第25話 ロックベアの山へ
翌朝。
まだ空が白み始めたばかりの頃。
悠真は家の前で荷物を確認していた。
「水。」
「食料。」
「薬草。」
「布。」
「よし。」
収納があるとはいえ、必要な物を把握しておく癖は残っている。
「きゅぅ。」
フェルルが足元へやって来る。
「おはよう。」
抱き上げると、そのまま肩へ乗った。
少し遅れて、森の向こうからレインが姿を現す。
「おはようございます。」
「おはよう。」
今日はいつもの旅装束ではない。
動きやすそうな黒い革鎧。
腰には剣。
胸元には小さな黒い鳥を模した徽章が付いていた。
「それが黒鴉隊の格好?」
「任務時の軽装です。」
「へぇ。」
悠真は珍しそうに見る。
「やっぱり本当に王国の人だったんだな。」
「まだ疑っていたんですか?」
「少しだけ。」
レインは苦笑した。
◇ ◇ ◇
そこへリーフもやって来た。
弓を背負い、小さな荷物を持っている。
「おはようございます。」
「おはよう。」
悠真は少し驚く。
「リーフも来るの?」
「もちろんです。」
「でも今回は調査だよ。」
「だからです。」
リーフは真剣な表情になる。
「ロックベアの場所は私も知っています。」
「それに。」
少し間を置く。
「この森のことなら、レインさんより私の方が詳しいです。」
「それは否定できませんね。」
レインが素直に頷いた。
悠真は少し考え。
「危なくなったらすぐ下がる。」
「はい。」
「絶対に無茶しない。」
「はい。」
「約束。」
「約束します。」
それを聞いて、悠真も頷いた。
「じゃあ行こう。」
◇ ◇ ◇
森へ入る。
目的地は以前、ロックベアの親子と出会った山間部。
歩き慣れた道を進みながら、レインが口を開いた。
「昨日、王都から追加情報が届きました。」
「黒い石について?」
「はい。」
レインは頷く。
「正式名称はまだ不明です。」
「ですが。」
「装着された魔物の精神へ干渉し、怒りや恐怖を増幅させる働きがあることは確認されました。」
「やっぱり。」
悠真の表情が曇る。
「オーガは操られてたってこと?」
「完全な支配ではありません。」
レインが説明する。
「元々持っている感情を極端に増幅させる。」
「例えば警戒心の強い魔物なら、近付くもの全てを敵と判断するようになる。」
「なるほど。」
悠真は前回のロックベアを思い出す。
子どもを守っていた母親。
もし。
あの時の警戒心が、誰かによって強められていたとしたら。
「……嫌な話だな。」
思わず呟く。
◇ ◇ ◇
一時間ほど歩いたところで。
フェルルが突然耳を立てた。
「きゅ。」
「どうした?」
フェルルは森の左側を見る。
悠真も気配察知を使う。
「……いる。」
「魔物ですか?」
リーフが弓へ手を掛ける。
「いや。」
悠真は少し首を傾げる。
「小さい気配が三つ。」
その直後。
茂みから三頭の小鹿が飛び出してきた。
「鹿?」
だが。
様子がおかしい。
三頭とも悠真たちには目もくれず、必死に森を走り抜けていく。
「逃げていますね。」
レインの声が低くなる。
「何かから。」
悠真は鹿が来た方向を見る。
気配察知を広げる。
しかし。
大きな魔物の気配はない。
「何もいない。」
「それが余計に気になります。」
レインが呟いた。
◇ ◇ ◇
さらに奥へ進む。
すると。
「……。」
悠真が足を止めた。
「どうしました?」
「匂い。」
微かに。
焦げたような臭いがする。
リーフも鼻を動かす。
「確かに。」
三人は慎重に進む。
やがて。
一本の木が見えてきた。
幹の一部が黒く焼け焦げている。
「雷?」
悠真が尋ねる。
リーフは首を横に振った。
「最近、この辺りで雷はありません。」
レインがしゃがみ込む。
焦げた木の根元。
そこに。
小さな穴が空いていた。
「何かを差し込んだ跡ですね。」
「魔道具?」
「可能性があります。」
周囲を調べる。
しかし、黒い石は見つからない。
代わりに。
「これ。」
悠真が地面から何かを拾い上げた。
細い金属片。
先端には、赤黒い模様が刻まれていた。
「触らないで。」
レインがすぐに布を取り出す。
金属片を包む。
「黒い石と同じ模様です。」
「じゃあ。」
悠真は周囲を見回す。
