第36話 閉ざされた門の鼓動
――ゴォォォォォン。
鉱山の奥から響いた音が、地下牢の壁を震わせた。
天井から細かな砂が落ちる。
鉄格子の向こうでは、助け出された人々が不安そうに身を寄せ合っていた。
「……。」
悠真は腰の天照へ視線を落とす。
鞘の中から伝わってくる、規則的な振動。
――トクン。
――トクン。
まるで。
遠く離れた何かと、呼応しているようだった。
(門……。)
頭の中に、あの声が残っている。
――まだ、間に合う。
――門を、開かせるな。
「悠真さん?」
リーフの声で、悠真は顔を上げた。
「……ごめん。」
「大丈夫ですか?」
「うん。」
悠真は頷く。
そして、周囲を見渡した。
牢屋から出てきた人々。
痩せた身体。
疲れ切った表情。
その中には、まだ自分の足で歩くことさえ難しそうな者もいる。
「レイン。」
「はい。」
「まず、この人たちを外へ。」
「……。」
レインは鉱山の奥を見た。
地響きは、まだ続いている。
「悠真は?」
「俺は少し、奥を見てくる。」
「一人で?」
「うん。」
即答だった。
◇ ◇ ◇
「待ってください。」
レインが悠真の腕を掴んだ。
「相手はあなたを利用しようとしているんですよ。」
「分かってる。」
「それなら、なおさら危険です。」
「うん。」
悠真は素直に頷いた。
その反応に、レインが少し困った顔をする。
「……分かっているなら。」
「だからこそ、みんなを先に逃がしたい。」
悠真は地下牢を見る。
「ここで戦いになったら、巻き込んじゃうから。」
「……。」
「それに。」
腰の天照へ触れる。
「俺が近付くことで、向こうの思い通りになる可能性もある。」
「だったら!」
「でも、放っておいたら開くかもしれない。」
レインは言葉を失った。
悠真自身にも、正解は分からない。
門へ近付くべきなのか。
離れるべきなのか。
相手は何を知っていて、何を狙っているのか。
分からないことばかりだった。
だから。
「まずは様子を見る。」
悠真は静かに言った。
「危なそうなら、すぐ戻る。」
レインはしばらく黙っていた。
そして。
「……約束してください。」
「うん。」
「無茶はしないでください。」
「努力する。」
「そこは約束してください。」
「……。」
悠真は少し考えた。
「絶対に帰ってくる。」
レインはため息を吐いた。
「そういうところですよ。」
◇ ◇ ◇
「お兄ちゃん。」
小さな声がした。
振り返ると、ルナが立っていた。
その隣には、母親のマリア。
ルナは悠真の服の裾を、遠慮がちに掴んだ。
「……パパに会える?」
「うん。」
悠真はしゃがみ、目線を合わせる。
「会えるよ。」
「ほんとに?」
「本当。」
ルナは少しだけ俯いた。
「パパ、怒ってないかな。」
「どうして?」
「ルナ、ずっと帰れなかったから……。」
その言葉に。
悠真の胸が、ぎゅっと締め付けられた。
「怒ってないよ。」
優しく答える。
「お父さん、ルナちゃんのことをすごく心配してた。」
「……。」
「だから、帰ってきたらいっぱい抱きしめてくれると思う。」
ルナの目に涙が浮かぶ。
「……うん。」
悠真は微笑んだ。
「先に外で待ってて。」
「お兄ちゃんは?」
「ちょっと忘れ物。」
「……忘れ物?」
「うん。」
悠真は困ったように笑う。
「少し大きいやつ。」
◇ ◇ ◇
避難の準備が始まった。
レインが人々を数える。
地下牢で保護できたのは、二十人余り。
ただし、廃屋で発見された名簿に記載されていた全員が、ここにいるとは限らない。
「歩けない方はいますか?」
レインの問いに、数人が手を上げる。
悠真は収納から水と食料を取り出した。
「まず、これを。」
パン。
水。
簡単に食べられる保存食。
「急いで食べなくていいから。」
「……ありがとうございます。」
一人の老人が、震える手で水を受け取る。
悠真はその様子を見て、小さく頷いた。
「リーフ。」
「はい。」
「お願いできる?」
「もちろんです。」
リーフは弓を背負い直した。
「皆さんを安全な場所まで案内します。」
「ありがとう。」
「でも。」
リーフが悠真を見る。
「必ず戻ってきてくださいね。」
「うん。」
「私たち、待ってますから。」
