第2話「ミエラの日」3/4
翌日、エプロンを持参した生徒たちは、ノイス先生の到着を今か今かと待っていた。
学校ではこれまでも時々、昼食を自分たちで作る調理の時間が取られることはあった。大きな鍋でスープやシチューを煮込むのは、生徒たちの楽しみだった。
しかし、クッキーなどのお菓子を作るということは、滅多にない。少なくともライムの学年は、まだ学校でお菓子作りなどしたことがなかった。
ノイス先生は一体何を考えているのかと、生徒たちはあれこれと話し、はしゃぎながら先生の言葉を待っていたのだ。
がらがらと、引き戸が開く。
全員の視線が集中した。
入ってきたのはノエルだった。
「なんだ、またお前かよ」
全員が落胆のため息を漏らす。
「おれで悪かったですねー」
ノエルは呆れながらも、両手で大事そうに、エプロンが入っているのであろう袋を持っていた。
ノエルが入ってきてから少しして、もう一度引き戸が開き、今度こそノイス先生が入ってきた。
「おはようございまーす」
ノイス先生はいつもの陽気な声で挨拶をした。生徒も挨拶を返す。下級生たちの元気で高い声が教室に響き渡った。
「今日はみんなお待ちかね、クッキー作りの日です」
教室がしんと静まり返る。そこに高まっている熱に、ノイス先生は思わず微笑んでしまう。
「まず、どうして今日、クッキー作りをすることになったのかということですね」
ノイス先生は黒板に字を書きながら、説明を始めた。
「新聞で見たのですが、このところこのフロレア王国では、「ミエラの日」という行事が流行っているそうです。簡単に言うと、外国から伝わってきたものですね」
「ミエラってなに?」
レオの弟、ルカが手を挙げた。ノイスはにっこり笑って続ける。
「ミエラとは、外国の神様だそうです。聖ミエラは、愛する夫である聖ローデウスが困難に直面するたび、夫の大好きな菓子を焼きながら、ただ一心に神の祝福を願い、夫の困難を支えたといわれています。ミエラとローデウスは死後、神となるのですが、その伝承は二人の神話と共に民の間で語り継がれ、今では大切なただ一人に焼き菓子を贈ることで、贈られた人に祝福がもたらされる……という行事となって定着しているということです」
「しゅくふく……でんしょう……」
ルカが分からない言葉を心もとなく復唱していると、
「つまり」
ノエルが声を出した。
「神様がお菓子で大好きな人を幸せにしたから、おれたちも真似してみましょう、ってことだろ」
「ああ、そういうことかあ!」
ルカはやっと理解できたようで、顔中で喜びを表した。
(大好きな人、だって)
小さい子にも意味が分かるようにしたノエルの説明は、かなり分かりやすかったし、よくまとまっているとライムも思った。他の生徒も、少し見直したというようにノエルを見ている。
しかしあのノエルから、大好きな人、という普段は決して聞かないような言葉が出てきたことが、ライムにはやけにおかしかった。
ついノエルの方を見てニヤニヤしてしまう。そうしているとノエルと目が合って、しっしっと追い払うような仕草をされた。
「ではそういうことで、早速、共同厨房に移りましょう!」
ノイス先生の号令で、生徒たちはきゃあきゃあ色めきたちながら立ち上がった。
学校には共同厨房があり、そこでは主に生徒たちが調理を学ぶが、村が行事を催す際に使われることもあった。大きな石窯や整備された水場、大鍋等が揃っており、大規模な炊き出しをするのに便利なのだ。他にも、厨房の隣には小麦粉や蜂蜜、他にも保存のきく調味料等が保管されている倉庫があるため、村の備蓄を管理する場所としても機能している。
共同厨房には、生徒たちを待っている人が一人いた。
村の宿屋兼食堂を営んでいる家の夫人、マーサだ。
「クッキー作りについては、僕よりよっぽどいい先生ですからね」
ノイス先生はエプロンをつけて、口の動きだけで「よろしくお願いします」と言って、マーサに軽く頭を下げた。マーサは頷いて応える。こういう大人たちのさり気ないやり取りに、ライムは時々「大人」を感じ、密かに憧れの気持ちを募らせるのだった。
「じゃあみんな、まずはよーく手を洗うんだよ!これから大切な人に贈るものを作るんだって想像して、心を込めて洗うんだ。料理もお菓子作りも、こういうところから始まっているからね!」
下級生と上級生はセットでチームを組んでいる。ライムはリリーやノエルとは離れた班で、ルカやエイルたちの面倒を見る役割だった。
とはいえ、クッキーを作るのは、ライムも初めてだ。
ルカにハンカチを貸してあげながら、ライムは「マーサ先生」の指示を聞き漏らさないように気をつけていた。
「はい、まずはバターを練るよ。このへらで、ボールに押し付けるように練るんだ。アベルさんとこで作ってる大事なバターだからね、こぼさないようにするんだよ」
「次は小麦粉と砂糖を入れてよく混ぜる!小麦粉はこぼさないように気をつけて、ああルカ、言わんこっちゃない!」
マーサ先生が、あちゃちゃ、と小走りでこちらに来た。ルカが小麦粉の袋を持とうとして、取り落としたのだ。机は粉で真っ白になってしまった。
