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フロレアの架け橋  作者: 小石 凜


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第3話「ノイス先生の机」3/3

 「ノエル、お風呂入れよ~」


 お風呂上がりの父はいつも上機嫌だ。鼻歌を歌いながら、ソファにぽつんと座っているノエルの隣に、よっこいせと腰を下ろす。


「エイルが教えてくれた遊びは楽しかったか?」


 隣にくるなり、ノイスはそう聞いてきた。


 ノエルは、膝の上に置いていた両手をぐっと握る。


 決めていたことを、やるだけだと思った。


 教室で、壊れた眼鏡を前に思いつめた顔をしていたライム。あいつが机を倒したのはおれが押してしまったせいなのに、あいつは多分、一人で責任を感じているのだろう。


 明るくて、おしゃべりで、何も考えていなさそうに見えて、ライムは人一倍責任感が強く、頭も回る。


 一人娘だから、そうなのだろうか。


 城下町の学校に通う兄を思い浮かべながら、ノエルはそう思う。


 ただ、それゆえにライムは、無自覚に一人で物事を抱え込むところがある。そしてかなりの局面で、そうして一人でなんとかしてしまう。


 でも、それは決して、ライムが強いからではない。


 そうせざるを得ないことが、多かっただけだろう。


 母を亡くして、父と二人で暮らしているライムの気持ちなど、分かるはずがない。でも、ライムがどういうときに笑って、どういうときに悲しい顔をするのか、それが一つずつ分かるようになれば。


 そして、悲しい顔の方を無くせるように、自分がなれれば。


 ノエルは意を決して、口を開いた。


「……おれ、今日、エイルたちと遊んで帰った後さ」


勇気を出して、父の方を見る。父は穏やかな顔で、こちらを見ていた。


「おれだけ、帰ったふりして教室に戻って、親父の机を開けて、中を覗いた。そしたら写真と、眼鏡を見つけて、で、眼鏡を落としちまって、割っちまった」


 最後の方は、父と目を合わせることができず、俯きながら一気に話した。


「だから、……ごめんなさい。あいつらは、関係ないから。おれが気になって、勝手にやったことだから」


 父の手が、上がった。ノエルは思わずぎゅっと目を瞑る。ぶたれる。親父に体罰をされたことはないけれど、今日のこれについては、流石に。


 しかし、父の手は自分の頭に、思ったよりも優しく触れた。


「……眼鏡がないなあ」


え、と掠れた声を上げながら、ノエルは手を載せられたままの頭を上げた。


 父の顔は、俯いているときに想像したよりもずっと優しく、かつどこか、珍しい色が浮かんでいた。


「成長した息子の顔をもっとしっかり、細部まで見たいのに、しまった。眼鏡を浴室に置いてきてしまったよ」


 ノエルは、なんと言っていいか分からず、しばらくぽかんと口を開けていた。


 しかし段々、小動物を見るような目で父に見られながら頭を撫でられている状況が、恥ずかしくなってきた。


「眼鏡、取ってくるから」


 ノエルは逃げるように立ち上がり、浴室までだっと駆け出した。


 ノイスはそれを、ただ見送った。足音は段々小さくなり、部屋はしんと静まり返る。


 ノイスは隣を見る。凍り付かんばかりの緊張を小さな体に湛えた気配が、まだ残っている。


 しかしその奥底に、一本のろうそくのような小さな火を灯らせていたことには、ノイスは気付いていなかったのであった。




 翌日。


 ノイス先生の机には、割れてしまった眼鏡と、その隣に木彫りのうさぎと、艶のあるりんごが一つあった。


 果樹園のカノンが、ミルンの木彫りのうさぎを見て、自分もお詫びの品をと、持ってきたのだった。


 普段は先生が来るギリギリまで教室の隅で話し込んではしゃいでいる彼女たちも、今朝はそれぞれの机に座って静かにしている。


 何も知らない七歳の生徒が、先生の机にあった壊れた眼鏡を見て、え!と高い声を上げたが、高学年たちの重々しい空気を察したのか、誰に何を問い詰めることもなくそっと机を離れた。


