第9話 村長からのお願い
翌朝。
湖から立ち上る薄い霧が、辺りを静かに包んでいた。
「よし。」
悠真は完成した家の扉を閉める。
「フェルル、行こうか。」
「きゅぅ!」
フェルルは肩へ飛び乗り、気持ちよさそうに丸くなる。
「今日も定位置だな。」
思わず笑みがこぼれた。
そこへリーフがやって来る。
「お待たせしました。」
「いや、俺もちょうど今出るところ。」
二人は並んでエルフの村へ向かって歩き始めた。
森の中を吹き抜ける風は涼しく、小鳥のさえずりが心地よい。
「家、完成しましたね。」
「まだ家具は何もないけどね。」
「でも、すごく素敵でした。」
「ありがとう。」
悠真は少し照れくさそうに笑った。
◇ ◇ ◇
三十分ほど歩くと、エルフの村が見えてきた。
「おぉ!」
「フェルルだ!」
「本当に精霊獣が肩に乗ってる!」
村へ入ると、子どもたちが駆け寄ってくる。
フェルルは嫌がる様子もなく、小さく鳴いた。
「きゅっ。」
「可愛い!」
「触ってもいい?」
悠真がフェルルを見る。
「どうする?」
フェルルは子どもたちを見つめると、小さく頷くように鳴いた。
「きゅ。」
「いいみたい。」
子どもたちは恐る恐る頭を撫でる。
「ふわふわ!」
「すごーい!」
その光景を見た大人たちも、自然と笑顔になっていた。
「精霊獣があんなに人へ近付くなんて……。」
「しかも子どもたちにまで。」
村全体が穏やかな空気に包まれる。
◇ ◇ ◇
「お待ちしておりました。」
村長エルディアが家の前で迎えてくれた。
「今日はお時間をいただき、ありがとうございます。」
「いえ。」
悠真は軽く頭を下げる。
「相談って何ですか?」
エルディアの表情が少しだけ真剣になる。
「中でお話ししましょう。」
◇ ◇ ◇
部屋へ入ると、机の上には一枚の地図が広げられていた。
「こちらをご覧ください。」
エルディアが指差したのは、湖からさらに北へ進んだ山間部だった。
「ここには昔から薬草が多く自生しており、私たちも定期的に採取へ向かっています。」
「薬草が採れる場所なんですね。」
「ええ。」
エルディアは静かに頷く。
「しかし、一ヶ月ほど前から魔物が住み着いてしまいました。」
「黒狼ですか?」
「いいえ。」
老人は首を横へ振る。
「ロックベアです。」
リーフの表情が曇る。
「ロックベア……。」
悠真は聞き慣れない名前に首を傾げた。
「強いんですか?」
「黒狼より一回り大きく、防御力も高い魔物です。」
「そうなんだ。」
「その一頭が居座っているせいで、誰も薬草を採りに行けません。」
部屋の空気が静かになる。
「そこでお願いがあります。」
エルディアは深く頭を下げた。
「どうか、お力を貸していただけないでしょうか。」
◇ ◇ ◇
悠真はすぐには返事をしなかった。
窓の外を見る。
子どもたちが元気に遊んでいる。
以前、自分へ種を分けてくれた村人たち。
家づくりを手伝ってくれた人たち。
何より、この世界で初めて居場所をくれた人たちだった。
「……分かりました。」
静かに答える。
「俺で力になれるなら。」
その一言に、エルディアはゆっくり頭を上げた。
「ありがとうございます。」
「でも。」
悠真は笑う。
「できれば、殺さなくて済むなら追い払いたいです。」
リーフが驚いた表情になる。
「追い払う……ですか?」
「住処を守ってるだけかもしれないし。」
もしそうなら、人間の都合だけで命を奪くのは気が引ける。
もちろん襲われれば別だ。
だが、まずは話にならなくても、様子くらいは見てみたい。
エルディアは少し目を細めた。
「あなたらしい答えですな。」
◇ ◇ ◇
昼前。
悠真は必要最低限の荷物だけを収納へ入れる。
「食料よし。」
「水よし。」
「フェルル。」
「きゅぅ。」
肩へ乗る。
リーフも弓を背負った。
「私も同行します。」
「危なくない?」
「薬草の場所は私が一番詳しいので。」
確かに案内役は必要だ。
「無理はしないでね。」
「はい。」
◇ ◇ ◇
村を出て一時間。
森は徐々に険しくなっていく。
木々は太くなり、岩場も増えてきた。
「この辺りからです。」
リーフは声を潜める。
「ロックベアの縄張りになります。」
悠真も気配察知を意識する。
すると。
森の奥から、大きな気配が一つ。
ゆっくりとこちらへ近付いてきている。
「……来る。」
その一言と同時に。
ドォン!!
森の奥から地面を揺らすような足音が響いた。
鳥たちが一斉に飛び立つ。
木々が大きく揺れ。
次の瞬間。
三メートルを超える巨大な熊が姿を現した。
全身を岩のような灰色の毛皮に覆われた魔物。
鋭い爪。
太い腕。
そして、黄色く光る双眼が悠真たちを真っ直ぐ見据えていた。
「……あれが。」
悠真は静かに天照の柄へ手を添える。
リーフは思わず息を呑んだ。
「ロックベア……。」
森に緊張が走る。
悠真にとって、異世界で二度目となる本格的な戦いが、今始まろうとしていた。




