第3話 森のエルフ
川辺で少女を見失ってから、三十分ほどが過ぎていた。
「逃げられちゃったな……。」
悠真は苦笑しながら辺りを見回す。
人がいることが分かったのは収穫だ。
できれば話を聞きたかったが、あれだけ慌てて逃げられてしまっては追いかける気にもなれない。
「……さて。」
日は少しずつ傾き始めていた。
今日中に寝る場所だけは確保したい。
そう考えて川沿いを歩き始めると──
「……止まってください!」
凛とした声が森に響いた。
振り返ると、十数メートル先に三人の人影が立っている。
先ほど見かけた金髪の少女。
その前には弓を構えた青年と、槍を持った壮年の男。
二人とも真剣な表情で悠真を見据えていた。
「その刀を抜かないでください。」
青年が静かに告げる。
悠真はゆっくりと両手を上げた。
「分かった。抜くつもりはないよ。」
その言葉に、三人は少しだけ表情を緩めた。
少女が恐る恐る一歩前へ出る。
「本当に……黒狼を倒した人、なんですよね?」
「黒狼?」
「さっきの大きな狼です。」
「あぁ、あれか。」
少女はその一言を聞いて息を呑んだ。
やはり間違いない。
あの怪物を倒した本人だ。
しかも、その様子はまるで野ウサギでも追い払った程度の反応だった。
壮年の男が口を開く。
「私はエルフの村で狩人をしているガルドだ。」
「娘のリーフです。」
少女はぺこりと頭を下げた。
青年も続く。
「同じく狩人のエイン。」
悠真も軽く頭を下げる。
「神代悠真です。」
三人は顔を見合わせた。
聞いたことのない響きだった。
「……どこの国の方ですか?」
リーフが尋ねる。
悠真は少し困ったように笑う。
「それが、俺にも分からないんだ。」
「え?」
「気が付いたらこの森にいてさ。ここがどこなのかも分からない。」
その場に沈黙が流れる。
三人は嘘を見抜こうと悠真を観察する。
しかし、その表情からは戸惑いしか感じられなかった。
ガルドが弓を下ろす。
「……本当に覚えていないようだな。」
「信じてもらえるか分からないけど。」
「いや。」
ガルドは首を横に振った。
「その実力なら、嘘をつく必要がない。」
確かにそうだ。
黒狼を一瞬で倒せる者が、自分たち程度を騙す理由はない。
リーフが微笑む。
「良かったら、村へ来ませんか?」
「いいの?」
「はい。村長なら何か知っているかもしれません。」
悠真は少しだけ考える。
知らない土地。
知らない人たち。
警戒すべきなのかもしれない。
それでも、このまま森を彷徨うよりは何倍もいい。
「お言葉に甘えます。」
「では、こちらへ。」
四人は森の奥へ歩き始めた。
◇ ◇ ◇
三十分ほど歩くと、木々の隙間から小さな集落が見えてきた。
木の上に建てられた家々。
太い幹と橋で繋がれた通路。
木漏れ日に照らされるその景色は、まるで物語の中の世界だった。
「すごい……。」
思わず声が漏れる。
リーフが少し誇らしげに笑った。
「ここが私たちの村です。」
村へ入ると、多くのエルフたちが悠真へ視線を向けた。
その中には驚く者もいれば、不安そうな者もいる。
「人間だ……。」
「黒狼を倒したって本当か?」
「まさか……。」
小さなざわめきが広がる。
やがて、一人の白髪の老人が姿を現した。
長い髭を蓄え、木製の杖を持っている。
「ようこそ、お客様。」
老人は穏やかに微笑んだ。
「私はこの村の村長、エルディアと申します。」
悠真も丁寧に頭を下げる。
「神代悠真です。突然お邪魔してすみません。」
「事情は聞いております。」
エルディアは静かに頷いた。
「まずは食事でもしながら、お話を聞かせていただけますかな。」
◇ ◇ ◇
村長の家では、木の実や焼いた魚、香草の香るスープが並べられた。
「いただきます。」
悠真は久しぶりの食事に思わず笑みを浮かべる。
「美味しい。」
リーフが嬉しそうに笑った。
「よかった。」
食事を終えたあと、エルディアが切り出す。
「さて、改めてお聞きします。」
「はい。」
「あなたは本当に、この世界のことをご存じない?」
「何も分かりません。」
悠真はこれまでの出来事を包み隠さず話した。
森で目覚めたこと。
『天照』という刀。
突然得たスキル。
そして黒狼との戦い。
話を聞き終えたエルディアは、深く目を閉じた。
「……なるほど。」
「何か分かったんですか?」
「いえ。」
老人はゆっくり首を横に振る。
「ですが、一つだけ確かなことがあります。」
「?」
「あなたは、この世界の常識の外にいるお方です。」
部屋の空気が静まり返る。
「黒狼は、この森でも屈指の危険な魔物です。」
「そんなに?」
「熟練の狩人が十人いても討伐できるとは限りません。」
悠真は思わず固まった。
(え……そんなに強かったの?)
エルディアは続ける。
「それを一太刀で討ったという事実だけで十分です。」
悠真は思わず天照へ目を向ける。
(俺じゃなくて、この刀がすごいんじゃ……。)
そんなことを考えていると、エルディアが穏やかに微笑んだ。
「安心してください。」
「え?」
「あなたが望まぬ限り、このことを他国へ知らせるつもりはありません。」
その言葉に、悠真は心から安堵した。
「ありがとうございます。」
「その代わり、一つお願いがあります。」
「お願い?」
「今夜だけでも、この村に滞在していただけませんかな。」
「もちろん。」
悠真は迷わず頷いた。
「こちらこそ、お世話になります。」
その返事を聞いたリーフは、ほっとしたように笑顔を見せる。
だが、その頃。
村から遠く離れた森の奥では、一羽の黒い鳥が空へ舞い上がっていた。
その足には、小さな筒が括り付けられている。
中に入っている紙には、短くこう書かれていた。
『黒狼討伐。正体不明の刀使いを確認。』
その伝令が誰の元へ届くのか。
まだ悠真は知る由もなかった。