「……分かった。」
悠真は笑った。
「帰ったら、温かいご飯にしよう。」
「はい。」
リーフも微笑んだ。
◇ ◇ ◇
「きゅ!」
フェルルが悠真の足元へ駆け寄ってきた。
「……お前も行くの?」
「きゅっ!」
「危ないぞ。」
「きゅぅ!」
小さな身体で、必死に主張している。
悠真は少し考えた。
フェルルは、普通の魔物ではない。
豊穣の祝福。
植物や土地へ働き掛ける不思議な力。
そして、森に隠れていた人物の気配にも、悠真より先に気付いていた。
「……。」
ただ。
その能力が、地下の異常な魔力に対して何をできるのかは分からない。
「フェルル。」
悠真はしゃがんだ。
「今回はリーフたちを守ってほしい。」
「……きゅ?」
「みんな、疲れてるから。」
避難する人々を見る。
「何か危ないものが近付いたら、教えてあげて。」
フェルルはしばらく悠真を見つめた。
そして。
「……きゅ。」
小さく鳴いた。
「ありがとう。」
頭を撫でる。
フェルルはリーフの肩へ飛び乗った。
◇ ◇ ◇
その時。
レインが何かを思い出したように顔を上げた。
「悠真。」
「ん?」
「先ほど捕らえた仮面の男は?」
「……あ。」
悠真が固まる。
「入口の近くに縛ってある。」
「……。」
レインは額を押さえた。
「忘れていたんですか?」
「いや、忘れてたわけじゃ……。」
「では?」
「ちょっと優先順位が下がってた。」
「それを忘れていたと言うんです。」
「……ごめん。」
レインは深く息を吐いた。
「分かりました。」
「私が確保します。」
「気を付けて。」
「もちろんです。」
悠真は少し考えてから続けた。
「あと、赤い結晶。」
収納から、布に包んだ小さな魔道具を取り出す。
「これ、あいつが持ってた。」
レインの表情が変わる。
「記録装置ですね。」
「うん。」
「天照の力を記録したって言ってた。」
レインは結晶を受け取らず、慎重に観察する。
「不用意に触らない方がよさそうです。」
「そうだね。」
「遠隔で情報を送信する仕組みがあるかもしれません。」
「……。」
悠真は結晶を見る。
戦闘の記録。
魔力の流れ。
そして、鉱山の奥から響いた声。
第一段階、完了。
(もう、送られてるのかもしれない。)
「これも、あとで調べてもらおう。」
「はい。」
悠真は結晶を布で包み直し、収納へ戻した。
少なくとも、今ここで不用意に魔力を流し込むつもりはなかった。
◇ ◇ ◇
避難する人々を見送った後。
悠真は一人、地下牢の奥へ向かった。
坑道は静かだった。
先ほどまで響いていた地鳴りも、少しずつ弱まっている。
「……。」
気配察知。
周囲に人の気配はない。
ただし。
奥へ進むほど、魔力の密度が上がっていく。
(嫌な感じだな。)
空気そのものが重い。
呼吸をするたびに、微かな圧迫感がある。
悠真は魔力操作で身体の周囲を薄く覆った。
すると。
少しだけ、息が楽になる。
「……なるほど。」
魔力が濃いだけではない。
何かが混じっている。
黒い石から感じたものと、似た気配。
ただし。
規模が違う。
比較にならないほど、大きい。
◇ ◇ ◇
しばらく進むと。
坑道が二つに分かれていた。
右。
左。
どちらも暗い。
「……。」
悠真は地図を取り出した。
レインから渡された、古い鉱山の見取り図。
だが。
「……載ってない。」
目の前の分岐は、地図に存在しなかった。
後から掘られたものなのだろう。
「面倒だな。」
小さく呟く。
その時。
――トクン。
天照が震えた。
「……。」
右。
反応なし。
左。
――トクン。
「こっちか。」
悠真は左の通路へ進んだ。
ただし。
天照が反応するからといって、安全とは限らない。
むしろ。
相手が誘導している可能性もある。
悠真は気配察知を広げたまま、慎重に歩き続けた。
◇ ◇ ◇
数分後。
通路の壁が変わり始めた。
それまでの粗い岩肌とは違う。
滑らかな石。
規則正しく並んだ継ぎ目。
そして。
壁面に刻まれた文字。
「……。」
悠真は立ち止まった。
「これ……。」
見覚えがある。
夢のような光景の中で見た。
あの黒い門。
その表面に刻まれていた文字と、よく似ていた。
「鑑定。」
──────────
