第19話 旅人と焼きたてのパン
「失礼します。」
レインは軽く頭を下げながら家へ入った。
前に訪れた時よりも、家の中はずっと生活感が増している。
木製の棚。
食器が並んだ台所。
大きな鍋。
そして窓から見える畑。
「また少し変わりましたね。」
「少しずつ暮らしやすくしてるんです。」
悠真は笑いながら答えた。
「完成なんてないですけどね。」
「それも楽しそうです。」
レインは素直にそう思った。
旅を続ける自分には、帰る家というものがない。
だからこそ、この湖畔の家がどこか羨ましく感じられた。
◇ ◇ ◇
「ちょうど焼き上がったところです。」
悠真は木皿へ焼きたてのパンを並べる。
表面は香ばしい焼き色。
割ると湯気が立ち上る。
「どうぞ。」
「ありがとうございます。」
レインは一口かじった。
「……。」
思わず言葉を失う。
外は香ばしく、中は驚くほど柔らかい。
噛むたびに小麦の甘みが広がっていく。
「美味しいです。」
「本当に。」
リーフも笑顔で頷いた。
「昨日食べたパンとは全然違います。」
「焼きたては格別だからね。」
悠真はそう言って、自分もパンを頬張る。
「うん。」
満足そうに笑った。
◇ ◇ ◇
「そういえば。」
レインがパンを食べながら尋ねる。
「町は楽しめましたか?」
「すごく。」
悠真は嬉しそうに答える。
「買い物もできたし、いい鍛冶師さんにも会えた。」
「鍛冶師?」
「グランさんっていう人。」
その名前を聞いた瞬間。
レインの表情がわずかに変わる。
「……グラン、ですか。」
「知ってるんですか?」
「王都でも有名な鍛冶師でした。」
「やっぱりすごい人なんだ。」
「今は隠居されていますが。」
レインは静かに微笑んだ。
「腕は間違いなく国内最高峰です。」
悠真は思わず納得した。
「だからあんなに道具が使いやすいんだ。」
「道具?」
「料理用の小刀をもらったんです。」
「……。」
レインは少し驚く。
(グラン殿が、人へ道具を贈るなんて。)
それだけで、老人が悠真を認めたことが分かった。
◇ ◇ ◇
食後。
レインは家の周囲を散歩していた。
「見てもいいですか?」
「もちろん。」
畑には様々な野菜が育っている。
湖の水を引いた水路。
薪置き場。
石窯。
どれも丁寧に整えられていた。
「全部、一人で?」
「リーフにもたくさん手伝ってもらいました。」
「少しだけですよ。」
リーフは照れ笑いを浮かべる。
「ほとんど悠真さんです。」
レインは感心したように頷いた。
「本当に器用なんですね。」
「趣味みたいなものです。」
「家づくりが趣味……。」
レインは思わず苦笑した。
普通の旅人なら、こんな発想にはならない。
◇ ◇ ◇
その時だった。
「きゅ!」
フェルルが突然鳴いた。
耳をぴんと立て、森の方を見ている。
「どうした?」
悠真もそちらを見る。
「……誰かいる。」
「え?」
リーフが弓へ手を伸ばく。
レインも自然と周囲を警戒する。
森の奥。
木々の間から、小さな影がゆっくり姿を現した。
まだ十歳にも満たないだろうか。
薄緑色の髪をした、小柄なエルフの少女だった。
服は泥だらけ。
肩で息をしている。
「た、助けて……。」
その一言を言い終える前に。
少女はその場へ倒れ込んだ。
「!」
悠真はすぐに駆け寄る。
「大丈夫!?」
熱はない。
呼吸もある。
ただ、かなり衰弱しているようだった。
リーフの顔色が変わる。
「この子……。」
「知ってるの?」
「隣の集落の子です。」
「隣?」
「私たちの村とは別の、小さなエルフの集落があります。」
悠真は少女を抱き上げる。
「まずは家へ。」
「はい!」
レインもすぐに扉を開ける。
「こちらへ。」
◇ ◇ ◇
ベッドへ少女を寝かせる。
悠真は生活魔法で水を用意し、少しずつ飲ませた。
「ゆっくりでいい。」
少女は震える手で木のコップを持つ。
「ありがとう……。」
少し落ち着いたところで、リーフが優しく尋ねた。
「何があったの?」
少女は唇を噛みしめる。
そして、小さな声で答えた。
「村が……。」
「魔物に襲われたの。」
部屋の空気が、一瞬で張り詰めた。
「お父さんたちが、みんな戦ってる……。」
その言葉を聞いた悠真は、静かに少女の手を握る。
「大丈夫。」
優しい声だった。
「落ち着いて、ゆっくり話して。」
少女は何度も涙を拭いながら頷く。
その様子を見つめるレインの表情も、いつになく真剣だった。
穏やかな湖畔に。
新たな出来事の足音が、静かに近付いていた。




