第3話「ノイス先生の机」2/3
眼鏡を直せるなんらかの手掛かりを掴んだら、教室に戻ってくること。
そう約束して、七人はそれぞれ思い当たるところへ向かった。
とはいえライムとリリーには、今のところ思いつくことが何もない。
「ライムのお父さんなら、眼鏡売ってたりするんじゃない?」
リリーに言われたが、ライムは渋っていた。父とノイス先生は同世代の友達同士だ。眼鏡が欲しいなどと言ったら事情を正直に話す羽目になり、そうすれば、白状して先生に謝りなさい、という流れになるに決まっている。もちろん謝る必要はあるのだが、今の方針としては、できるだけ事を大きくせずに眼鏡を修復したい、ということになっているから、父には相談できない。
リリーも、ライムがそれを皆まで言う前に察し、再び黙り込んでしまった。
ライムは必死に頭を回していた。
このままではみんなが、私のせいで怒られてしまう。
先生の机を探ろうと言い出したのも私、教室を走り回って、先生の机を倒して眼鏡を割ったのも私。ルカに責任を感じさせて泣かせたのも私だ。
なんとかしないと。しかし、割れた眼鏡など、どうすればいいのだろう。
眼鏡のレンズはガラスでできている。そしてレンズが破損した場合は、よほどのことがない限り作り直しになるはずだ。「膠」という接着剤があるが、あれは割れたガラスをくっつけるのに使えるようなものではない。
分かっている。つまりは、手詰まりなのだ。
そうなれば、明日正直に、ノイス先生に白状するしかない。
しかしそのことを想像するだけで、眼鏡が奇跡的に直る方に一縷の望みをかけたくなるのだった。
そのまま無言でリリーととぼとぼ歩いていると、村に誰かが戻ってきたのが見えた。
数歩、互いに近づいたとき、ライムとリリーはそれが誰であるか分かった。
「レオ!」
「牧畜の家」の娘で、二人の三つ上の親友、レオであった。麦わら帽子と白い半袖の服、すらりと伸びる小麦色の腕は、一足先に夏に行ってきたのではないかと思わせる。
駆け寄ってきた二人の顔を見るなり、レオは「どうしたんだよ」と二人の肩を掴んで揺らした。二人の顔色がいつもとは打って変わって悪いことに気付いたのだ。
この事件と関係のない親友の登場が、ライムとリリーの気持ちを少しほぐした。
レオはそのまま、当然の流れという風に、二人を自分の部屋に呼んだ。レオが二人を家に呼ぶのは日常茶飯事のため、レオの部屋には椅子が二つ置いてある。そしてレオはベッドに座る、というのがお決まりだった。
「実はね……」
ライムの話が進むにつれ、何故かにやにやし始めたレオだったが、最後まで聞き終わると、「だっはは!」と座っていたベッドを叩いて大笑いし始めた。
「この村の子どもは、ノイス先生の私物を壊さないと大人になれないとか、そういうルールでもあるのか?」
レオは「いいか」と、身を乗り出して二人に顔を寄せた。二人も無意識の内に、少し上目遣いにレオを覗き込む姿勢になる。
「こうなったらな、どう誤魔化すかじゃない。どう謝るかだ」
レオは「あー、懐かし」と、ベッドに両手をついて天井を見上げる。
「私もお前らくらいのころ、先生の机覗いて、高そうなペン壊したよ。なんか秘密があるんだとか言って、解体した馬鹿がいてさ」
ライムとリリーの顔が、自然と少し緩む。同じやらかしをした人が、数年前にもいたのだ。
自分たちだけではない。そう思えることで、こんなに安心するとは思わなかった。
「……どう謝るかって、どういうこと?」
リリーが控えめに尋ねる。正直、謝る局面を想像するだけで、恐ろしさが戻ってくる。
ただレオはその重々しい感じを全く気にかけず、「簡単なことさ」と、さらりとした口調で言った。
「マジで謝る。言い訳なしの特大、スーパー謝りをするだけだ」
馬鹿馬鹿しい言い方に、つい吹き出してしまったのはライムだった。
「なにそれ」
「なにそれも何もない。すんませんでしたー!って、頭を深く、ふかーく下げるだけ」
「ふかーくね」
「これくらいな」
膝に頭がつくくらいに深々としたお辞儀を勢いよく実演してみせたレオに、今度はリリーも一緒に笑い出した。
「笑うなよー。私らがほんとにやったんだからな?」
レオはその後、そのときのノイス先生の真似までしてみせた。これが妙に似ていて、ライムとリリーはお腹を抱えながらけらけら笑った。
あれ、笑ってる場合じゃないな。
ライムは浮かんだその思いを、そのひと時だけ手放した。
目の前で親友が、自分たちを笑わせようとしてくれていることを、今は尊重すべきだと思ったのだ。
