第3話「ノイス先生の机」1/3
「ノイス先生の机の引き出しには、とんでもないお宝が眠っている」
それは高学年の生徒たちの間で、最近まことしやかに囁かれている噂だった。
なんでも理解できるようになる眼鏡だとか、妖精の魔法が使えるステッキだとか、とにかくそういう超人的なものが入っている……という噂だ。
「馬鹿言えよ」
腕を組んで鼻を鳴らしている、ノイス先生の息子、ノエル。しかし内心見たくてたまらないのだろうと、周りから見たら明らかなくらい、ちらちらと「先生の机」を見ているのだった。
「見ちゃおうよ」
こういうときにせっかちなのは、いつもライムだ。秘密を秘密のままにしておくことが、性分としてどうしても耐えられないらしい。
昼休憩でその話をしていたのは、八歳組のルカ、十歳組のエイル、十一歳組のライム、リリー、ノエルの三人、そして最高学年である十二歳組の女子、「果樹園の家」のカノンと、「木こりの家」のミルンだった。
計七人は顔を寄せ合い、先生にばれないようにひそひそと話し合う。
せっかちなライムがいたこともあり、作戦は即、その日の放課後に決行された。
このときは誰も、知る由もなかったのである。
その後、七人全員が顔面蒼白になる事件を起こす羽目になることを……。
「あれ、そこのみんなはまだ帰らないの?」
ノイス先生は終礼の後、いつもならぞろぞろ帰って校庭や外で遊び出す子どもたちが、七人も教室に残って固まっているのを見て、声を掛ける。今は春と夏の間の季節、日が長くなってきていて、終礼後もまだまだ外は明るかった。
「あっ、先生今日私たち、エイルに遊びを教えてもらうんです!」
ライムが、決めていたセリフを口にしたが、その声が少し上ずっている。
(下手くそ)
ノエルが肘でライムを小突いて、続いた。
「エイルは海の街から引っ越してきただろ。なんか、紙を使ってできるゲームがあるみたいで、今からおれたちはそれを教えてもらうんだよ。しばらく教室を使っていいだろ……ですよね?」
息子であるノエルも、学校という場ではできるだけ「先生」に対し敬語を使うようにしていることを、最後にやっと思い出す。
ノイス先生はそれを聞いて、少年のように目を光らせて言った。
「へえ!それは気になるな。先生も混ぜてくれないか?」
全員の沈黙。
「……分かった、分かったよ。子どもたちだけで楽しんで。今度先生にも教えてね」
「もちろんです先生!」
エイルが被せるように言って、にっこり笑った。
リリーはそんなエイルを見て、改めて思う。クールに見えて、要所要所で甘え上手。
この子は末恐ろしいと、リリーは密かに思っているのである。
ノイス先生が戸を閉めた。遠ざかっていく足音に、全員で耳を澄ます。
足音が聞こえなくなったのを十分確認すると、ライムが最初に立ち上がった。
「じゃあ……行っちゃいますか!」
残った生徒たちが、おー、と、笑いを押し殺したような声を合わせた。
勢い任せな子どもの好奇心から始まったことだが、一応、「見張り役」を作る賢さは彼らにもあった。十二歳組の女子、果樹園の家のカノンが渋々その役目を引き受けた。
「後で絶対私にも見せてよねー」
木こりの家のミルンが、もちもち、と笑って返した。
もちろんだが、先生の机の引き出しは勝手に開けてはいけないことになっている。しかし、そこに鍵をかけるほど厳重には管理されていないことは、普段の先生を見て皆知っていた。
「鍵穴は一応あるのね」
リリーが初めての発見にくすくす笑っている。
「じゃあ、開けるよ……」
ライムが、机を取り囲む皆と目を合わせて念を押す。八歳のルカは目をきらきらさせながらも、しーっ、と人差し指を唇に当てている。しかし、たんたんたんと小さな音を立てて足踏みをするのは止められないらしい。ご飯の前で「待て」をしている犬のようだと、ミルンは思った。
ライムはもったいぶる速さで、そっ……と引き出しを開けた。
最初に見えたのは、写真だった。
「うわ、なにこれ!」
ライムはそれを慎重に取り上げ、皆にも見えるように机の上に乗せる。全員が机の上を覗き込んだ。
写真は、村の子どもたちにとって珍しいものだった。村には写真機もカメラもない。子どもたちにとって写真とは、城下町に旅行に行った人だけが、あるいは旅の中で運よく写真屋さんに出会えた人だけが(写真屋は気まぐれに国中を歩いているのだ)、撮ってもらえるものだったのである。
写っているのは、今より少しだけ若いノイス先生と、先生の奥さんであり、校舎や学校の敷地内を管理しているリゼットさん。そして、小さな男の子が二人だった。
ライムはぴんと来た。小さい方がノエルで、隣の男の子はお兄さんのライアンだ。
「ノエルかわいー!!」
「う、うるせー!親父なんでこんなもん……もう、貸せ!」
赤面しながら写真を素早く机から取り上げたノエルに、ライムが手を伸ばす。やがて二人は小競り合いの後、教室の中でかけっこを始めた。
