第35話 黒き石の支配
「天照が眠りから覚めた意味を、教えてやろう。」
黒い仮面の男が、ゆっくりと両手を広げた。
その背後。
暗い坑道の奥から、無数の赤い光がこちらを見つめている。
一つ。
二つ。
十。
二十。
それ以上。
「……。」
悠真は黙って、その光景を見つめていた。
やがて。
暗闇の中から、一頭の魔物が姿を現す。
灰色の毛皮。
鋭い牙。
狼に似た姿。
だが、その首には。
見覚えのある黒い石が取り付けられていた。
「……やっぱり。」
悠真の表情が険しくなる。
「全部、あの石か。」
「その通り。」
仮面の男が答える。
「我々の研究成果だ。」
「研究成果?」
「ああ。」
男は満足そうに頷く。
「本来なら、人間に従うことのない魔物たち。」
「それらを制御し、兵器として利用する。」
「素晴らしいと思わないか?」
悠真は少し考えた。
そして。
「全然。」
即答した。
◇ ◇ ◇
「……何?」
仮面の男の声が低くなる。
「だから、全然素晴らしくない。」
悠真は魔物たちを見る。
赤く染まった瞳。
不自然に荒い呼吸。
身体から漏れ出す黒い魔力。
以前、暴走したダリオと同じだった。
「それ、制御できてるんじゃなくて。」
悠真は静かに言う。
「無理やり暴れさせてるだけじゃないの?」
「……。」
「魔物だって生きてるんだよ。」
「それを苦しめて、兵器にするって。」
少しだけ。
声が冷たくなる。
「俺には理解できない。」
仮面の男は、しばらく黙っていた。
そして。
「甘いな。」
小さく笑う。
「力とは利用するものだ。」
「使えるものを使い、支配できるものを支配する。」
「それが世界の理だ。」
「そう。」
悠真は頷いた。
「じゃあ、俺とは考え方が違うね。」
「……。」
「俺は。」
腰の天照に手を添える。
「そんなことのために、力を使いたくない。」
◇ ◇ ◇
レインが一歩前へ出た。
「悠真。」
「うん。」
「相手の言葉に乗らないでください。」
「分かってる。」
レインは仮面の男を見る。
「あなたは、廃屋にいた男ですね。」
「ほう。」
仮面の男が笑う。
「覚えていたか。」
「忘れるわけがありません。」
レインの目が鋭くなる。
「あなたには聞きたいことが山ほどあります。」
「そうか。」
「まず、人質はどこです?」
その質問に。
男は僅かに首を傾げた。
「人質?」
「ダリオ・ベルクの妻と娘。」
「他にも大勢いるはずです。」
「……ああ。」
男は何かを思い出したように頷いた。
「労働力のことか。」
その瞬間。
悠真の目が細くなった。
「……労働力?」
「そうだ。」
仮面の男は平然と答える。
「鉱山の維持には人手が必要だからな。」
「……。」
「魔力を持たない者でも、岩を運び、坑道を広げる程度の仕事はできる。」
リーフが息を呑む。
「そんな……。」
「安心しろ。」
男は笑う。
「まだ生きている者も多い。」
その言葉を聞いた瞬間。
悠真は、ゆっくり息を吐いた。
「……レイン。」
「はい。」
「この人。」
仮面の男を見る。
「捕まえてもいいよね?」
「もちろんです。」
「そっか。」
悠真は頷いた。
「じゃあ、そうしよう。」
◇ ◇ ◇
「ふっ。」
仮面の男が笑う。
「できるものならな。」
指を鳴らす。
パチン。
その瞬間。
坑道の奥で。
無数の赤い瞳が、一斉に動いた。
「グルルルル……!」
「ギャァァッ!」
「ゴォォォッ!」
狼型の魔物。
巨大な蜥蜴。
岩のような外皮を持つ四足獣。
種類は様々。
だが。
全員が。
黒い石を取り付けられている。
「……。」
悠真はその光景を見つめる。
「何匹いるんだろ。」
気配察知。
一つ。
十。
二十。
三十。
さらに奥。
「……四十以上。」
レインの顔色が変わる。