「あれ、ライムお姉ちゃんとリリー?」と、ルカが言いながら部屋のドアを開けて入ってきたのが、ちょうどそのときだった。
レオは弟にもしっかりと、深々したお辞儀を実演し、ノイス先生の真似までやってみせた。レオの部屋に響き渡る笑い声が、一つ増えた。
果樹園のカノンは、家には戻らず、学校の図書館で、何か解決につながる知恵を得ようとした。
しかし、元々活字があまり好きではないカノンは、色々と本を漁る内に頭痛を覚え、早々にそれを諦めた。
家に戻り、今はついていない暖炉の傍で絵を描いていた父に声をかける。
「父さん、なんか、ものをくっつける道具とかってどこかにない?」
ああ、と父は、柔らかい笑みで、何やら黄土色の棒のようなものを何本か手に取った。すぐそこに置いていたものを取り上げた、という様子だ。
「これをカノンに使わせるのは初めてかな?」
こくり、とカノンは頷いた。父はにっこりして、棒をカノンに見えやすいように掲げた。
「これは、膠、というものでね。絵具を固めたりするときに使うんだよ」
「にかわ?」
「そう。これをぐつぐつ溶かして、固まる前に塗る!そうすると固まるときに、ものがくっつくって仕組みなんだよ」
「ありがと父さん!それをちょっと貸して」
「いいけど、何に使うのかな」
「あの、えーっと、友達のおもちゃが壊れちゃって」
カノンが「膠」を受け取ろうと父に歩み寄ると、父が描いている絵が見えた。もうほとんど完成しているようだ。
それは、りんごの絵だった。
実物と見分けがつかないくらい精緻で、しかしそれでいて、実物にはないあたたかさのようなものが漂っている。どうして風景や人ではなく、りんご単体を描いているのか、それだけはカノンにはまだ理解できなかったが。
「父さんさ、画家になればいいのに。そんな上手い絵、城下町の画家でも描かないんじゃないの」
お世辞ではなく、カノンが常々思っていることだった。
カノンの父は少し目をみはって、しかしすぐに切なげに視線を伏せた。
「そう楽な世界じゃないよ。僕の絵では、きっと通用しない」
その言葉には、父の言い方も含め、妙な重みがあった。父は自分が知らないものを、たくさん見て、そこから何かを感じてきたのではないか、と思わせるもの。
だからカノンはそのとき、更に父を励ますということはできなかった。
しかし、父から膠を受け取り、学校に戻る道すがら、カノンはぽつりと呟いた。
「……もったいな」
カノンが教室に戻ると、もう他のみんなは集まっていた。
しかし、何かしらの道具を持っている人は、カノンの他にはいないようだった。
最初にカノンに気付いて手を振った、同い年で親友のミルンは、木彫りのうさぎを持っていた。
「にーちゃんが、これでノイス先生のご機嫌取りをしろだって」
「家族に聞いて、そんなアホな策しか出てこなかったの?」
「残念なことに、さっき家にいたのがアホな兄だけだったんだな~」
ため息をつくミルンの手に乗った木彫りのうさぎを見て、エイルは小声で「かわいい」と言ってこっそり微笑んだ。
ルカ、エイル、ライムとリリー、ノエルは、それぞれ具体的な作戦を見つけることなく帰ってきてしまっていた。
(マジか……)
カノンは内心、緊張で背筋が冷たくなる思いだった。
(この膠ってやつしかないわけ……?)
カノンは膠について軽く説明し、これで眼鏡をくっつけるのはどうかと皆に提案した。
ライムが申し訳なさそうに、膠でガラスをくっつけることはできないことを説明した。ましてやレンズのような小さく繊細なものは、と。
「じゃ、万策、尽きたか……」
ミルンは木彫りのうさぎを片手に持ったまま、あぁ……と天井を仰いだ。
「マジでやだなー……。明日風邪引かないかなー」
「勘弁して。十二歳組が私だけになんじゃん。責任重すぎ」
ライムは、レオが自分たちに教えてくれたことを伝えようとした。レオのときも同じようなことがあったことや、全力で謝ったらなんとかなったこと。
しかしライムの頭にはもう一つ、別の考えが浮かび始めていた。
(全部私一人でやったこと、ってことにはならないだろうか)
しかし、それを今ここで言ったら、それはだめだとみんな言うだろう。みんな、なんだかんだでとても優しいから。
だから、明日自分が誰よりも先に白状し、自分一人でやったのだとそのときに言う。きっとノエル先生の怖い顔を見れば、みんなそこからは何も言い出さないだろう。
(私がみんなを巻き込んだんだから)
ライムは壊れた眼鏡の前で三角座りをしながら、密かにそれを心に決めたのだった。




