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悪夢

 悪夢の終わり際に見た長い髪の毛が、私の顔面に蛇のようにじわりじわりと絞り上げるように巻きついていくところで目が覚めた。だけど身体が動かない。押し潰されるような気配にただならぬ嫌悪感と恐ろしさを感じる。怖くて眼を開けられない。見てしまったら最後。寝たふりを決め込もう。でも何故か確認せずにはいられなかった。恐る恐る薄目を開くと私が私を見下ろしていた。その長い黒髪が舞ではないと物語っている。ドッペルゲンガーとかいうヤツだろうか……。


 そんな思考を遮るように何かが割れる音が頭の中に鳴り響いた。今まで生きてきた中で聴いたことのない衝撃音だ。鼓膜が震えて聴こえた音じゃない。まさに私の頭の中だけに鳴り響いた音。続いて耳鳴りがした。キィーンという音以外に何も聞こえない。そして水中に沈められたかのように溺れ、眼を見開き口から水を吐き出した。見下ろす私の顔に赤い飛沫が飛んだ。


 見下ろす私は表情を一切変えることなく、その長い黒髪は私の顔面に落ちてきて私の視界を塞いだ。すぐさま衝撃は私の顔面を襲った。意識が薄れていくなか黒髪の隙間から見えたのはショートボブの私……いや、舞だった。舞が枕元に仁王立ちして見下ろしている。足の裏が私の顔面を踏み付けようとしている。私は反射的に頭を反らすと、踏み抜いた舞の脚が私の頬を掠めマットレスの反動で上半身が浮き上がる。


 私の意識が完全に戻ると激痛が襲った。私は顔面を押さえ身を丸くして叫んだ。髪の毛を掴まれ頭が持ち上がる。


 もう嫌だ、助けて誰か助けて! 恐怖からなのか、痛みからなのか、わからないがうまく声が出ない。階段を駆け上がってくる足音。きっとお母さんだ。お母さんは何か叫んだが、興奮した金切り声は日本語になっていなかった。私の頭が枕に落とされた。


「……さ、桜から……離れな、さい……」


 お母さんの上擦った喉から溢れる台詞は何かを案じていた。私にはどうすることもできない。ただただ顔面を防御しこれ以上危害を加えられないことを祈るばかり。信じたことも見たこともない神様に祈るだけ……。


 雄叫びが聴こえた。それは神の咆哮に違いなかった。お父さんが帰ってきていたのだ。舞が私から引き剥がされる。舞の叫びが顔面の中をつんざく。獣のような、悪魔のような叫び。


 ここは地獄だろうか。生きた心地がしない。死んでいるのだろうか。いや、死んでいない。だってこんなにも痛いのだから。痛いを通り越して、ぼおっとしてきた。


「桜っ! 行くわよ! 立ちなさい!」


 お母さんに肩を抱かれ引き摺られるようにして部屋を出る時も舞は叫び続けていた。その叫び声はとてつもなく悍ましく、きっとこれを聴き続けていたら精神崩壊を起こして数時間後おかしくなって死んでしまうだろう。


「ちょっと待ってて」


 玄関で待っているとバスタオルを渡された。受け取る時、自分の手が真っ赤になっているのを見た途端また気を失いかけた。でも二階から鳴り続ける叫び声が正気を取り戻させる。そしてお母さんは涙を流し、痛々しく顔を歪め、私の鼻に触れぬよう慌てて血を拭う。


 私の顔面はどうなっているのだろうか。あっという間にバスタオルが真っ赤に染まるのを見て只事ではないと悟った。


 靴を履かせてもらい、肩を抱かれ、車の助手席に誘導される。お母さんが運転席に乗り込みエンジンをかけると、二階の窓ガラスが割れる音がして、車のルーフに鈍い衝撃音が鳴った。私は舞が二階から車に飛び乗ってきたのかと思い、身を伏せて叫んだ。


 焦るお母さんはアクセルを踏んでいるがエンジンが唸るだけ。ギアが入っていない。お母さんが慌ててギアを入れると車が急発進して塀にぶつかった勢いで、ボンネットの上にあったであろう参考書が滑り落ちる。車は側面をガリガリと塀に擦り付けながら悪夢のような現実からやっとのことで抜け出した。


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