「そんなに?」
「うん。」
悠真は頷く。
「しかも、まだ奥にいる。」
「……。」
レインが剣を抜いた。
「悠真。」
「はい。」
「ここは一度退くべきです。」
「……。」
悠真は魔物たちを見る。
確かに。
数が多い。
だが。
「退いたら。」
悠真が呟く。
「この子たち、どうなるんだろ。」
「……。」
「ずっと苦しんだままなのかな。」
レインは答えられなかった。
◇ ◇ ◇
「悠真さん。」
リーフが弓を構える。
「私も戦います。」
「……。」
悠真は少し考える。
そして。
「リーフ。」
「はい。」
「後ろをお願い。」
「後ろ?」
「うん。」
悠真は坑道の入口を見る。
「俺が魔物を止める。」
「その間に、レインと一緒に人質を探してほしい。」
「でも。」
「大丈夫。」
悠真は笑った。
「戦う必要があったら、ちゃんと戦うから。」
リーフは一瞬だけ迷う。
だが。
やがて頷いた。
「……分かりました。」
「約束ですよ。」
「うん。」
◇ ◇ ◇
「きゅ!」
フェルルが悠真の肩から飛び降りた。
「お前はリーフと一緒に。」
「きゅぅ!」
「頼むよ。」
フェルルは少し不満そうだった。
それでも。
リーフの足元へ移動する。
「きゅ。」
「ありがとう。」
悠真は頭を撫でた。
◇ ◇ ◇
「相談は終わったか?」
仮面の男が尋ねる。
「うん。」
悠真は答えた。
「待ってくれてありがとう。」
「……。」
一瞬。
男が言葉を失う。
「礼を言われるとは思わなかったな。」
「そう?」
「ふん。」
仮面の男が右手を上げる。
「ならば。」
指を振り下ろした。
「始めよう。」
◇ ◇ ◇
「グォォォォッ!」
最初に飛び出したのは、狼型の魔物だった。
三頭。
ほぼ同時。
「……。」
悠真は天照へ手を掛ける。
抜刀。
銀色の刃が、薄暗い坑道の入口で光を受けた。
「来い。」
一頭目。
跳躍。
鋭い牙が喉元へ迫る。
悠真は半歩ずれた。
そして。
一閃。
シュン――。
「……!」
魔物の身体を、刃が通り過ぎる。
だが。
血は出ない。
毛皮も切れていない。
代わりに。
首元の黒い石へ亀裂が走った。
パキン!
「ギャンッ!」
魔物が地面へ転がる。
「一頭。」
悠真はすぐに次を見る。
二頭目。
三頭目。
同時に飛び掛かってくる。
「……。」
天照を返す。
一閃。
二閃。
パキン!
パキン!
黒い石が砕けた。
◇ ◇ ◇
「なっ……!」
仮面の男が目を見開く。
「馬鹿な!」
三頭の魔物が倒れている。
だが。
死んではいない。
鑑定。
──────────
種族:魔獣
状態:気絶・魔力消耗
生命状態:安定
──────────
「……よし。」
悠真は小さく頷いた。
「いける。」
以前。
ダリオを助けた時と同じ。
身体を傷つけず。
黒い魔力だけを斬る。
ただし。
今回は少し違った。
「……。」
悠真は天照を見る。
(前より、分かりやすい。)
黒い魔力。
その流れ。
石から身体へ伸びる線。
以前は、集中しなければ見えなかった。
だが今は。
まるで。
最初からそこに線が描かれているように。
はっきり見える。
(慣れてきたのかな。)
それとも。
天照が何かを教えているのか。
分からない。
だが。
今は考えている場合ではなかった。
◇ ◇ ◇
「全員でかかれ!」
仮面の男が叫ぶ。
その瞬間。
十数頭の魔物が、一斉に走り出した。
「……。」
悠真は深く息を吸う。
そして。
静かに吐いた。
剣術【神域】。
身体が自然に動く。
一歩。
右。
半歩。
左。
踏み込む。
避ける。
斬る。
止まらない。
一閃。
二閃。
三閃。
刃が舞う。
だが。
どの魔物にも傷は付かない。
代わりに。
黒い石だけが次々と砕けていく。
パキン!
パキン!
パキン!