「誰かがここに来たってことだよな。」
「そう考えるのが自然です。」
レインの表情が険しくなる。
これはもう。
魔物が偶然拾ったものではない。
誰かが意図的に設置している。
その可能性が、一気に高まった。
◇ ◇ ◇
昼前。
ようやく目的の山間部へ到着する。
「この先です。」
リーフが声を潜める。
以前。
ロックベアの親子が暮らしていた場所。
悠真は懐かしさを覚えながら岩場を進む。
「元気だといいけど。」
「きゅぅ。」
フェルルも周囲を気にしている。
やがて。
洞窟が見えた。
「……。」
悠真の表情が変わる。
洞窟の入口が荒れている。
大きな岩が砕け。
地面には無数の足跡。
「ここで何かあった。」
三人は急いで近付く。
「ロックベア!」
悠真が洞窟の中へ呼び掛ける。
返事はない。
気配察知。
「……いる。」
一つ。
二つ。
三つ。
生きている。
「中だ。」
悠真が洞窟へ入る。
そして。
「……っ。」
思わず息を呑んだ。
奥で母親のロックベアが倒れていた。
身体にはいくつもの傷。
その傍らで。
二頭の子どもが寄り添っている。
「クゥ……。」
子熊の一頭が弱々しく鳴いた。
悠真はすぐに駆け寄る。
「大丈夫。」
母親は息をしている。
だが。
かなり弱っていた。
「何があったんだ……。」
レインも周囲を見る。
「戦闘の跡があります。」
「別の魔物?」
「いえ。」
地面に残る痕跡を見て、レインの表情が変わる。
「これは武器の跡です。」
「武器?」
「刃物。」
「それと。」
少し離れた岩壁。
そこには矢が一本突き刺さっていた。
「人間……?」
悠真の声が低くなる。
◇ ◇ ◇
「きゅっ!」
フェルルが突然鳴いた。
母親ロックベアの首元へ近付く。
「また?」
悠真もすぐに確認する。
だが。
黒い石はない。
代わりに。
首の毛が一部削られている。
紐の跡。
何かを付けられていた。
そして。
その紐は。
切られていた。
「持っていかれた?」
レインが呟く。
「証拠を回収した可能性があります。」
「じゃあ。」
悠真は母親ロックベアを見る。
「こいつを暴れさせて。」
「あとから回収しに来た?」
誰も答えられない。
しかし。
状況はそう考えるのが一番自然だった。
◇ ◇ ◇
「今は治療が先。」
悠真は収納から薬草と布を取り出す。
傷を洗う。
生活魔法の浄化を弱く使う。
「これ、嫌だったらごめんな。」
母親ロックベアは薄く目を開ける。
悠真を見る。
以前。
魚を渡した時と同じ目。
敵意はない。
「大丈夫。」
「もう何もしない。」
悠真は静かに傷の手当てを続ける。
リーフも手伝う。
「この傷なら、ちゃんと休めば助かると思います。」
「よかった。」
子熊たちも悠真の周囲へ集まってくる。
一頭が服の裾を咥えた。
「大丈夫だよ。」
頭を撫でる。
「お母さんは生きてる。」
「クゥ……。」
◇ ◇ ◇
その時。
レインが洞窟の入口で手を上げた。
「静かに。」
全員の動きが止まる。
「誰かいます。」
悠真も気配察知を使う。
「……三人。」
かなり近い。
ゆっくり。
こちらへ近付いている。
「村人ではありません。」
リーフが小さく呟く。
足音。
金属が擦れる音。
そして。
男の声。
「まだ生きてるか?」
「確認してから始末する。」
悠真の表情が変わった。
レインも剣へ手を掛ける。
洞窟の入口。
三人の男が姿を現した。
全員。
灰色の外套を身にまとっている。
その胸元には。
見覚えのない紋章。
そして一人の手には。
赤黒い模様を刻まれた黒い石が握られていた。
「……。」
悠真はゆっくり立ち上がる。
男たちも足を止めた。
「あ?」
先頭の男が悠真を見る。
「誰だ、お前。」
悠真は答えなかった。
代わりに。
男の手にある黒い石を見つめる。
間違いない。
オーガに付けられていた物と同じもの。
「それ。」
悠真の声から。
いつもの柔らかさが消えていた。
「どこで手に入れた?」
男は一瞬だけ黙り。
やがて。
薄く笑った。
「お前には関係ない。」
その瞬間。
悠真の中で一つだけ、はっきりした。
魔物の異変は。
自然現象ではない。
誰かが。
意図的に引き起こしている。
そして今。
その当事者が。
目の前にいる。




