名残
夜風を感じながら歩いていると、駅前の本屋が見えてきた。
ふと視線が吸い寄せられる。
ガラス越しに新刊の案内が大きく並んでいて。 愛読しているシリーズの続刊が出るころだった。
ほんの一瞬、横目で見ただけだった。
だが。
「寄りますか?」
隣から声がした。
「え?」
顔を上げると、豊島が紗奈を見ていた。
「気になる本があるのでは?」
どうやら見られていたらしい。
「いえ、そこまでは……」
付き合わせるのも申し訳なくて否定する。
「通り道ですし、電車の時間もまだありますよ」
そう言われると本当は気になっていた。
「じゃあ少しだけ」
そう答えると、
「そうしましょう」
豊島は当たり前のように本屋へ向かった。
店内へ入る。紙とインクの匂い。
「私は新刊の方を見てきます」
「ええ、俺はスポーツ誌の辺りにいます」
互いに頷き、それぞれの棚へ向かう。
気になっていた新刊をチェックし終えたところで、満足して顔を上げる。
少し離れたスポーツコーナー。
豊島が真剣な顔で野球雑誌をめくっていた。
その横顔に見惚れてしまい慌てて会計へ向かった。
本屋を出る頃には、すっかり日も傾いていた。
結局、紗奈は気になっていた新刊を一冊購入し、豊島は分厚い図鑑を買った。
「分厚いですね」
駅へ向かいながら言うと、
「はい、野球選手名鑑です。去年のは持ってるんですけど、これはまだ買ってなかったので」
思わず笑いそうになる。
「毎年、購入するんですか?」
「します」
即答し、豊島は珍しく少しだけ熱を帯びた口調になる。
「年齢も変わりますし、移籍もあります。新外国人も入りますし、成績も更新されます」
「はあ」
「写真も変わります」
よく分からないが豊島は大真面目だった。
「今年のは特に面白かったです」
「面白い?」
「期待の若手が増えていたので」
まるで有望な新人作家を語る読書家のようだ。
「あとドラフト下位の選手も載っているので」
「覚えるんですか?」
「覚えます」
また即答だった。
紗奈はとうとう吹き出した。
「全部?」
「全部は無理です」
さすがにそこまではしないらしい。少し安心する。
「でも見ていると大体は覚えますね」
「あ、それは分かります。私も将棋の棋士は何十人と言えますね」
「好きだとそうなりますよね」
「確かにそうでした」
紗奈は笑いながら同意した。
駅までの道はあっという間だった。
豊島と共に電車を降りる。自宅の最寄り駅だ。
街灯が歩道を照らしている。
横を歩きながら、紗奈は買ったばかりの本が入った袋を見下ろした。
今日は思っていた以上に充実した休日だった。
野球観戦をして。
ファミレスでご飯を食べて。
本屋にも寄った。
そろそろ本当にさよならだ。
そんなことを考えていた時だった。
「石村さん」
「はい?」
豊島が前方を見たまま言う。
「今日、お迎えは?」
「あ、今日は頼んでないですね。まだそんなに遅い時間じゃありませんし」
「そうなんですね、ご自宅までどれくらいかかるんですか」
予期せぬ質問だった。
「えっと大体、駅から歩いて十五分くらいですね」
「そうなんですね」
そこで会話は終わった。そう思った。
しかし、別れる場所が近づいてきても、豊島はそちらへ向かう様子がなかった。
むしろ自然な足取りで隣を歩いている。
紗奈は首を傾げた。
「あの」
「はい」
「豊島さん、あちらでは?」
指差す。
「ええ」と頷く豊島さん。
「でも、もう暗いので」
さらりと続ける
「途中まで送ります」
まるで最初から決まっていたことのように自然に言う。
紗奈は一瞬言葉を失う。
「えっ、大丈夫ですよ?」
「ええ、それは分かっているんですが。自分が心配なので送らせてください」
豊島は紗奈を見つめて淡々と続けた。
能力が静かに浮かぶ。
【豊島の感情推定:名残惜しさ】
紗奈は思わず息が詰まりそうになった。
(……え?)
思わず二度見する。
淡い文字は消えない。
胸がどくりと鳴った。
豊島はいつも通りだった。
真面目な顔で隣を歩いている。
少しだけ今日のこの時間が終わるのが惜しかった。
そう思っていたのは私だけじゃなかったのかもしれない。
「……じゃあお願いします」
小さく礼を言う。
豊島は少しだけ不思議そうな顔をした。
「気にしないでください、自分がしたいだけなので」
そう返して歩き始める。
街灯の下。
並んだ影がゆっくり伸びていた。
紗奈は買った本の袋を抱え直す。
家までの道が、今日はいつもより早く感じられた。




