第28話 深淵教団
「深淵教団……。」
悠真は、聞き慣れない名前をゆっくり繰り返した。
洞窟の地面には、先ほど男が描いた紋章が残っている。
円の中心に刻まれた、縦に割れた目。
それを見つめるレインの表情は険しかった。
「そんなに危険な組織なの?」
「……はい。」
レインは静かに頷く。
「ただし、最初に言っておきます。」
「私も詳しいことをすべて知っているわけではありません。」
「黒鴉隊なのに?」
「機密指定されている情報が多いんです。」
レインは地面の紋章を見つめた。
「私が知っているのは、王国の公式記録に残されている範囲だけです。」
◇ ◇ ◇
深淵教団。
今からおよそ二十年前。
アルディア王国の各地で活動していた、禁忌魔術の研究集団。
表向きは魔術研究を行う小さな組織だった。
しかし。
その裏では――
魔物への人体実験。
精神干渉。
生命力の強制増幅。
そして、人間と魔物の性質を融合させる研究まで行っていたとされる。
「……。」
悠真の表情から笑みが消える。
「さっきの人みたいに?」
倒れている男を見る。
身体は元の大きさへ戻りつつある。
呼吸も安定していた。
「可能性はあります。」
レインは頷いた。
「ですが、二十年前の記録に、あの黒い石そのものはありません。」
「じゃあ新しい物?」
「おそらく。」
つまり。
深淵教団が本当に関わっているのなら。
二十年前から研究が続いている。
「壊滅したんじゃなかったの?」
悠真が尋ねる。
「そのはずでした。」
レインは静かに答える。
「王国軍が拠点を発見。」
「黒鴉隊の前身となった部隊も参加し、主要構成員の多くを捕縛。」
「研究施設も破壊されました。」
「教団を率いていた人物は?」
「死亡したと記録されています。」
「……。」
悠真は地面の紋章を見る。
だったら。
今のこれは何なのか。
◇ ◇ ◇
「模倣犯って可能性は?」
悠真が尋ねる。
「あります。」
レインは即答した。
「ですから、現段階で深淵教団が復活したと断定するべきではありません。」
悠真は頷く。
「証拠は、この紋章だけだもんな。」
「はい。」
「黒い魔道具についても、教団製と確定したわけではありません。」
レインは冷静だった。
可能性と事実を分けている。
悠真はその姿を見て、少しだけ安心した。
「じゃあ。」
「まず調べるしかないか。」
「そういうことになります。」
◇ ◇ ◇
その時。
「……う。」
倒れていた男が小さく呻いた。
「起きる。」
悠真がすぐに近付く。
男はゆっくり目を開けた。
「ここ……は……。」
「動かない方がいい。」
悠真が声を掛ける。
「身体がかなり弱ってる。」
男は悠真を見る。
一瞬。
恐怖に目を見開いた。
「俺……。」
「覚えてる?」
「石を……使って……。」
「うん。」
男は自分の身体を確認する。
「生きてる……?」
「生きてるよ。」
「……。」
その目から涙が溢れた。
「俺は……。」
震える声。
「死ぬと思ってた。」
◇ ◇ ◇
悠真は水を渡す。
男は少しずつ飲んだ。
「名前は?」
「……ダリオ。」
「ダリオ。」
悠真は静かに尋ねる。
「さっきの話。」
「家族を人質に取られてるって、本当?」
ダリオは頷いた。
「妻と……娘だ。」
「どこにいる?」
「分からない。」
拳を握りしめる。
「三ヶ月前。」
「仕事から帰ったら、家に黒い封筒が置かれてた。」
中には。
妻がいつも身につけていた首飾り。
そして。
娘の髪を束ねていた赤い紐。
「……。」
リーフが口元を押さえる。
「指定された場所へ来い。」
「従わなければ家族は死ぬ。」
「そう書いてあった。」
「それから?」
レインが尋ねる。
「黒い仮面の男に会った。」
「石を渡された。」
「指定した魔物に取り付けろって。」
ダリオの声が震える。
「逆らえなかった。」
◇ ◇ ◇
「他にも同じ人がいる?」
悠真が尋ねる。
「いる。」
ダリオは答えた。
「何人?」
「分からない。」
「俺たちは互いのことをほとんど知らされない。」
「でも。」
少し考える。
「少なくとも十人以上はいると思う。」
レインの表情がさらに険しくなる。
組織的だ。
しかも。
末端の実行役にさえ情報を与えない。
捕まることを前提にした仕組みになっている。
「連絡方法は?」
「向こうから来る。」
「次の接触予定は?」
その質問に。
ダリオは少し考えた。
そして。
「……三日後。」
全員の表情が変わった。
「場所は?」
「リーベルの町から東。」
「街道沿いに廃屋がある。」
「日が沈んだ後。」
「次の石を受け取る予定だった。」
