、いない。
だから、始めなければならなかった。英雄がいなくても、書き物と決まりで動く豊臣家を。
懐の中で、干し飯の袋が、かさりと鳴った。
空の袋と、口の紐が一度も解かれていない袋。二つとも、まだ、ここにあった。
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【後書き】
第二部「関ヶ原を起こすな」完。
次話より、第三部が始まります。




