観念
昼休み。
図書館の休憩室で、お弁当の蓋を開けた瞬間だった。
「紗奈さん」
百花ちゃんが妙ににこにこしている。
嫌な予感がした。
「……なに?」
「昨日、楽しかったですか?」
「何が?」
「夕飯デートですよ」
箸が止まった。
「……」
「……」
「いや、デートじゃないけど。なんで知ってるの?」
「八代さんから連絡来ました」
当然のように言われた。
危うくお茶を吹きそうになった。
「八代さんから!?」
「はい」
百花ちゃんはスマホを取り出す。
見せられた画面には。
【八代:報告】 【豊島と石村さん、二人で夕飯行ってた】
【百花:詳しく】
【八代:俺も分からん】
「何してるのよ……」
脱力してしまう。
「ちなみに」
続きを見せてくる。
【百花:デートですかね?】
【八代:知らん】
【百花:絶対デートでしょ】
【八代:豊島にその自覚はない】
【百花:紗奈さんにもなさそうです】
【八代:だろうな】
「……」
紗奈は無言でスマホを見つめた。
何だろう。ものすごく不本意である。
「それでデートだったんですか?」
「違うよ。本のお礼にご飯をご馳走になっただけ」
「えーそれだけですか?」
「そうだよ」
「楽しかったですか?」
「うん。楽しかったよ」
百花ちゃんは楽しそうに笑った。
ピロン。百花ちゃんのスマホが鳴った。
画面を見て吹き出す百花ちゃん。
「や、八代さんからです」
「何て?」
百花ちゃんは画面をこちらへ向ける。
【八代:豊島朝からご機嫌】
「……」
【八代:豊島ウキウキしてるわ】
「……」
百花ちゃんは机に突っ伏して笑い始めた。
「だめですぅ面白すぎます……」
「面白くないから!」
「返信しときますね」
百花ちゃんの指が動く。
【百花:紗奈さんもウキウキです】
「そんなの送らなくていいからっ」
昼休みの休憩室に、百花ちゃんの笑い声が響いた。
仕事終わり。
「紗奈さん、帰り途中まで一緒していいですか?」
ロッカー室で百花ちゃんが声を掛けてきた。
「駅前の薬局に行きたいんです」
「そうなの?いいよ」
「やった。今日ポイント3倍デーなんですよ」
二人で図書館を出る。
六月の夕方はまだ明るい。
仕事の話をしながら駅へ向かう途中だった。
大きな通りを挟んだ反対側。
ふと見覚えのある姿を見つけた。
(……あ)
豊島さんだった。
思わず目で追う。黒いスーツ姿。
その隣、同じくスーツ姿の女性がいる。綺麗に纏められた髪。
昨夜の女性だった。
豊島さんに好意を抱いているらしい人。
女性は何か話しながら笑っている。
豊島さんはいつも通りの無表情に近い顔で相槌を打っている。
ただそれだけ。
ただの仕事帰りかもしれない。二人ともスーツ姿だ。
仕事の話をしているだけかもしれないのに胸の奥がざわつく。
二人とも同じ職場だ。一緒にいることなんて何もおかしくない。
なのに目が離せない。
女性が笑う。
豊島さんが頷き返す。
その光景が胸に引っかかった。
「紗奈さん……」
隣の百花が気遣うように声をかけてくる。
会話は聞こえない。
でも、彼女が嬉しそうなのは分かった。
豊島さんも穏やかに話している。
女性が手元のスマホを指さす。
身を屈めのぞき込んだ豊島さんが目を細め笑った。
その表情を見た瞬間。
胸がぎゅっと締め付けられた。
――嫌だ。
強く浮かんだ感情に、自分で驚く。
嫌だ。
あの人が。
豊島さんの隣にいるのが。
楽しそうに話しているのが嫌だ。
そこまで考えて、紗奈は立ち尽くした。
能力の表示なんて出ていない。分析も予測もない。
それなのに。
分かってしまった。
どうして苦しいのか。どうして気になるのか。
私が勧めた本を面白いと読んでくれた時。
不意にLINEが来た時。
初めて名前を呼ばれた時。
二人で一緒にご飯を食べた時。
全部、全部嬉しかった。
豊島さんだから。
「……あ」
小さく声が漏れる。
認めたくなかった。気のせいだと思っていた。
でも違った。
私は――豊島さんが好きなんだ。
こちらには気付かないまま角を曲がる二人の姿を見つめる。消えていく後ろ姿を見つめながら、紗奈はそっと胸元を押さえた。
心臓が痛い。
これは恋なのだと、ようやく観念した。
「……紗奈さん」
百花ちゃんの声で我に返った。
気付けば立ち止まっていた。
「あ……ごめんね」
慌てて歩き出す。
「待たせちゃった」
「大丈夫ですよ」
百花ちゃんは穏やかに笑った。
「気にしないでください」
その声が優しい。
紗奈は少しだけ視線を落とした。
「ごめんね」
「だから気にしないでくださいって」
百花ちゃんはくすりと笑う。
百花ちゃんは何も聞かなかった。
ただ静かに隣を歩いてくれる。
その気遣いがありがたかった。