「グァッ!」
「ギャンッ!」
「ゴォ……!」
魔物たちが倒れる。
その身体から。
黒い靄が抜けていく。
◇ ◇ ◇
「……嘘だろ。」
仮面の男が呟く。
悠真は。
止まらない。
一頭。
また一頭。
黒い魔力を斬り続ける。
しかも。
その動きには。
無駄がなかった。
「何なんだ……。」
男の声が震える。
「何なんだ、その剣術は!」
悠真は答えない。
ただ。
目の前の魔物を助けることだけに集中していた。
◇ ◇ ◇
「今です!」
レインが叫ぶ。
「リーフ!」
「はい!」
二人が動く。
悠真が魔物を引き付けている間に。
坑道の脇。
崩れかけた木製の通路へ向かう。
事前に確認した地図では。
その先に旧搬出口へ続く道があるはずだった。
「フェルル!」
「きゅ!」
白い小さな身体が先を走る。
「待って!」
リーフが追いかける。
フェルルは時折立ち止まり。
鼻をひくひくさせる。
そして。
ある場所で。
「きゅっ!」
強く鳴いた。
「ここ?」
リーフが尋ねる。
フェルルが頷くように頭を動かす。
レインが壁を調べる。
「……。」
古い木板。
岩に打ち付けられている。
「隠し扉?」
レインが木板へ手を掛ける。
動かない。
「鍵か。」
「壊します?」
「待ってください。」
レインが周囲を確認する。
「罠の可能性があります。」
◇ ◇ ◇
その頃。
悠真は。
最後の数頭と向き合っていた。
「……。」
周囲には。
気絶した魔物たち。
黒い石の破片。
黒い靄はすでに消えている。
「あと少し。」
悠真が呟く。
その時。
仮面の男が。
突然。
笑い始めた。
「……くく。」
「?」
「はははは!」
悠真が眉をひそめる。
「何?」
「素晴らしい!」
男が叫ぶ。
「本当に素晴らしい!」
「……。」
「これほどとは!」
仮面の男は。
懐から小さな魔道具を取り出した。
赤い結晶。
その表面には。
細かな文字が浮かんでいる。
「何それ。」
悠真が尋ねる。
「記録装置だ。」
「記録?」
「そうだ。」
男は笑う。
「お前の戦闘。」
「魔力の流れ。」
「そして。」
天照を見る。
「黒き石を断ち切る、その力。」
「すべて記録した。」
「……。」
悠真の表情が変わる。
「最初から。」
「俺に魔物を倒させるつもりだった?」
「ようやく気付いたか。」
仮面の男は笑った。
「廃屋では、人間を相手にした戦闘能力を確認した。」
「そして今回は。」
「魔力への干渉能力。」
「……。」
「これで。」
男が結晶を掲げる。
「必要な情報は揃った。」
◇ ◇ ◇
悠真は。
ゆっくり天照を下ろした。
「……そう。」
「悔しいか?」
男が笑う。
「お前は我々の実験に協力したのだ。」
「……。」
悠真は何も言わない。
「どうした?」
「怒らないのか?」
「いや。」
悠真は首を横に振った。
「怒ってるよ。」
「……。」
「かなり。」
その声は静かだった。
だからこそ。
仮面の男は。
一瞬。
背筋が冷たくなった。
◇ ◇ ◇
「でも。」
悠真は倒れている魔物たちを見る。
「この子たちは助かった。」
「……。」
「だったら。」
悠真は天照を鞘へ納める。
「それでいい。」
「……何?」
仮面の男が目を細める。
「お前は、自分が利用されたことを理解しているのか?」
「してるよ。」
「ならば――」
「それと。」
悠真が言葉を遮る。
「あなたを逃がすかどうかは、別の話。」
「……!」
次の瞬間。
悠真の姿が消えた。
◇ ◇ ◇
「なっ!?」
仮面の男が反応するより早く。
悠真は目の前にいた。
「これ。」
男の手から。
赤い結晶が消える。
「……は?」
悠真が結晶を持っていた。
「返せ!」
「嫌だ。」
「貴様!」
男が短剣を抜く。
だが。
悠真はその手首を掴んだ。
軽く捻る。
「ぐっ!」
短剣が落ちる。
そのまま。
地面へ押さえ込む。
「ぐあっ!」
「はい。」
悠真は男を見下ろす。
「終わり。」
◇ ◇ ◇
「……。」
仮面の男は。
地面へ押さえ込まれたまま。
動かなかった。
いや。
動けなかった。
圧倒的な力の差。
それ以上に。
恐ろしかったのは。
悠真が。
まったく本気を出していないことだった。
「……化け物め。」
男が吐き捨てる。
「またそれ?」
悠真は少しだけ困った顔をした。
「最近よく言われるんだよな。」
◇ ◇ ◇
その時。
坑道の奥から。
「悠真さん!」
リーフの声が響いた。
「どうした!?」
「人がいます!」
「……!」
悠真の表情が変わる。
「何人!?」
「まだ分かりません!」
「でも!」
リーフの声が震える。
「たくさん……!」
悠真は仮面の男を見る。
「……。」
男は何も言わない。
悠真は。
腰から丈夫な紐を取り出した。
「ちょっと失礼。」
男の両手を縛る。
さらに。
足も拘束する。
「ぐっ!」
