八代視点④
登場人物
石村紗奈
豊島遥斗
豊島の同僚 八代 誠
豊島の後輩 佐藤京子
図書館の後輩 橘 百花
「八代さん!めちゃくちゃ良い席ですね!」
隣の席の百花が目を輝かせている。
「だな」
百花の隣では石村さんもグラウンドを見下ろしていた。
「すごい……思ったより近いんですね」
さらに隣に豊島、佐藤。
その向こうには同じ部署の連中。
気付けばちょっとした小集団になっていた。
石村さんは電光掲示板を見上げながら首を傾げた。
「数字がたくさん並んでますけど、あれどう見ればいいんですか?」
「どれですか」
豊島が少し身を乗り出す。
石村さんが指差した先を見ると「ああ」と納得したように頷いた。
「この数字は打順です」
そう言って、ひとつひとつ指を差しながら説明していく。
「一番から九番までが打者の順番です」 「なるほど」 「こっちは守備位置ですね。ピッチャーとかキャッチャーとか」 「へぇ……」
石村さんは素直に感心したような声を漏らした。
豊島は普段から説明が上手い。
感情を大きく乗せるタイプではないが、相手が理解できるよう順序立てて話す。
更に豊島は選手名を挙げながら
「長打力があります」 「守備も上手いです」 「去年の成績が良かったので今年も期待です」
淡々と説明する。
石村さんは何度も頷いていた。
「豊島さん詳しいですね」
「好きな球団なので」
少しだけ声が柔らかくなる。
八代は数席離れた場所からその様子を見ていた。
(おお……)
豊島が自分から楽しそうに話している。
「それでですね」
豊島はグラウンドを指差した。
「今は守備のシフトが少し変わっていて」
「シフト?」
「打者によって守る位置を変えるんです」
「そんなことまでするんですか」
紗奈の目が丸くなる。
「します」
豊島は楽しそうだった。
「野球って思ったより考えることが多いんですね」
「そうですね」
豊島は頷いた。
「見始めると意外と面白いですよ」
「確かに」
石村さんが笑う。
「今までルールもあやふやだったので」
「分からないことがあれば聞いてください」
自然な口調だった。
一瞬目を瞬かせてから「ありがとうございます」と笑う石村さん。
その笑顔を見て、豊島も口元を緩める。
本人は無自覚だろう。
とても柔らかい表情だった。
八代は思わず隣の百花を肘でつついた。
「おいおい」
「ええ」
「相当だな」
「相当ですよ」
「通常じゃありえないんだよなぁ」
長年見てきた八代だからこそ分かる。
豊島は今、かなり楽しんでいる。
「ツーアウトなので、あと一人で攻守交代です」
真面目に解説を続けているが。
自分がどんな顔をしているのか、まったく気付いていないようだった。
その様子を豊島の反対側の席に座る佐藤が、見ていた。
「……」
笑顔。一応は笑顔を保っている。
保ってはいるのだが。
(あー……これはキツイ)
この光景はかなり効いている。
豊島は野球の話をしているだけ。
石村さんは楽しそうに話を聞いているだけ。
それだけだ。それだけなのだが。
豊島の態度が余りにも違う。
豊島が声を出して笑った。
佐藤の笑顔がぴくりと揺れる。
(分かるぞ)
八代は心の中で呟いた。
八代から見ても異常事態だった。
百花も同じことを思ったらしい。
小声で囁く。
「豊島さんと紗奈さん、良い感じですね」
「そうだなー」
「あの」
ついに佐藤が会話へ入った。
「豊島さん」
「なにか?」
「私も野球あんまり詳しくないので、教えてください」
にこりと笑う、完璧な笑顔だ。
だが八代には分かる。
あれは石村さんに対する宣戦布告である。
豊島は「別にいいですけど」と普通に答えた。
だが、それだけ。
佐藤の表情が微妙になる。
石村さんには自然に出る言葉が、佐藤には出ない。
「あっ。今のってファウルですか?」
「そうです」
石村さんに対する返事が早い。
佐藤のこめかみがぴくりと動いた。
「見分け方なら――」
また解説が始まる。
自然に。本当に自然に。
まるで二人だけがこの場にいるみたいに。
八代は隣の百花と顔を見合わせた。
「……」
「……」
そして同時に思う。
これは既に試合終了なのでは、と。
歓声が球場全体を揺らした。
イニングの合間。
グラウンドではダンサーたちが軽快な音楽に合わせて踊り始める。
百花は完全にテンションが上がっていた。
「紗奈さん見てください!マスコットいます!」
「あ、本当だ」
大きな着ぐるみが観客席へ手を振っている。
「写真撮りましょう!」
百花はすぐにスマホを取り出した。
ぱしゃぱしゃ撮り始める。
「紗奈さんも一緒に!」
「え、私も?」
「もちろんです!」
半ば強引に並ばされる。
「撮りましょうか」
横から声がした。豊島だった。
「二人で写った方がいいでしょう」
ごく自然に言う。
百花の目が輝いた。
「お願いします!」
スマホを受け取った豊島は慣れた手つきでカメラを構える。
「後ろにマスコット入れますね」
「あ、本当だ」
百花が振り返る。
「そのままで」
豊島は少し位置を調整しながら、
「もう少し右」
「こうですか?」
「はい」
珍しく細かく指示を出していた。
百花が石村さんの肩にぴったりくっつく。
「紗奈さん笑ってください!」「笑ってるよ」
「硬いです!」「百花ちゃんが元気すぎるの」
豊島の口元が少し緩んだ。
「撮ります」
パシャ。もう一枚。パシャ。
「確認してください」
スマホを返す。
百花が画面を見た瞬間「わぁ!」大きな声を上げた。
「めちゃくちゃ上手です!」
八代も覗き込む。
確かによく撮れていた。
後ろにはマスコット。二人とも自然な笑顔。
人混みもあまり映っていない。
「本当ですね」
石村さんも驚いたように言う。
「豊島さん写真上手なんですね」
「普通です」
即答だった。だが少しだけ照れているようにも見えた。
百花は満足そうに頷き、きらきらした目で豊島と石村さんを見た。
「紗奈さん、豊島さん。
せっかくなのでお二人もツーショットも撮りましょうよ!」
百花は満面の笑みで言った。
「えっ」
石村さんが固まる。
「ほら豊島さん!」
「別に構いませんが」
豊島はあっさり了承した。
八代は目を見開く。
「はーい、撮りますよー!」
百花が背中を押す。
妙に緊張しているのは石村さんだけだった。
豊島はいつも通り。
「もう少し近い方がいいです!」
百花がカメラを構えながら言う。
「えっ」
「球場入らなくなります!」
嘘だった。ちゃんと入っている。
豊島が一歩だけ近付く。
紗奈の肩がぴくりと跳ねた。
「じゃあ撮りますね!」
連写。連写。
撮った写真を確認する百花。
八代も横から覗く。
「……おお」
思わず声が出るくらい良い写真だった。
「じゃあ私と八代さんも」
百花が自撮りに俺を入れ雑に数枚撮る。
「グループトークで送りますね」
四人のスマホが震えた。
百花: 【今日のベストショットです】
添付された写真。
百花と石村さん。百花と俺。
そして豊島と石村さん。
球場を背景に並ぶ二人の自然な笑顔。
絶妙な距離感。
良い写真だった。
八代はスマホを見つめる豊島を見た。
(そんな分かりやすくていいのかよ、お前)
思わず苦笑してしまう。
佐藤はいつの間にか席を外していた。
どちらにせよ。
写真一つでこれだけ嬉しそうな顔をするのだから、もう手遅れだろうなと八代は思った。