名称:古代封印術式の一部
分類:魔法構造物
状態:一部損傷
詳細:解析不能な領域あり
──────────
「……封印。」
悠真は呟いた。
やはり。
ここには何かが封じられている。
ただし。
何を封じているのか。
誰が封じたのか。
それは分からない。
「……。」
悠真は壁へ手を伸ばしかけた。
だが。
途中で止める。
(触らない方がいいな。)
黒い石。
記録装置。
そして、天照。
相手は魔力の情報を利用しようとしている。
不用意に接触すれば、何が起きるか分からない。
悠真は手を下ろした。
◇ ◇ ◇
その頃。
鉱山の入口付近。
「……何ですって?」
レインの声が低くなった。
目の前には。
切断された縄。
そして。
地面に残された、黒い布の切れ端。
仮面の男がいない。
「逃げた……?」
リーフが呟く。
レインは周囲を調べる。
縄の切断面。
鋭い刃物で切られたような跡。
「……。」
誰かが助けたのか。
それとも、男自身が隠し持っていた刃物を使ったのか。
現時点では分からない。
「レインさん。」
リーフが不安そうに尋ねる。
「悠真さんに知らせた方が……。」
「はい。」
レインは頷く。
だが。
悠真はすでに鉱山の奥。
簡単に連絡できる距離ではない。
「まずは避難を優先します。」
レインは人々を見る。
「ここに留まる方が危険です。」
「……分かりました。」
リーフも頷いた。
◇ ◇ ◇
一方。
鉱山のさらに奥。
悠真は、巨大な空間へ出ていた。
「……うわ。」
思わず声が漏れる。
天井が見えないほど高い。
周囲には、古い石柱が並んでいる。
その一本一本に。
細かな文字。
そして。
空間の中央。
巨大な円形の床。
床には、幾重にも重なった紋様が刻まれていた。
「……。」
悠真は足を止める。
その先。
岩壁へ埋め込まれるようにして。
巨大な扉が存在していた。
真っ黒な。
二枚扉。
高さは、十メートルを優に超えている。
表面には無数の文字。
そして中央には。
細長い窪み。
「……本当にあった。」
夢の中で見たものと。
ほとんど同じ。
黒き門。
悠真は静かに息を呑んだ。
◇ ◇ ◇
――トクン。
天照が震える。
――トクン。
今度は、先ほどより強い。
「……。」
悠真は鞘を押さえた。
「落ち着けって。」
思わず刀へ話し掛ける。
もちろん。
返事はない。
だが。
振動は止まらなかった。
(……何なんだよ、本当に。)
悠真は門を見上げる。
巨大。
重厚。
そして。
明らかに普通の建造物ではない。
門の周囲には、いくつもの魔法陣が浮かんでいた。
その一部が。
赤黒く光っている。
「……。」
鑑定。
──────────
名称:不明
分類:封印構造物
状態:封印維持中
異常:外部術式による干渉
詳細:一部解析不能
──────────
「……まだ開いてない。」
悠真は小さく息を吐いた。
少なくとも。
封印そのものは維持されている。
だが。
外部から干渉されている。
「……あれか。」
門の前。
床へ設置された複数の魔道具。
黒い石。
赤い結晶。
細い金属線のようなものが、それぞれを繋いでいる。
その中心には。
大きな水晶。
「……。」
悠真は目を細める。
水晶の内部。
何かが映っていた。
剣を振るう男。
魔物。
黒い石。
そして。
銀色の刀。
「……俺?」
映っているのは。
先ほどの戦闘だった。
◇ ◇ ◇
「なるほど。」
悠真は静かに呟く。
「これで解析してたのか。」
水晶の中では。
何度も。
同じ場面が繰り返されていた。
悠真が天照を振るう。
黒い石が砕ける。
黒い魔力が消える。
その瞬間だけ。
映像が止まる。
そして。
水晶の表面へ、複雑な文字が浮かぶ。
「……。」
悠真には読めない。
だが。
魔力の流れは感じ取れる。
水晶から。
床の魔法陣へ。
さらに。
門へ。
「……まずいな。」
この装置は。
単なる記録装置ではない。
天照の魔力を再現しようとしている。
それも。
完全ではない。
不完全な模倣。
(こんなので無理やり開けようとしたら……。)
何が起きるか分からない。
◇ ◇ ◇
「ご名答。」
突然。
背後から声がした。
「……!」
悠真が振り返る。
石柱の陰。
