第21話 異変の森
夕暮れの森を、四つの影が進んでいた。
先頭を歩くのはリーフ。
そのすぐ後ろを悠真とフェルルが続き、最後尾をレインが警戒しながら歩いている。
「隣の集落までは、あとどれくらい?」
悠真が尋ねる。
「普段なら一時間半くらいです。」
リーフは前を向いたまま答えた。
「でも、暗くなってきましたから……もう少しかかると思います。」
「分かった。」
悠真は空を見上げる。
木々の隙間から見える空は、すでに濃い紫色へ変わり始めていた。
あと三十分もすれば、森は完全な闇に包まれるだろう。
「急ぎたいところだけど。」
悠真は足元へ視線を落とす。
「焦って怪我したら意味ないしな。」
「そうですね。」
レインが頷いた。
その表情は、普段よりずっと真剣だった。
◇ ◇ ◇
さらに森を進む。
やがて。
「……変ですね。」
リーフが突然立ち止まった。
「どうした?」
「静かすぎます。」
その言葉を聞いて、悠真も周囲へ意識を向ける。
確かに。
鳥の声がしない。
虫の音もない。
風で木々が揺れる音だけが、不気味なほど大きく聞こえる。
「きゅ……。」
フェルルも悠真の肩の上で身体を低くした。
「何かいる?」
「きゅ。」
小さく鳴く。
悠真は気配察知を発動する。
意識を周囲へ広げていく。
一つ。
二つ。
三つ。
いや。
「……多いな。」
「分かるんですか?」
レインが尋ねる。
「正確な数までは。」
悠真は森の奥を見る。
「でも、この先に十……いや、それ以上いる。」
リーフの顔色が変わった。
「そんなに……。」
レインは悠真を横目で見る。
(この距離から十以上の気配を……?)
自分には何も感じ取れない。
黒鴉隊でも、これほど広範囲を正確に感知できる者はほとんどいない。
また一つ。
悠真の異常な能力を直接目にすることになった。
◇ ◇ ◇
「迂回しましょう。」
レインが提案する。
「集落へ向かうのが目的です。」
「無用な戦闘は避けた方がいい。」
「俺もそう思う。」
悠真は迷わず頷いた。
倒せるかどうかではない。
今は一刻も早く、ミーナの家族や村人たちの安否を確認することが最優先だ。
「リーフ。」
「別の道は?」
「あります。」
リーフは少し考える。
「南側の沢を回れば、集落の裏側へ出られます。」
「それで行こう。」
◇ ◇ ◇
三人は進路を変えた。
だが。
十分ほど歩いたところで、フェルルが突然鳴いた。
「きゅっ!」
「止まって。」
悠真が右手を上げる。
全員が足を止める。
ガサッ。
右側の茂みが揺れた。
続いて左。
前方。
そして後方。
「囲まれましたね。」
レインが静かに剣を抜く。
リーフも弓へ矢を番えた。
暗い森の中。
いくつもの赤い光が浮かび上がる。
瞳だった。
「グルルル……。」
姿を現したのは、狼型の魔物。
だが以前倒した黒狼よりずっと小さい。
それでも普通の狼よりは一回り大きく、口元には鋭い牙が並んでいる。
一頭。
二頭。
五頭。
十頭。
次々と姿を現す。
「フォレストウルフ……。」
リーフが呟く。
「こんな大群、見たことありません。」
悠真は狼たちを観察する。
どの個体も落ち着きがない。
唸り。
地面を掻き。
何かに怯えるように周囲を見回している。
(……おかしい。)
悠真は天照へ手を掛けた。
しかし、抜かない。
「レイン。」
「はい。」
「まだ攻撃しないで。」
レインは一瞬だけ悠真を見る。
「理由を聞いても?」
「こいつら。」
悠真は狼たちを見つめた。
「俺たちを狩ろうとしてるように見えない。」
「……。」
「むしろ。」
その瞬間。
森の遥か奥から。
――ドォォォン!!