「ちょっと、写真ではしゃいでてどうすんのよ」
呆れたように、最高学年のミルンが言った。中の騒ぎに、見張り役のカノンもつい少し戸を開けて教室の中を見ている。
「まだ、すごい眼鏡も魔法のステッキも見つけて……」
そう言いながら机に再度視線を戻したミルンと、引き出しから眼鏡ケースを出して、じゃじゃーんと掲げたルカの、目が合った。
「え、え」
ミルンが口に手を当てて、興奮を隠せない様子で叫ぶ。
「ほんとにあるんじゃん!眼鏡!!」
ミルンはルカに、ケースを開けるように促す。ルカは頷いて、ケースを開けた。エイルもリリーも、息をつめてその様子を見守っている。
「どう、なんか普通の眼鏡と違うとこある?なんか書いてあるとか……」
ミルンが言い切る前に、眼鏡をじっくり、角度を変えながら眺めていたルカが「あっ」と声を上げた。
ルカの手から眼鏡がつるんと落ちる。
そして同時に、かけっこをしていたライムとノエルが、「なになにー?」と机の方に走り寄ってきていた。
「ちょっノエル、押さないでって、うわっ!」
ライムがつんのめり、机の角に体をぶつけた。
机が前に傾く。
「あ」
外から見ていたカノンも、その瞬間を目撃した。
ちょうど机が倒れた先に、ケースから落ちた眼鏡が転がっていた。
ばき、と、嫌な音がする。
全員が、動きを止めてその場に立ち尽くした。
窓の外で鳥が呑気に、カァ、と鳴いた。
「……」
机を一旦元に戻し、七人は再び円になっていた。
彼らの目の前には、割れた眼鏡がある。木でできた枠も、ぽっきりと折れてしまっていた。
「終わった……」
ノエルが頭を抱える。
「どうしよ、どうしよ」
眼鏡を落としてしまったルカは、頬を両手で包みながら涙目になっている。
「ぼくが落としたから、先生のめがね、割れちゃった」
「ルカのせいじゃないよ。どー考えても、走り回ってたそこ二人!あんたらが悪い」
最年長のミルンに指を差され、ライムとノエルは小さくなった。
「すみませんでした……」
「や、まあでも、正味私ら共犯ってことになると思うけどね。一緒に机の引き出し覗いたわけだし」
見張りをしていたカノンが言った。
「これ……なんとか直んないかな」
エイルが、ばきばきに割れた眼鏡の前にしゃがみ込んだまま呟く。
「これは……無理、だろ」
ノエルが絞り出すような声で、渋々といった様子でそう言った。
「あ……諦めるのはまだ早い!」
ライムが努めて明るく声を出した。もちろん自分が主な原因であることは重々理解していたが、だからこそ、事の始末をつけなければいけないという意識が働いたのだ。
しかし、思いつくことは何もなく。
次の瞬間ライムは、リリーに向かって深々と頭を下げていた。
「リリー、お願い!妖精的な力とか魔法とかで、これをなんとか……!」
「む、無理よ。そんな力ない」
即座に断られ、がっくり肩を落とす。ダメもとで頼んでみたが、やはりダメだった。
「やっぱり、息子のノエルに謝ってもらうしか」
ミルンが言う。ノエルは「じょ、冗談じゃねーよ!」と手と首を一緒にぶんぶん振った。
「おれが一番こえーの、分かるだろ?」
まあ、そうだろうなと、その場にいた全員が思った。
ノイス先生は、普段はとても穏やかで優しい。多少のおふさけや冗談なら、笑い飛ばし、時には乗ってくれるくらいの器量もある。
ただ、だからこそ、怒った時のノイス先生の威厳は、半端ではない。
決して感情任せに怒鳴ることはない。体罰も当然しない。
ただ、普段の明るさの面影もない厳しい目で見つめられ、いつもとは打って変わって低い声でノイス先生に何かを言われると、皆、逃げ場を全て失い、この世に味方がいなくなったかのような気持ちになるのだった。
先生が父親だったら……。そう思うと、果樹園のカノンは身震いする。
カノンの父親は、娘から見ても甘々で、父親に怒られた記憶がないほどだ。
まあその分、母が鬼のように怖いので、バランスが取れているともいえる。母は外面がとても温和なだけに、余計怖い。
「でも、……めがねは直せないよっ」
ルカがそう言って、とうとうわーっと泣き始めてしまった。その泣き声は、そこにいる全員の絶望感を煽るのに十分だった。
「おい、泣くな!泣いたら解決するのかよ!」
「だって……ぇっ」
「い、いやまあ……おれが悪いけど」
ノエルは膝の上に乗せていた両手をぐっと握って、眼鏡を見つめたまま話し始めた。
「ま、まあどうせ、このままにしてたらバレる。で、直すのも難しい、かもしれない……。でも、ちょっとまあ、そこをなんとかして、直す方法を探してくれ……ると、助かる」
ミルンが、そーだね、と頷く。
「なんもしないで怒られるよりは、ワンチャン眼鏡直せる方で頑張ってみっか!」
「そうだねー。普通にノイス先生に悪いし」
カノンもそう言って、バキバキに割れてしまった眼鏡を見下ろした。
全員が頷き合い、静かな決意がこの教室で固まっていった。