そこから。
一人の男が姿を現した。
灰色の長衣。
痩せた身体。
長い黒髪。
年齢は四十代ほどに見える。
だが。
その目だけが。
異様だった。
黒い瞳の中央に。
細い赤い線。
「……誰?」
悠真が尋ねる。
男は微笑んだ。
「初めまして、神代悠真。」
「……。」
「私は、ここの術式を管理している者だ。」
「名前は?」
「今は必要ない。」
「そっか。」
悠真は頷く。
「じゃあ、管理人さんでいい?」
「……。」
男の笑みが一瞬止まった。
「……好きに呼ぶといい。」
◇ ◇ ◇
「それで。」
悠真は門を指差す。
「これ、何?」
「見ての通り。」
男が答える。
「門だ。」
「それは分かる。」
「……。」
「何があるの?」
男は少し笑った。
「知りたいか?」
「まあ。」
「ならば、天照を使え。」
「……。」
「中央の窪みへ差し込むだけでいい。」
男は門を見る。
「そうすれば、すべて分かる。」
悠真は。
しばらく黙っていた。
そして。
「嫌だ。」
即答した。
◇ ◇ ◇
「……何?」
「嫌だって。」
悠真は肩をすくめる。
「開けるなって言われてるし。」
男の表情が変わった。
「……誰に?」
「知らない。」
「知らない?」
「うん。」
「……。」
男は悠真を見つめる。
「お前は。」
「自分が何を持っているのか、理解していないのか?」
「してないよ。」
悠真は正直に答えた。
「だから、調べてる。」
「……。」
「でも。」
門を見る。
「何が出てくるか分からないものを、言われた通りに開けるほど馬鹿じゃない。」
◇ ◇ ◇
男の笑みが消えた。
「……なるほど。」
「では。」
ゆっくり右手を上げる。
「こちらにも考えがある。」
その瞬間。
床の魔法陣が赤く光った。
「……!」
悠真が身構える。
水晶の中で。
天照を振るう映像が、再び動き始めた。
そして。
水晶から。
一本の光が伸びる。
門へ。
赤黒い光。
「……。」
悠真の目が細くなる。
「強引に開ける気?」
「そうだ。」
男は笑う。
「天照の魔力波形は、すでに記録した。」
「完全な再現はできない。」
「だが。」
魔法陣が、さらに強く光る。
「封印を一時的に緩める程度なら可能だ。」
「……。」
「そして。」
男は悠真を見る。
「お前がここにいる。」
「……!」
「本物の天照が。」
「門の前に。」
その瞬間。
悠真は理解した。
(……誘導された。)
魔物たち。
黒い石。
記録装置。
そして。
この地下空間。
相手は。
最初から。
悠真をここへ来させるつもりだった。
◇ ◇ ◇
「……。」
悠真は天照を握る。
だが。
抜かない。
男が笑う。
「どうした?」
「その刀を使えば、装置を破壊できるかもしれないぞ。」
「……。」
「だが。」
男は楽しそうに続ける。
「天照の魔力が、さらに門へ流れ込む可能性もある。」
「……。」
「さあ。」
「どうする?」
悠真は答えなかった。
ただ。
周囲を観察する。
魔法陣。
水晶。
金属線。
門。
そして。
男。
(……考えろ。)
剣で斬ればいい。
いつもなら。
それで終わる。
だが。
今回は違う。
相手は。
その力を利用しようとしている。
(なら。)
悠真はゆっくり息を吐いた。
(剣を使わなければいい。)
◇ ◇ ◇
「収納。」
小さく呟く。
次の瞬間。
水晶の周囲に置かれていた。
一つの小さな魔道具が。
消えた。
「……?」
男が眉をひそめる。
「何をした?」
「ちょっと片付けた。」
「……は?」
「散らかってたから。」
悠真は真顔で答えた。
その直後。
魔法陣の一部が。
ふっと暗くなった。
「……!」
男の表情が変わる。
「貴様!」
「お。」
悠真は水晶を見る。
「やっぱり。」
装置の一部が止まった。
だが。
門へ向かう光は消えていない。
「……。」
悠真は慎重に魔力の流れを観察する。
装置の中心。
水晶。
そこから伸びる線。
複数の魔道具。
それぞれが、魔力を送り合っている。
「……なるほど。」
全部を一度に壊す必要はない。
繋がりを断てばいい。
「収納。」
もう一つ。
小さな魔道具が消える。
「やめろ!」
男が叫ぶ。
だが。
悠真は止まらない。
「収納。」
三つ目。
その瞬間。
バチン!