「逃げないでね。」
「貴様……!」
「レインに引き渡すから。」
◇ ◇ ◇
悠真は立ち上がる。
そして。
リーフたちのいる通路へ走った。
「リーフ!」
「こっちです!」
古い木板の向こう。
隠された通路。
その先。
地下へ続く階段。
悠真が降りていく。
一段。
二段。
三段。
暗い。
湿った空気。
鉄の匂い。
そして。
人の気配。
「……。」
階段を降り切った先。
そこには。
鉄格子が並んでいた。
一つ。
二つ。
三つ。
牢屋。
その中に。
人々がいた。
男。
女。
老人。
そして。
子ども。
「……。」
悠真は言葉を失った。
◇ ◇ ◇
「……誰?」
牢屋の奥から。
小さな声。
一人の少女が。
鉄格子へ近付いてくる。
まだ幼い。
痩せた身体。
汚れた服。
だが。
その髪には。
赤い紐が結ばれていた。
「……。」
悠真の胸が。
大きく脈打った。
赤い紐。
ダリオが話していた。
娘の髪を束ねていたもの。
「君。」
悠真がしゃがむ。
少女と目線を合わせる。
「名前、教えてくれる?」
少女は。
怯えながら答えた。
「……ルナ。」
「……!」
リーフが息を呑む。
レインも。
表情を変えた。
悠真は。
ゆっくり笑った。
「そっか。」
「ルナちゃん。」
「うん……。」
「お父さんの名前。」
「ダリオ?」
少女の目が。
大きく見開かれた。
「……!」
「なんで……。」
声が震える。
「なんで、パパの名前……。」
悠真は。
優しく答えた。
「お父さんに頼まれたんだ。」
「……。」
「ルナちゃんと、お母さんを。」
一度。
息を整える。
「迎えに来たよ。」
◇ ◇ ◇
少女の目から。
大粒の涙が溢れた。
「……パパ。」
小さな声。
「パパ……生きてるの?」
「うん。」
悠真は頷く。
「元気だよ。」
「……ほんと?」
「本当。」
「……。」
少女は。
鉄格子へしがみついた。
「会いたい……。」
「うん。」
悠真は天照へ手を掛ける。
「会いに帰ろう。」
一閃。
キン――。
鉄格子が。
音もなく切断された。
◇ ◇ ◇
「……!」
牢屋の中。
人々が顔を上げる。
悠真は刀を納めた。
「大丈夫。」
静かに。
全員へ声を掛ける。
「助けに来ました。」
誰も。
すぐには動かなかった。
信じられない。
そんな顔だった。
だが。
ルナが。
ゆっくり外へ出る。
その後ろから。
一人の女性が立ち上がった。
「ルナ……!」
「ママ!」
少女が駆け寄る。
女性が抱きしめる。
悠真はその光景を見つめる。
「……よかった。」
小さく呟いた。
◇ ◇ ◇
しかし。
その時。
――ゴゴゴゴゴ……。
地面が。
揺れた。
「……?」
悠真が顔を上げる。
天井から。
小石が落ちる。
レインが叫ぶ。
「地震!?」
「違う。」
悠真は即答した。
「……何かが動いてる。」
気配察知。
いや。
魔力感知。
鉱山の最深部。
そこにある。
巨大な黒い魔力。
それが。
ゆっくり。
脈打ち始めていた。
――トクン。
天照が震える。
――トクン。
さらに。
強く。
「……。」
悠真の表情が変わる。
その時。
遠く。
坑道の奥から。
声が響いた。
低い。
人間の声。
「第一段階、完了。」
「……!」
レインが振り返る。
声は続く。
「天照の魔力波形を確認。」
「封印機構への照合を開始。」
悠真は。
ゆっくり天照を見る。
「……まさか。」
赤い結晶。
戦闘記録。
魔力の流れ。
すべて。
記録された。
そして。
その情報が。
門へ送られている。
「……まずい。」
悠真が呟く。
レインが尋ねる。
「何がです?」
悠真は。
鉱山の奥を見る。
「俺が来なくても。」
「……。」
「天照を使わなくても。」
その先にあるもの。
黒い門。
「開けられるようにするつもりなんだ。」
その瞬間。
鉱山全体へ。
不気味な音が響いた。
――ゴォォォォォン。
まるで。
巨大な鐘が。
地の底で鳴ったような。
そんな音。
そして。
悠真の脳裏に。
あの声が響いた。
――まだ、間に合う。
――門を、開かせるな。
悠真は。
強く天照を握った。
人質は見つけた。
だが。
本当の危機は。
今。
始まろうとしていた。
いつも本作をお読みいただき、ありがとうございます。
長い間、更新が途絶えてしまい、本当に申し訳ありませんでした。
更新をお待ちくださっていた皆様には、長らくお待たせしてしまったことを心よりお詫び申し上げます。
しばらく間が空いてしまいましたが、こうして再び物語をお届けできることを嬉しく思っています。
これからも悠真たちの冒険や、のんびりとした異世界での日常を、一つひとつ大切に描いていきたいと思っています。
久しぶりの更新となりますが、少しでも楽しんでいただけたら幸いです。
今後とも『気づいたら異世界でした』をよろしくお願いいたします。




