波
試合終了後。
球場から駅へ向かう人の波は凄まじかった。
改札を抜けても人、人、人。 ホームもぎゅうぎゅうで、到着した電車へ押し込まれるように乗り込む。
「すごいですね……」 思わず呟く。
「試合後はいつもこんな感じです」 隣の豊島さんが答えた。
車内はほとんど身動きが取れない。 吊り革どころか、手を上げる余裕もないほどだった。
百花ちゃんたちは少し離れた場所へ流されてしまっている。
発車のベルが鳴る。
その瞬間だった。
電車が揺れる。
「っ」
圧が。
後ろから乗客の体重が一気に掛かってきた。
踏ん張ろうとしたが無理で。
前へ倒れそうになる。
その時、軽く肩を流された。
気付くと、車両の壁と豊島さんに挟まれるような形になっていた。
「……大丈夫ですか」
すぐ耳元近くで低い声がした。
顔を上げると、豊島さんが片腕を車両の壁につき、私の前にいた。
周囲から押される人の流れを、巧く受け止めてくれている。
そのおかげで私はほぼ影響を受けていない。
けれど、その代わり。
近い。
近すぎる。
シャツ越しに伝わる体温。 電車が揺れるたびに感じる熱。
ふわりと鼻先を掠めるのは、石鹸の香りと、どこか落ち着く匂い。
胸の奥が騒がしくなる。
「石村さん?」
「だ、大丈夫です」
小声で聞かれ慌てて答える。
ただ、人混みの喧騒だけが流れていく。
行き場のない視線を窓へ向ける。
電車がカーブに入る。再び大きく揺れた。
豊島さんの腕に力が入る。
私の心臓はうるさい程に鳴っていた。
吐き出されるように電車を降りる。
「はぁ……」
思わず息を吐く。
ホームの空気がやけに涼しく感じた。
あれだけ人に囲まれていたのだ。 解放感も大きい。
「大丈夫ですか」
隣から声がした。
「はい」
頷く。
本当は全然大丈夫ではない。
心臓がまだ落ち着いていない。
豊島さんはそんな私の内心など知らず、 いつも通りの顔で周囲を見回した。
「八代たちは前の車両でしたかね」
「そうかもしれません」
人の流れに乗りながら改札へ向かう。
少し進んだところで、
「あっ!」
聞き慣れた声が響いた。
「紗奈さーん!」
百花ちゃんだった。
人混みの向こうで大きく手を振っている。
その隣には八代さん。
さらに豊島さんの会社の人たちもいた。
「良かったー!」
百花ちゃんが駆け寄ってくる。
「途中で見失ったので心配しました!」
「大丈夫だよ」
「人、すごかったですね!」
「うん、すごかった」
思い出しただけで肩の力が抜ける。
「じゃあ、ここで解散だな」
八代が周囲を見回しながら言った。
「ですねー」 百花ちゃんも少し名残惜しそうに頷く。
球場からの帰り客で駅はまだ賑わっている。
それでも全員が揃ったことで、どこかほっとした空気が流れていた。
「今日はありがとうございました」
「ありがとうございました」
百花ちゃんと共にぺこりと頭を下げる。
「すごく楽しかったです!」
「良かったです」
豊島さんが短く返す。
「じゃあ俺たちはこっちなんで」
八代たちが別方向を指す。
「お疲れさまでした!」
百花ちゃんもまた元気よく手を振る。
「お疲れさま」「またー」
挨拶を交わし、それぞれの帰路へ向かう。
百花ちゃんたちが人混みの中へ消えていく。
私も駅の出口へ向かおうとして――
「石村さん」
隣から呼ばれた。
「はい?」
振り向くと、豊島さんがこちらを見ていた。
少しだけ言葉を選ぶような間がある。
「少し休んでいきませんか」
思わず瞬きをした。
「え?」
予想していなかった言葉だった。
豊島さんはいつも通り落ち着いた顔のまま続ける。
「顔色があまり良くないので」
どきりとする。
まさかそんなことを言われるとは思わなかった。
「人も多かったですし」
静かな声が続く。
「疲れているなら無理をしない方がいいです」
私を気に掛けてくれているということが嬉しい。
「……いいんですか?」
気づけばそう聞いていた。
豊島さんが少し首を傾げる。
「その……お時間」
自分でも何を言っているのか分からない。
豊島さんは瞬いて「問題ありません」と答えた。
あまりにも迷いのない返事だった。
胸の奥が温かくなる。
「じゃあ、お言葉に甘えます」
今度は素直にそう言えた。
豊島さんは小さく頷く。
「では行きましょう」
特別嬉しそうな顔をするわけでもない。
けれど、どこかその肩の力が抜けたようにも見えた。
私も自然と口元が緩む。
野球観戦は楽しかった。
満員電車は大変だった。
それでも。
今日がまだ終わらないことが、一番嬉しかった。