低い轟音が響いた。
地面が微かに揺れる。
「なに!?」
リーフが驚いて振り返る。
同時に。
「キャウン!」
狼たちが一斉に身体を震わせた。
そして悠真たちへの警戒も忘れたように、反対方向へ逃げ始める。
「え……?」
あっという間だった。
十数頭のフォレストウルフは、森の闇へ消えていった。
レインが剣を下ろす。
「今の音から……逃げた?」
「多分。」
悠真は音のした方角を見つめる。
嫌な感覚があった。
「リーフ。」
「今の方向って。」
リーフの顔色は青ざめていた。
「……集落の方です。」
◇ ◇ ◇
そこからは急いだ。
走れる場所では速度を上げる。
沢を越え。
木々の間を抜け。
リーフの案内を頼りに進んでいく。
やがて。
「見えました!」
森の向こうに、小さな灯りが見える。
集落だ。
だが。
「……煙?」
悠真の表情が変わる。
黒い煙が上がっていた。
「そんな……。」
リーフが駆け出そうとする。
「待って!」
悠真が腕を掴んだ。
「でも!」
「まだ何がいるか分からない。」
悠真は気配察知を最大限まで広げる。
集落の中。
人の気配。
かなり多い。
生きている。
「村の人たちはいる。」
「本当ですか!?」
「うん。」
その言葉に、リーフは少しだけ安堵する。
しかし。
悠真の表情は険しいままだった。
「ただ……。」
「何です?」
レインが尋ねる。
「一つだけ。」
悠真は集落の奥へ視線を向ける。
「明らかに違う気配がある。」
重い。
これまで感じた黒狼とも。
ロックベアとも違う。
何より。
その気配から感じるものは、警戒ではなかった。
明確な――敵意。
「フェルル。」
「きゅ……。」
フェルルの白い毛が逆立っている。
「リーフ。」
「はい。」
「村の人たちのところへ行って。」
「でも悠真さんは?」
悠真は天照を包んでいた刀袋を静かに外した。
黒い鞘が姿を現す。
「俺は。」
集落の奥を見る。
「先に、あいつが何なのか確認する。」
「一人で!?」
「俺も行きます。」
レインが即座に言った。
悠真は首を横に振る。
「レインはリーフを守って。」
「……。」
「目的は魔物を倒すことじゃない。」
悠真は真っ直ぐレインを見る。
「村の人たちを助けることだから。」
その言葉に、レインは何も返せなかった。
数秒後。
静かに剣を納める。
「……分かりました。」
「リーフさんは任せてください。」
「ありがとう。」
悠真は微笑んだ。
「フェルルも二人と――」
「きゅ!」
フェルルが悠真の肩へしがみつく。
「……一緒に来るの?」
「きゅぅ!」
断固として離れる気はないらしい。
悠真は苦笑した。
「分かった。」
「絶対に無茶するなよ。」
「きゅ。」
◇ ◇ ◇
集落へ入る。
何軒かの家が壊されていた。
煙は燃え広がっているものではなく、倒された焚き火や壊れた倉庫から上がっているようだった。
村人たちは広場へ集まり、負傷者の手当てをしている。
「リーフ!?」
一人のエルフが驚いた声を上げた。
「皆さん!」
リーフはすぐに駆け寄る。
「ミーナは無事です!」
「今、私たちの村にいます!」
その言葉を聞いた瞬間。
一人の男がその場へ崩れ落ちた。
「ミーナ……。」
「よかった……!」
ミーナの父親だった。
生きていた。
リーフの目にも涙が浮かぶ。
「お父さんも無事だって、ミーナに伝えます。」
◇ ◇ ◇
その様子を確認すると。
悠真は一人、集落の奥へ進んだ。
「……。」
地面には巨大な足跡。
一歩ごとに、土が深く抉れている。
「熊じゃないな。」
鑑定を使おうにも、対象が見えなければ意味がない。
足跡を追う。
そして。
集落の裏手。
大きな岩壁の前へ出た。
そこには。
巨大な影が立っていた。
身長は四メートル近い。
黒褐色の皮膚。
太い腕。
頭から伸びる二本の角。
手には、まるで木の幹をそのまま削ったような巨大な棍棒。
「……鬼?」
悠真が呟く。
その瞬間。
巨大な魔物がゆっくり振り返った。
黄色い瞳が悠真を捉える。
「グォォォ……。」
空気が震える。
悠真は静かに鑑定を発動した。
──────────
名称:オーガ
種族:亜人型魔物
危険度:A
状態:異常興奮
──────────
「A……。」
初めて見る表示だった。
黒狼を倒した時は、魔物そのものを鑑定していなかった。
だから危険度の基準も分からない。
だが。
問題はそこではなかった。
状態:異常興奮
「やっぱり……。」
フォレストウルフも。
このオーガも。
何かがおかしい。
オーガが棍棒を振り上げる。
「グオォォォォォッ!!」
咆哮が森を揺らす。
悠真は天照の柄へ右手を掛けた。
「話し合いは……。」
一歩。
腰を落とす。
「無理そうだな。」
フェルルが肩から飛び降り、少し離れた岩の上へ移動する。
「きゅ!」
「そこにいて。」
悠真は静かに息を吐いた。
これまでとは違う。
ロックベアの時のような、家族を守るための敵意ではない。
理性を失い。
ただ暴れている。
そして背後には、守らなければならない人たちがいる。
「悪いけど。」
天照が、ゆっくりと鞘から抜かれる。
月明かりを受けた刃が、淡く輝く。
「ここから先には行かせない。」
次の瞬間。
巨大な棍棒が、悠真目掛けて振り下ろされた。