 引き戸ががらがらと開き、入ってきたのはノエルだった。皆、今日ばかりは安心した顔をする。


 ノエルは、既に着席していたライムの席まで歩み寄り、


「お前今日、なんも言うなよ」


と、ぼそっと呟いてそのまま自分の席に座った。


 ライムが斜め後ろを振り向いたとき、もう一度引き戸ががらがらと音を立てて開いた。


 全員、しんと静まり返る。「事件」のことを知らない生徒も、事件を起こした七人の空気に押されて黙りこくっていた。


 ノイス先生は「おはようございまーす」といつも通り明るく挨拶をすると、荷物を置こうと自分の机に向かう。


 そのとき、ライムが思い切り立ち上がった。椅子がけたたましく音を立てる。


「おい」


 ノエルが小声で制するのも聞かず、


「ごめんなさい、ノイス先生!」


そう大きな声ではっきりと言って、深々と頭を下げた。レオがやったのよりも深いかも、と、ライムを見ながらリリーは、状況を飲み込めないままそんな感想を抱く。


「先生の机の引き出しにあった眼鏡を壊したのは、私です」


ライムはばっと顔を上げ、続けた。


「先生の机の引き出しにはお宝が眠ってるって噂を聞いて、気になって、みんなが帰った後、開けちゃったんです。そしたら眼鏡を見つけて、興奮してたら落としちゃって……」


「み、みんなが帰った後?」


最初に声を上げたのは、リリーだった。


 しまった、と思い、ライムは弾かれたようにリリーの方を見る。


 リリーは、ライムの思惑が全て分かったというように、振り向いてライムを見ていた。


「先生、私も一緒に引き出しを開けました。ライムは嘘をついてる。ライムだけでやったんじゃありません」


 ノイス先生は、何も言わずに生徒たちを見ていた。そこには怒りや驚きは感じられず、ただ眺めている、という様子だった。


 ライム以外の六人の生徒が、ぱらぱらと立ち上がった。ミルン、カノン、リリー、ノエル、エイル、ルカ。


「先生、ごめんなさいっ!」


ルカが深く頭を下げ、皆それに続いた。


 ノイス先生は、微かな笑みを浮かべかけ、すぐにそれを引っ込めた。


 いつもよりも少し低い、厳かな声で、立ち上がっている生徒に対して言った。


「いいですか。開けてはいけない、と言われているところを開けて、中のものを見たり、取ったりするのは、例えそれが箱や引き出しであっても、家に入る泥棒と同じことです」


 俯く生徒たち。


 ノイス先生はそれを見て、少しの間沈黙を作る。誰も、一言も話さなかった。


 次の瞬間、ノイス先生は、今度はしっかりした笑顔を見せた。


「とはいえ、みんなに泥棒をするほどの悪気がなかったのも分かっています。これに懲りて、同じことはしないように!」


 教室の窓から差し込む朝の陽が、少し明るくなった。


 ノイス先生は自分の机の引き出しを開けて、「ふむふむ」と演技がかった感じで顎に手を当てる。


「みんなが見たのは、なんだった?」


「……眼鏡と、写真です」


最年長のミルンが答える。


 ノイス先生はそれを聞いて、にやり、と笑った。


「あぁよかった。じゃあ「アレ」は、見られていないってことですね」


 教室がざわつく。なに?なに?と、低学年の生徒たちが、雛鳥のごとくしきりに聞く。


 しかしノイス先生は、笑みを浮かべたまま、引き出しを思惑ありげに閉めた。


 教室は、そんなノイス先生をなじる声で、たちまちいっぱいになった。




 帰宅して、事の流れを全て語り聞かせるノイスに、妻のリゼットは「あなたはまた、もう」とノイスの肩をはたいた。


「そうやって、また同じことをさせるのね?数年後の生徒に」


「そんなつもりはないんだがなあ~」


「眼鏡、どうするのよ」


「グレンに同じものを頼むさ」


 呆れた、と言って、リゼットはソファから少し勢いをつけて立ち上がる。しかしその頬には、笑みを湛えていた。


 どこの教師が、生徒に自分の引き出しを覗かせることをそそのかしたりするのかしら。いたずら好きは子どもの頃から変わらないわね……。


 まだ子どもの頃、始終自分にあらゆる手でいたずらを仕掛けてきた夫の姿が、リゼットの頭には昨日のことのように浮かんでくるのだった。


 ノイスが果樹園の家のカノンにもらったというりんごを剥こうと、リゼットは台所に向かう。ノエルは自分の部屋にいるから、剝き終わったらここに呼んで、三人で食べよう。


 ふとソファを振り返ると、ノイスが木彫りのうさぎを様々な方向から、うっとり眺めていた。


 ああいう置物が好きなところも、当時から変わらない。


 リゼットは浮かぶ笑みをそのままにして、さて、と腕をまくった。

第3話完結です!

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