◇ ◇ ◇
レインが悠真を見る。
「これは大きい。」
「待ち伏せする?」
「本来なら王都へ応援を要請します。」
「本来なら?」
「三日では間に合わない可能性があります。」
レインは腕を組む。
王都までの距離。
通信札で情報は送れる。
だが。
部隊を派遣するには時間が必要だ。
「リーベルの衛兵は?」
悠真が尋ねる。
「協力を求めることはできます。」
「ただ。」
レインはダリオたちを見る。
「相手がどこまで情報網を持っているか分かりません。」
衛兵の中に協力者がいない保証もない。
「慎重に動くべきですね。」
◇ ◇ ◇
悠真は少し考える。
「レイン。」
「はい。」
「この人たち。」
ダリオたちを見る。
「王国に連れていったら、どうなる?」
レインは質問の意味を理解した。
「魔物を意図的に暴走させた行為自体は、罪に問われるでしょう。」
ダリオたちが俯く。
「ですが。」
レインは続けた。
「家族を人質に取られ、脅迫されていたことが証明できれば、事情は大きく考慮されます。」
「少なくとも。」
ダリオを見る。
「黒鴉隊としては、彼らを単純な犯罪者として扱うつもりはありません。」
悠真は安心したように頷いた。
「よかった。」
ダリオが顔を上げる。
「……なぜ。」
「ん?」
「俺たちは魔物を暴れさせた。」
「村だって襲われた。」
「なのに。」
「どうして俺たちまで助けようとする。」
悠真は少し考えた。
「悪いことをしたのは事実だと思う。」
「……。」
「でも。」
悠真はダリオを見る。
「家族を助けたくて、どうしようもなかったんだろ?」
ダリオは唇を噛む。
「だったら。」
悠真は静かに笑った。
「まず家族を取り戻してから、ちゃんと向き合えばいい。」
「……。」
ダリオは俯いた。
地面へ。
ぽたり。
涙が落ちた。
◇ ◇ ◇
その後。
母親ロックベアの治療を終えた悠真たちは、洞窟の外へ出た。
ダリオたち三人も同行する。
レインが一時的に身柄を預かることになった。
「きゅぅ。」
フェルルが悠真の肩へ乗る。
「疲れた?」
「きゅ。」
「俺も。」
悠真は苦笑する。
今日は調査だけのはずだった。
なのに。
気付けば。
魔道具。
襲撃者。
人間の暴走。
深淵教団。
人質。
三日後の接触。
「スローライフ……。」
小さく呟く。
リーフが隣で笑う。
「また遠ざかりましたね。」
「言わないで。」
◇ ◇ ◇
湖畔へ戻る頃には。
すっかり夕方になっていた。
ダリオたちは一時的にエルフの村で保護する。
エルディアには事情を説明した。
もちろん。
村の場所を外部へ漏らさないことを条件に。
「さて。」
悠真は家へ戻る。
玄関を開ける。
「ただいま。」
「きゅ!」
フェルルが家の中へ飛び込んでいく。
悠真も後に続く。
その時。
「……?」
テーブルの上に。
何かが置かれていた。
「これ。」
リーフも気付く。
黒い封筒。
悠真は動きを止めた。
「朝はなかったよね?」
「ありませんでした。」
レインの手が剣へ伸びる。
「触らないでください。」
三人で周囲を確認する。
窓。
扉。
床。
荒らされた形跡はない。
誰かが。
悠真たちの留守中に。
この家へ入り。
置いていった。
「……。」
レインが布越しに封筒を開く。
中には。
一枚の紙。
そこに書かれていたのは。
たった一文だった。
『神代悠真。これ以上、我々の邪魔をするな。』
そして。
その下には。
円の中心に縦に割れた目。
深淵教団の紋章。
悠真はしばらく無言で紙を見つめた。
自分の名前を。
知っている。
住んでいる場所も。
知っている。
「悠真さん……。」
リーフの声には不安が滲んでいた。
悠真は紙から視線を上げる。
湖畔。
自分で建てた家。
畑。
石窯。
風呂。
ようやく手に入れた。
自分の居場所。
そこへ。
誰かが勝手に入った。
そして。
大切な人たちのすぐ近くまで来た。
「……警告する相手を。」
悠真は静かに呟く。
その声には。
これまでほとんど見せたことのない感情が混じっていた。
「間違えたな。」
レインが悠真を見る。
怒鳴っているわけではない。
殺気を放っているわけでもない。
それなのに。
空気が。
僅かに冷たく感じられた。
悠真は黒い封筒を見つめる。
自分から争いを求めるつもりはない。
英雄になるつもりもない。
だが。
ここは。
守ると決めた場所だ。
「三日後。」
悠真はレインを見る。
「俺も行く。」
「廃屋へ。」
レインは静かに頷いた。
「分かりました。」
穏やかな生活を守るため。
悠真は初めて。
自分を狙う者と正面から向き合うことを決めた。