魔法陣の一部が弾けた。
「……!」
悠真はすぐに距離を取る。
(危ない。)
無理に取り外せば、暴発する可能性がある。
「……。」
悠真は収納を止めた。
「やっぱり、適当にやるのは駄目か。」
男は荒い息を吐いている。
「貴様……!」
「そんなに怒らなくても。」
「何をしたか分かっているのか!」
「装置を止めようとしてる。」
「そうではない!」
男が叫ぶ。
「封印の均衡が崩れる!」
「……。」
悠真の表情が変わる。
「……え?」
◇ ◇ ◇
――ゴォォォォン。
再び。
巨大な音が響いた。
門の表面。
赤黒い光が、ゆっくり広がっていく。
「……。」
悠真は息を呑む。
(まずい。)
止めるつもりだった。
だが。
装置の一部を外したことで。
逆に。
魔力の流れが不安定になっている。
「……くそ。」
悠真は歯を食いしばる。
(もっと慎重にやるべきだった。)
その時。
男が笑った。
「はは……。」
「……?」
「やはり。」
男は門を見る。
「お前は、何も知らない。」
「……。」
「天照の力も。」
「この門の意味も。」
「そして。」
ゆっくり。
悠真へ視線を向ける。
「自分がなぜ、この世界へ来たのかさえ。」
◇ ◇ ◇
「……。」
悠真の動きが止まった。
「……何?」
男は笑う。
「気にならないか?」
「……。」
「神代悠真。」
男は一歩近付く。
「お前は、偶然ここへ来たと思っているのか?」
「……。」
「異世界から現れた人間。」
「神域の剣術。」
「そして。」
天照を指差す。
「千年近く、正しい主を待ち続けていたとされる刀。」
「……。」
「すべてが偶然だと?」
悠真は答えなかった。
男の言葉が本当なのか。
それとも、動揺させるための嘘なのか。
分からない。
だが。
一つだけ。
はっきりしていた。
「……それ。」
悠真は静かに尋ねる。
「誰から聞いた?」
男が笑う。
「知りたいか?」
「うん。」
「ならば――」
「でも。」
悠真が言葉を遮る。
「その前に。」
門を見る。
「これ、止めないとね。」
◇ ◇ ◇
悠真は目を閉じた。
魔力感知。
周囲の魔力。
床の術式。
水晶。
門。
一つずつ。
流れを追う。
(……。)
複雑。
あまりにも複雑だった。
魔力操作は得意だ。
だが。
古代の封印術式を理解しているわけではない。
見えているのは。
流れだけ。
その意味までは分からない。
(……だったら。)
全部を理解する必要はない。
今。
何が起きているのか。
それだけを確かめる。
悠真は慎重に魔力を探る。
すると。
一つの違和感に気付いた。
「……あれ?」
水晶から門へ向かう魔力。
その一部が。
途中で。
別の方向へ流れている。
門ではない。
床の下。
さらに深い場所。
「……。」
悠真は目を開けた。
「管理人さん。」
「……何だ。」
「この装置。」
床を指差す。
「門を開けるだけじゃないよね?」
男の表情が。
僅かに変わった。
「……。」
「下に、何かある?」
沈黙。
それが。
答えだった。
◇ ◇ ◇
――ゴゴゴゴゴ……。
足元が揺れる。
石柱の一本に、亀裂が走った。
「……!」
悠真が顔を上げる。
門の前。
床の中央。
そこに刻まれた魔法陣が。
ゆっくり回転し始めていた。
「……。」
男が後退する。
一歩。
二歩。
「……そんな。」
その声には。
先ほどまでの余裕がなかった。
「おい。」
悠真が尋ねる。
「これ、予定通りなの?」
「……。」
「ねえ。」
男は答えない。
ただ。
床を見つめていた。
「……あり得ない。」
小さく呟く。
「まだ、起動するはずが……。」
その瞬間。
床の中央から。
黒い光が噴き上がった。
◇ ◇ ◇
「っ!」
悠真は咄嗟に後退する。
黒い光。
いや。
光ではない。
周囲の明るさを奪うような。
