第6話 湖の恵み
翌朝。
「きゅぅ。」
頬をくすぐる柔らかな感触で、悠真は目を覚ました。
「ん……?」
目を開けると、白くて丸い小さな顔が目の前にあった。
「フェルル……。」
昨日出会った精霊獣は、いつの間にか悠真の胸の上で丸くなって眠っていたらしい。
「ずっといたのか?」
「きゅぅ♪」
返事をするように尻尾を振る。
「ははっ。」
悠真は思わず笑みを浮かべた。
異世界へ来てからまだ数日。
不安ばかりだった心が、少しだけ軽くなった気がした。
◇ ◇ ◇
「おはようございます!」
リーフが籠を抱えてやって来る。
「おはよう。」
「……やっぱり。」
フェルルが悠真の肩に乗っている姿を見るなり、苦笑した。
「完全に懐いちゃいましたね。」
「そんなに珍しいことなの?」
「ものすごく珍しいです。」
リーフはしゃがみ込み、そっと手を伸ばく。
「フェルル、おいで。」
「きゅっ。」
フェルルは悠真の首元へ隠れる。
「……ほら。」
「きゅぅ。」
「だめかぁ。」
リーフは肩を落とした。
「嫌われてるわけじゃないですよ。」
「分かってます。」
そう言って笑う。
「精霊獣は、自分で主人を選ぶと言われていますから。」
「主人?」
「昔からそう伝えられているだけです。本当かどうかは誰も知りません。」
悠真はフェルルの頭を優しく撫でた。
「俺は普通に仲良くしたいだけなんだけどな。」
フェルルは気持ち良さそうに目を細めた。
◇ ◇ ◇
朝食を終えると、悠真は湖へ向かった。
「今日は魚でも捕ってみるか。」
昨日から気になっていた。
透き通った湖には、大きな魚が何匹も泳いでいる。
「釣り竿は……ないな。」
辺りを見回す。
長めの枝を一本拾い、蔦を細く裂いて糸代わりにする。
針は細い木を削って作った。
「これでいいか。」
「器用ですね。」
「子どもの頃、少し遊んだから。」
リーフが感心したように見つめる。
餌を付け、湖へ投げ入れる。
ゆらゆらと浮きが揺れる。
「……。」
静かな時間。
風が吹き、鳥が鳴く。
「こういう時間、好きなんだよな。」
「分かります。」
リーフも湖を眺めて微笑む。
その時だった。
ピクッ。
浮きが沈む。
「おっ。」
悠真は軽く竿を上げた。
ザバァッ!
湖面から飛び出したのは、一メートル近い銀色の魚だった。
「でかっ!」
魚は激しく暴れる。
「逃がすか。」
その瞬間。
身体が自然に動いた。
天照を抜く。
シュン。
銀色の軌跡が一閃する。
次の瞬間。
魚は綺麗に三枚へ下ろされた状態で湖岸へ落ちてきた。
「……。」
悠真は固まる。
「え?」
自分でも意味が分からない。
「今、何した?」
リーフも口を開けたまま動かない。
「魚を……空中で三枚に……。」
「いや、俺もびっくりしてる。」
「びっくりで済む話じゃありません!」
思わず二人で笑ってしまった。
◇ ◇ ◇
昼頃。
湖畔には香ばしい匂いが広がっていた。
焼き魚。
木の実。
野草のスープ。
「美味しい!」
リーフが目を輝かせる。
「塩があればもっと美味しいんだけど。」
「これでも十分ですよ!」
フェルルも焼いた魚を小さくちぎってもらい、美味しそうに食べている。
「きゅぅ♪」
「気に入った?」
「きゅ!」
「そっか。」
悠真は穏やかに笑った。
こんな時間が、ずっと続けばいい。
本気でそう思った。
◇ ◇ ◇
午後。
家づくりを再開する。
「柱を立てよう。」
収納から木材を取り出す。
一本。
また一本。
必要なものだけを取り出せる収納は、本当に便利だった。
「悠真さん。」
「ん?」
「収納って、探すの大変じゃないですか?」
「いや。」
悠真は少し考える。
「欲しいって思えば出てくる。」
「……。」
リーフは額に手を当てた。
「そんな収納魔法、聞いたことありません……。」
「そうなの?」
「普通は、一つ一つ探します。」
「へぇ。」
本人はまた首を傾げる。
◇ ◇ ◇
夕方になる頃には、家の骨組みが完成していた。
「思ったより進んだな。」
木組みだけではあるが、家らしい形になってきた。
「明日には屋根までできそうですね。」
「頑張ろう。」
その時。
フェルルが突然耳をぴくりと動かした。
「きゅ……。」
さっきまでの穏やかな声ではない。
低く、小さく唸っている。
「どうした?」
フェルルは森の奥をじっと見つめていた。
リーフの表情も真剣になる。
「何かいます。」
悠真も気配察知を意識する。
すると、木々の向こうに微かな気配を感じた。
一つ。
いや、二つ。
こちらを見ている。
「人……?」
しかし、その気配はすぐに遠ざかっていった。
「逃げた?」
悠真は首を傾げる。
リーフは小さく息を吐いた。
「森の動物……ではありませんでした。」
「知り合い?」
「いいえ。」
その返事には、不安が滲んでいた。
◇ ◇ ◇
森から離れた場所。
黒い外套の男――“鴉”は、木の陰から静かに歩き去る。
「感知されたか。」
その隣には、もう一人。
同じ黒装束の女が立っていた。
「報告通りですね。」
「ああ。」
男は短く答える。
「まだ接触はするな。」
「了解。」
女は湖畔を振り返る。
建設中の小さな家。
笑い合う青年とエルフ。
そして、その肩で眠る白い精霊獣。
「本当に……あれが世界を揺るがす存在なんですか?」
男は静かに答えた。
「だからこそ、目を離すな。」
二人の姿は、夕闇の中へ静かに消えていった。