「ごめんなさい……」
うつむくルカの手についた粉を、ライムは払ってやる。
「大丈夫大丈夫!こないだ家で、スープの入った大鍋ひっくり返した時に比べたら、ふふ」
「あっあれは、ライムお姉ちゃんが急にびっくりさせるからだもん」
「ごめんって!」
「ねえ、私の服まで真っ白」
エイルがお気に入りの服を汚されて少し不満そうにしていたので、ライムはそれをぱっぱと払いながらなだめた。ごめんね、うちのルカが、と言いながら。
色々とありながらも、全ての班がクッキーを石窯に入れ、焼きあがるまでの時間で片付けに入ることができた。
「私、クッキーにチョコレート入れてみた。マーサさんの絶品クッキーに似せたくて!」
「えっ、ちゃんとマーサさんに聞いてみた?普通のチョコじゃどろどろになっちゃうんじゃない?」
片付け中も、様々な会話が飛び交っている。ハートのクッキー、という言葉が、所々で聞こえた。
ライムの班は、型抜きに挑戦した。ライムが昨日父から借りた金型で、星やハート、くまなどの形に生地を抜いたのだ。この作業はルカも大はしゃぎだったので、それを見た生徒たちが金型を羨ましがり、結局ライムの班は他の色んな班に金型を貸すことになった。
布巾で拭いた道具類をしまいに行くとき、リリーがライムの傍に寄ってきて、ライムの顔を覗き込んだ。
「で、ライムさんは、誰にクッキーをあげるのかなあ?」
「え」
ライムはそこでようやく、自分が誰にクッキーをあげるか決めていないことに気付いた。
「どうしよ。まだ決まってないや」
「ふうん?」
リリーがやけににやにやしているので、ライムはきょとんと首を傾げていると、
「ノエルさーん!ノエルさーんは誰にクッキーあげるのー?」
リリーは歌うように、いたずらっぽくノエルを呼んだ。ノエルはこちらを見ると、たちまち耳まで真っ赤になった。
「し、知らねーし!」
大声で返してくる。
「ノエルもまだ決まってないのか」
少し安心するライムに、リリーはもどかしそうに体を揺らす。そんなリリーの様子には、ライムは気付いていない。
焼き上がったクッキーは、厨房中に甘い香りを漂わせた。冷ました後、包み紙に入れて飾り付けのリボンを結ぶと、とても可愛らしいプレゼントの見た目になった。
それを持って生徒たちは、教室に戻る。
あっという間に昼休憩の時間だった。
「ねー、どうしよ。オスカーさんにあげたいけど、五つも下の女のことなんてきっと興味ないわよねー、どうしよ」
「あげちゃいなよー!あげるだけタダだって!」
十二歳の学年の女子二人が、教室の隅できゃあきゃあはしゃいでいる。
十二歳だけではない。流石に八歳以下の子たちは、自分で食べたいという願望に抗うのに必死といった様子だったが、他の生徒たちは皆、囁き合ったり、時々黄色い声が上がったりと、明らかに浮かれた雰囲気を漂わせている。
そんな中でライムは、真剣に悩んでいた。
自分にはまだ、恋愛が分からない。だから好きな人に渡す、ということができない。
ならばリリーかレオ、と思ったが、どちらか一人を選ぶことになってしまう。
(リリーはどうするんだろう……)
親友に聞きに行こうと席を立った、そのとき、名前を呼ばれた。
「ライムお姉ちゃん!」
かわいらしい、いつもの声。
振り返るとルカが、満面の笑みでそこに立っていた。
「これ、お姉ちゃんにあげることにした」
ルカの声に、教室中の視線が、ルカとライムに集まった。
ライムは、そうかと言ってすぐに受け取ることができなかった。つい、遠慮の気持ちが働いたのだ。
「レオとかじゃなくていいの?お兄ちゃんとか、お父さんお母さんじゃ……」
自分で言ってはっとしたのと、ルカが首をぶんぶん振るのが同時だった。
「だってライムお姉ちゃんに、いつも遊んでもらったり、助けてもらったりしてるもん。ぼくはたぶん、ライムお姉ちゃん、つかれてるだろうなーって思ってるけど、でもいつもライムお姉ちゃんは、遊んでくれるから」
ルカは自分の気持ちを言葉にして話すために真剣な顔になっていたが、そこまで言い終えると、ぱっとした、何も混じり気のない笑顔を再び咲かせた。
「だから。いつもありがとう、ライムお姉ちゃん!」
すぐに言葉を返せない自分が、ライムはもどかしかった。小さい背で、こちらに向かって精一杯腕を伸ばして、両手でクッキーを差し出すルカに、頭を撫でて何かを伝えたいのに、上手な言葉が出てこない。
ルカの笑顔に癒されているのは、自分の方だ。ルカが積み木を食べ物に見立てて渡してくれるとき、それを食べる仕草をして、美味しい、と言うとルカが嬉しそうに笑うとき、
ライムは友達と遊ぶときにも、家で大好きな本を読むときにもないもので自分の胸が満たされていくのを感じるのだ。
「遊んでもらう」なんて、そんな風にルカが受け止めていたなんて、思ってもみなかった。ルカも日々、成長しているのだ。少し前まで、ライム、と呼べず、アーウ、と自分を呼ぶ赤ちゃんだったのに。
ライムはふーっと息をつくと、ルカが差し出す包みを両手で受け取った。
「ありがとう、ルカ。こちらこそ、いつもありがとう」




