第2話「ミエラの日」2/4
ライムの父グレンは学校からの帰り道、レオの母親であるマルガレータと話していた。
マルガレータには三人の子がいる。一番上のオスカーは十七歳、レオは十四歳で既に学校を卒業しているが、一番下のルカはまだ八歳なので、今日は参観に来ていたのだ。
「いつもありがとうな、マルタ。ライムを預かってくれて」
「とんでもないよ、こっちがありがとうと言いたいくらいさ。ライムはお皿洗いも手伝ってくれるし、ルカの遊び相手にまでなってくれるんだから」
「ライムの皿洗いは危なっかしいだろ」
「いや、最近はかなり上達したよ。まあ、ルカが作業中のライムにまで絡みにいくのは危ないから、いつも引っぺがしてるんだけどね」
マルタは「ルカは本当にライムが好きなのさ。レオにより懐いてるかもね」と言った。グレンはそれを聞いて、ルカの丸いほっぺを思い出し笑顔になる。ライムはそれをむにむにするのが好きなのだと、夕食のときによく話している。
「ルカがかわいいって、ライムはいつも言ってるよ。一人っ子だからな。弟みたいに思ってるんだろう」
「あぁ。ルカもきっとライムを姉ちゃんだと思ってるよ。こないだなんか、なんでうちはみんな黒髪なのに、ライムは緑なんだろう?なんて言っちまってから、自分でびっくりしてたさ。はっは!」
マルタは豪快な思い出し笑いをしてから、「それに」と続ける。
「ライムの明るさは宝だよ。あの子がいるだけで、家が明るくなる」
少し、沈黙が続いた。次に言いたいことは二人とも同じだと、お互い分かっていたからだ。
グレンとマルタは同級生だ。共に今年で四十五歳になる。当時は同じ学校で、親友として肩を並べて遊び回った。マルタの夫アベルは一つ下で、マルタは当時から恋心を抱きつつも、素直になれていなかった。そんなマルタが横で見ていてじれったく、グレンがよく、思いを伝えろ、無理なら手紙でも書け、などと雑に急かしたものだった。
グレンとマルタの三つ下に、グレンの妻となる女性、エリシアがいた。
エリシアは七歳の頃にこの村にやってきた、転校生だった。
エリシアは当時から病弱で、学校を休みがちだったものの、登校している日は跳ね回るボールのように活発で明るく、教室をぱっと照らす灯りのような子だった。
当時は、可愛らしく元気な年下の子、という印象しかなかったグレンだったが、大人になり、看護師として(当時看護師という存在は村におらず、エリシアの家が初めてその存在を持ち込んだ)甲斐甲斐しく働く彼女の姿を見て、次第に心惹かれるようになったのだった。
ライムの明るさは、本当にエリシアに似ている。
ライムが元気に村を駆け回る姿を見ていると、当時のエリシアの姿がふっと重なるのは、父であるグレンも、その親友だったマルタも、同じだった。
「ライムはやっぱり、今も寂しいと思うんだ」
グレンはぽつりとこぼす。思い出すのは、あの日のライムだ。動かなくなった母の上に覆いかぶさって泣きじゃくる、六歳のときのライム。
時が少しずつライムを癒し、今では元の明るさを取り戻しては、いるように見える。
ただ、グレンは時々、傷跡のようなものをライムに見るときがある。
さっき、授業参観中に目が合い、それを逸らした後のライムの表情。あのときだけではない。ライムは時々、その底抜けに見える明るさの中に、今でも翳りを見せることがあるのだ。グレンはそれを見るたび、どうしていいか分からなくなる。
「エリシアがいなくなった寂しさだけじゃない。……母親がいないって事実が、これからもライムを苦しめていくんじゃないかと思うと……。男親しかいないようだと、そろそろライムにとっても、やりにくいことが出てくるかもしれないし……」
「そういうときのためにあたしたちが居るんじゃないか、グレン」
マルタは、グレンの背中をどんと叩いた。その勢いの強さに、グレンは思わずつんのめる。
「女同士のなんとやらなんて、あたしが引き受けてやるさ。ただ、ライムもあんたに似て、一人で考えすぎるところが確かにあるからねえ。でも大丈夫。あたしやレオがライムをひとりにしない。あんたもだよ、グレン。一人でうじうじ考えてないで、あたしたちをもっと頼ればいいのに」
「……ありがとう。そうだな」
弱々しくではあるが、やっと笑顔を見せたグレンに、マルタはにかっと白い歯を見せて応えた。
ただ、その胸の奥底には、やり切れないものも抱えていた。
自分がどれだけ励まし、力になろうとも、グレンの妻は、ライムの母親は一人しかおらず、その空白を埋めることはできないのだということも、マルタには痛いほど分かっているのだった。
事実、マルタにまだ言い出せていないことが、グレンにはあった。
来月にまた、外国への行商を控えていることだ。
外国へ行くと、二週間は戻ってこれなくなる。その間はまた、マルタの家にライムを預かってもらうよう頼まなければならない。
マルタはきっと、快く引き受けてくれるだろう。しかし、負担になっていることは間違いない。
それに、ライムは本当に、それでいいのか。
少なくとも、なんとも思っていないはずはない。外国に行くから、ライムは連れていけないと伝えるとき、ライムはいつも、あの翳りを表情に浮かばせるのだから。
(ライムが大人になるまで、外国に行くのをやめようか)
グレンはこれまで何度となく思ってきたその考えを、再び頭に巡らせていた。