異様な闇。
その中から。
声が響いた。
――……。
言葉にならない。
だが。
何かが。
確かに。
そこにいる。
「……。」
悠真は天照を握る。
――トクン。
刀が震えた。
そして。
脳裏に。
あの声が響く。
――違う。
「……!」
――門ではない。
「……え?」
――その下だ。
悠真は床を見る。
回転する魔法陣。
黒い闇。
そして。
そのさらに下。
「……。」
ゆっくり。
理解する。
黒い門。
それは。
何かを封じるためのもの。
だが。
本当に危険なものは。
門の向こうだけではない。
その下にも。
何かがある。
「……。」
悠真は息を呑んだ。
(この山……。)
封じの山。
エルディアが語った伝承。
山の底には、開いてはならぬものが眠る。
「……まさか。」
その時。
床の中央。
黒い闇の中から。
一本の腕が現れた。
人間のものに似ている。
だが。
異様に細長い。
黒い。
指先には。
鋭い爪。
「……!」
悠真が身構える。
続いて。
もう一本。
床の縁を掴む。
そして。
闇の中から。
ゆっくり。
何かが。
這い上がろうとしていた。
◇ ◇ ◇
「……嘘だろ。」
灰色の長衣の男が呟いた。
「まだ、封印は……。」
「……。」
悠真は男を見る。
「これ。」
静かに尋ねる。
「あなたたちが呼び出したかったもの?」
男は。
震えながら首を横に振った。
「違う……。」
「……。」
「こんなものは……。」
男の顔から。
完全に血の気が引いていた。
「計画にない……!」
悠真は。
再び闇を見る。
「……そう。」
小さく息を吐く。
「じゃあ。」
天照へ手を掛ける。
「まずは、あれを何とかしないとね。」
◇ ◇ ◇
その頃。
鉱山の外。
リーフが足を止めた。
「……!」
「どうしました?」
レインが尋ねる。
「今……。」
リーフは山を見る。
「何か、聞こえませんでしたか?」
「……?」
レインも耳を澄ませる。
だが。
何も聞こえない。
その時。
「きゅ……!」
フェルルが。
突然。
激しく震え始めた。
「フェルル!?」
リーフが抱きしめる。
「どうしたんですか!?」
「きゅぅ……!」
フェルルは山を見つめている。
その目には。
明らかな恐怖。
そして。
次の瞬間。
鉱山の奥から。
地面を伝わって。
低い音が響いた。
――ドクン。
「……。」
レインの表情が変わる。
「……心臓?」
そう。
まるで。
巨大な生き物の心臓が。
山の底で。
脈打ったような。
そんな音だった。
◇ ◇ ◇
地下最深部。
悠真は。
ゆっくり天照を抜いた。
銀色の刃。
その表面には。
ただ二文字。
天照。
「……。」
闇の中から現れた腕が。
石床を掴む。
ギギギ……。
爪が岩を削る。
悠真は静かに構えた。
「何か知らないけど。」
一歩。
前へ出る。
「ここから先には、行かせない。」
その瞬間。
闇の奥。
二つの赤い瞳が。
ゆっくり開いた。
そして。
悠真の頭の中へ。
直接。
声が響いた。
――見つけた。
「……!」
――ようやく。
――戻ってきたのか。
悠真の身体が。
一瞬だけ硬直する。
「……誰のこと?」
問い掛ける。
だが。
返事はない。
代わりに。
闇の奥から。
低い笑い声。
そして。
最後に。
はっきりと。
一つの言葉が響いた。
――剣神。
悠真は。
天照を握る手に。
僅かに力を込めた。
その言葉が。
自分へ向けられたものなのか。
それとも。
天照のかつての主へ向けられたものなのか。
まだ。
分からなかった。
ただ。
一つだけ。
確かなことがあった。
この山の底で。
千年近く語り継がれてきた伝承に繋がる何かが。
今。
目を覚まそうとしていた。
そして。
悠真の望む穏やかな暮らしは。
再び。
大きな運命の渦へ。
巻き込まれようとしていた。




