一歩
昼下がりの図書館。
平日のわりには利用者が多く、館内には静かなざわめきが広がっていた。
返却本を整理していると、利用者のおじいさんがカウンターに来た。
「この本の続き、無いんだけどさ」
語気が強い。
でも。
(怒ってるわけじゃない。耳が遠くて声が大きいんだ)
「お探ししますね」
心持ち大きな声で返し、落ち着いて対応するとおじいさんは最後に笑った。
「ありがとね」
ほほ笑み返し処理作業を続ける。
カウンターに、小学一年生くらいの男の子が近づいてきた。
帽子を深く被っていて、なんだか落ち着きがない。
「……あの」
小さな声。
「はい、どうしました?」
男の子はバッグをぎゅっと抱えたまま、言いづらそうに口を開く。
「カード……なくしたかも……」
ああ、なるほど。
視界の端に文字。
【推奨対応:安心感を優先】
【否定語を避けてください】
「そっか。カードがないとびっくりしちゃったね」
「うん」
まず椅子を勧める。
落ち着かせ、最後にカードを確認した場所を質問する。
「児童コーナーの、とこで見たの最後」
するとウィンドウが反応。
【高確率推定:児童コーナー・窓側席】
(え、そこまで分かるの……?)
半信半疑で一緒に向かうと——
「あ、あった!!」
絵本棚の隙間に、図書カードが挟まっていた。
男の子の顔がぱっと明るくなる。
「よかったね」
その後。
休憩室で缶ココアを飲みながら、私はぼんやり天井を見る。
能力が便利すぎてダメになりそう。
休憩あけ。
「石村さん、少しいい?」
館長に呼ばれる。
「はい」
事務室の奥。
小さな打ち合わせスペースへ案内される。
向かいに座った館長は、書類を見ながら口を開いた。
「実は、市の合同研修の件なんだけど」
その瞬間、なんとなく予感がした。
視界の端。
【イベント予兆を検知】
「今年、若手職員から一人参加を出したくてね」
「はい」
「石村さん、どうかなと思って」
固まる。
数秒遅れて言葉の意味が入ってきた。
「え、私ですか?」
「うん。五日間、県外の研修施設で泊まり込みになるんだけど」
【対人イベント規模:大】
【未知環境】
【逃走欲求:上昇】
初対面の人間関係。
集団行動。共同作業。
苦手要素のフルコースだ。
「もちろん強制じゃないよ」
館長は穏やかに続ける。
「ただ石村さん、最近利用者対応すごく安定してきてるじゃない?どうかなと思ってね」
褒められているのに、全然安心できない。
むしろ胃が痛い。
「……私、そういう研修あまり得意じゃなくて」
正直に言う。
館長は少し笑った。
「そっか。でも、だからこそどうかな」
館長は資料を閉じる。
「石村さんの最近の働き、ちゃんと周りから報告に上がってるから」
穏やかに告げられる。
「自分で見て考えて動けるでしょう、石村さん。もう一歩進んでもいいんじゃないかなって」
沈黙。
館長は急かさなかった。
私は膝の上で指先を組む。
怖い。
絶対疲れる。
失敗するかもしれない。
でも——。
最近少しだけ思うのだ。
能力に頼りきりじゃなくても、
前よりは人と話せるようになったと。
利用者対応。後輩との会話。
飲み会。
色んな小さな経験。
全部、前の自分なら避けていた。
ゆっくり顔を上げた。
「やります」
館長が瞬く。
「自信ない、ですけど」
正直に言う。
「でも、多分……今逃げたら、ずっと逃げそうなので」
館長はふっと笑った。
「ありがとう、助かるよ。それに今の石村さんなら大丈夫、なんの心配もいらないよ」
事務室を出る。
途端にどっと疲れた。
視界の端。
【大型イベント受注完了】
【推定ストレス:高】
【でも少しづつ成長していますよ】
「最後の一言いらないよ……」




