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地味スキル“空気読み補助”で人生が快適になりました  作者: 野山みつ


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36/48

ご飯

お勧めの本を貸すようになって、一か月ほどが過ぎた。

朝の電車で会えば隣り合って座る。 読み終えたら返してもらい、次の本を渡す。

そんなやり取りが自然になっていた。


「今回のもとても面白かったです」

推理小説を片手に豊島さんが言う。

「最後の最後まで展開が読めなくて、全部繋がった時は鳥肌が立ちました」

「そうなんですよ」

紗奈も思わず顔を明るくする。


「本当に石村さんのおすすめ、外れないですね」

そう言われるたびに嬉しくなる。

自分の好きな本を楽しんでくれる豊島さん。


「次は何にしましょうか」

「もう完全にお任せしてます」

穏やかに笑われて、紗奈の胸が静かに跳ねた。










数日後。

本を受け取った豊島さんは、指で頬をなぞりながら言った。

「あの」

「はい?」

「いつもお借りしてばかりなので、お礼をしたいんですが」


首を傾げる。

「お礼?」

「食事でもどうでしょうか」

さらりと言われて、一瞬理解が追いつかなかった。

「えっ」

「嫌でしたか」

「い、いえ!」

慌てて首を振る。


豊島さんは少し安心したように笑った。

「いつなら都合がいいですか」

あれよあれよと二人で食事へ行くことになった。














金曜日の夜。

駅近く、奥まった所にある和食の個人店。

向かいに座る豊島さんはいつも通り落ち着いていた。


「こんな所にお店があるなんて知りませんでした」

「ええ。静かで落ち着いているので偶に来るんですよ」

確かに居心地がいい。料理も美味しい。


会話も途切れなかった。

読んだ本の話。 仕事の話。 学生時代の話。

お互い口数こそ多くないが、気付けば二時間近く経っていた。

ご馳走になり店を出て駅へと歩き出す。










夜風が心地よかった。

「本当に美味しかったです。ごちそうさまでした」

紗奈がそう言うと、

「良かったです」

豊島さんも満足そうに頷く。

食べた料理の感想で盛り上がっていた時だった。


「豊島?」

後ろからの声に、豊島さんが振り返る。

そこには仕事帰りらしい数名の姿があった。


先頭にいるのは八代。 

その奥にはスーツ姿の数名の男女。

「あー、やっぱり豊島だ。偶、然だ」

八代は気軽に声を掛けながら近付いて――その隣にいる紗奈と目が合った。


八代さんの動きが、止まった。

「……あ」

その表情が引きつっていく。

八代さんの視線が私と豊島さんをせわしなく往復した。


「お、おう……」

妙にぎこちなくなる八代さん。

豊島さんが不思議そうに眉をひそめる。

「どうした」

「いや別に」 



その時だった。

【八代 誠:デートの邪魔をしたと焦っています】


(あぁ……)

思わず納得する。

気を使わせてしまったらしい。 


【八代 誠:混乱78%】

八代はかなり慌てているようだった。 

さらに後ろにいた同僚たちも状況を察したのか、こちらを見ながら話し始める。


「豊島さん珍しいですね」

「もしかしてデートですか?」

私は少し居心地が悪くなって視線を泳がせた。

「彼女さん?」

「違いますよ」

苦笑を浮かべながらそう返す豊島さん。


八代さんが食い気味に口を挟む。

「違うらしいっ」

「え?なんですか八代さん、急に大声出して」

「はーい。終了終了」

「ちょっ、何がですか」

「いいんだよ、行くぞっ」

必死で話を終わらせようとしている八代さん。

その様子に困惑する同僚さんたち。

豊島さんはそんな八代さんを呆れたように見ていた。








 


ふと、視線を感じた。

集団の後方にいた女性。

二十代後半くらいだろうか。綺麗にまとめた髪に、隙のない化粧。

彼女だけが無言だった。


(……あれ)

一瞬だけ目が合う。

女性はすぐに視線を逸らした。

だが、胸の奥がざわついた。


「豊島さん、本当にデートじゃないんですか~?」

「だから違うって言ってんだろっ」

「だからなんで八代さんが答えるんですか」

周囲から笑いが起きる。


その時だった。

「そうですね」

後方の女性が初めて口を開いた。

全員がそちらを見る。


「豊島さんは仕事しか見てませんから」

穏やかな声だった。けれどどこか棘がある。

彼女の視線が紗奈へ向いた。

強い圧を持って。


自分は豊島と付き合っているわけではない。

それなのに。

目の前の女性は明らかに自分を警戒している。

なぜなのか。

理由は考えるまでもなかった。

彼女が豊島を見る目には確実な熱があった。






「じゃあ俺たちはこれで」

空気を断ち切るように豊島さんが言った。

「お疲れ様でした」

同僚たちへ軽く頭を下げる。

その仕草はいつも通り自然で、特別な意味など何もなさそうだった。


「すみません。行きましょう」

そう言って私を促す。

「あ、はい」

慌てて隣を歩き出す。


数歩離れると、背後で同僚さんたちの声が聞こえた。

けれど振り返る気にはなれなかった。

代わりに、背中へ向けられる視線が妙にはっきり感じられた。


羨望なのか。 警戒なのか。 それとも別の感情なのか。

分からない。

分からないのに。

胸の奥が少しだけ、ざわりと波立った。

理由の分からない、落ち着かない感覚。

まるで小さな棘が刺さったみたいに。

その感情に名前を付けることはまだできなかった。


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