第1話「妖精の祭り」2/3
ソレアの西にそびえる山のふもとには、「アルテ」という村がある。
その村で作られる糸と布は、光沢、滑らかさ、丈夫さどれをとっても一級品で、フロレア王国の名産品だ。外国に持って行ってもいい値で売れるのだと、ライムの父が話していた。
「ごめんなさい、お父さんはお店の準備で、ガーランド作り手伝えなくて」
「気にするこったないよ、グレンは今日大忙しだろうさ。こんなもん作ってる場合じゃないよ」
レオの母は屈託のない笑顔でライムを迎え、袖まくりをした。レオと同じ、焼けた肌が覗く。家にはレオの父、レオの兄、弟もいて、集中してガーランド制作に取り組んでいるようだ。
ライムの父が外国まで行商に行くとき、よくライムを預かってくれているのが、この家だった。
「それに、もうほぼ完成ってくらいの状態で仕入れてくれてるから、紐を通すくらいしかやることはないんだよ。本番は、これを村中に架けるとこだね」
逆三角形の、色とりどりの布が、二つくっつけた木の机の上に所狭しと並んでおり、既に紐を通し終えたものは、絡まらないよう畳まれてソファの上に積まれている。
ライムが父と共にアルテに行き、このガーランドを受け取ったのは一か月ほど前だった。父が、ライムが同行していない際に特注していたらしい。会計の場に立ち会っていたため、結構な値段がしたことをライムは知っている。もちろん村の予算から出るのだが、村は案外、祭りに対して太っ腹であるということをライムはそこで知った。
机の上に目を落とす。一つ一つの三角旗はよく見ると違うデザインで、それでいて統一感がある。十枚に一枚ほど、他と比べ豪華なものがあるのがいいアクセントだ。アルテに代々受け継がれた職人技と、常に流行や若い世代の好みも掴む絶妙なバランス感覚が見て取れる、いい品だった。
「天気がよくてよかったよ。王子様が来るってんだから、雨じゃしらけるってもんだ」
「それさあ、いつ聞いた?私はついさっきライムから聞いたんだけど」
「一週間くらい前かね?グレンが城下町から帰ってきたときに、噂になってたって聞いたよ。でもあんまり皆に言いふらすと、固い感じになるんじゃないかって」
「別にそんなことはないと思うけどなあ」
レオは両手を頭の後ろにやりながら言った。ライムもそう思う。ソレアの住民は、というより、この小国の民と王族の距離はとても近い。王子が来るといったところで、特別なもてなしをする必要はないのだ。もちろん、多少豪華にしようという気持ちは、確かに働くかもしれないが。
父はそういうことをやけに気にするところがある。
深く考え始めると止まらないので、ライムは気持ちを切り替える意味も込めて明るい声を出した。
「ソファに置いてあるガーランド、もうレオと一緒に架けに行こうかな?このままだと、できたガーランドでソファがいっぱいになっちゃうよね!」
各々が自分に振り分けられた仕事を、声を掛け合いながらこなしている。木材どこだ。あっついなあ。これ終わったらちょっと休憩な。男も女も、思い思いに話しながら手を動かし、疲れを共有し、がははと笑い合っている。
これはソレアの日常的な光景だったが、祭りを今夜に控えた今日は少し空気が違った。
その一体感、一つになってうねるエネルギーのようなものの中にいるのが、ライムはとても好きだった。
太陽がちょうど真上に来て、春のうららかさを、人に、草花に、惜しげなく降り注いでいる。
ライムとレオは、陽光が優しく包む村を駆け巡り、その場所にいた人にも手伝ってもらいながら、屋根と屋根、木とテント、あらゆるところにガーランドを架けた。
まだ涼しい春の風に揺られ、ガーランドは陽の光をいっぱいに浴びて、気持ちよさそうにぱたぱたとなびいていた。
宿屋の主人が弾く弦楽器の音が、村の中央広場にさり気なく響いている。
夕暮れどきの村を照らしているのは、そこかしこに置かれたランプの数々だ。オレンジ色の温かい光が、子どもの笑顔、大人たちの笑い声、のどかに響く楽器の音を、まろやかに照らしている。
「いらっしゃいませー!」
ライムは広場沿いの道で、やってきた観光客や村の人たちに、商品の説明をしたり、会計をしたりしていた。
村の誰もが、一度は商品を見に来てくれた。ついさっきは、最近結婚した農耕の家の夫婦が、貝殻でできたお揃いのネックレスを買い求めてくれた。オレンジ色の明かりに照らされた二人の笑顔は、いつもの眩しさとは違った色があった。
(ロマンチック、ってやつかなあ……)
ライムが二人の背を見送りながらそんなことを思っていると、
「なにぼーっとしてんだよ、おかっぱ女」
ぎょっとしてライムが目の前を見ると、毎日のように学校で顔を合わせる、憎たらしい顔があった。
「げー、ノエルだ」
「げーって。お客さんだぞ、おい」
「なーにがお客さんよ、どうせ冷やかしでしょ。あとおかっぱじゃないから。最近髪伸びてきたの、分かるでしょ」
ライムは見せつけるように、肩まで伸びた自分の髪を手でさらっと掬って流す。
「似たような長さだろ」
ノエルはそれをちらっと見てから目を逸らすと、ポケットに手を突っ込んで、もう片方の手で、商品が並ぶ机から商品を一つ取った。
「そ、それにするの?」
ライムは思わず尋ねてしまう。海沿いの街「マレア」で仕入れたそれは、明るい緑色の宝石が中央で透き通って光る、銀色の指輪だった。同い年の男の子の趣味には見えないし、子どもには少し大きいサイズに見える。
「い、一応試着してみたら?多分、大きいと思……」
「いいから。おれが着けるんじゃないんだから、いいんだよ」
いいから早く、と急かされ、ライムは代金を受け取って指輪をノエルに手渡した。
ノエルはそれだけ済ませると、だっと走り出してすぐに人混みに紛れてしまった。
(大人の女性に……プレゼントするのかな?)
例えば、母親とか。明日学校でからかってやろうと思ったが、今のは一応、商人と客、という関係で見たものであったと思い直す。
(リリーに似合いそうな指輪だったな)
その指輪が机に並んだときから、ライムはそう思っていたのだった。
広場の中央、松明で照らされた舞台を見遣る。
リリーは今頃、踊りの本番前で、緊張しているだろうか。
(いや、どうだろ)
リリーは繊細そうな見た目に反して、少々のことでは物怖じしない子だ。
今年の妖精役が自分になると決まったときも、興奮するでも恐縮するでもなく、
「妖精が妖精役をやって、いいもの?なんかちょっと、先生には悪いけど……ナンセンスじゃない?」
と、遠慮がちにライムに耳打ちしてきたものだった。
ナンセンスなのかどうかはいまいち分からなかったが、耳打ちとはいえそこそこ大きな声で、配役を決める係であった先生の近くでそれを言われたことに、むしろライムが緊張したくらいだ。リリーは本気で聞こえていないと思っていたのだろうけれど。
今日はリハーサルや衣装の最終合わせなどで、リリーはほぼ一日中村長の館に詰めているから、まだ会えていない。
踊りが終わったら、祭りはもう殆ど終わりの時間になってしまうが、その僅かな時間だけでも、リリーとレオと一緒に屋台を回りたい。宿屋兼食堂のおばさんが作る絶品のクッキーが、焼き立てで、しかもいつもよりずっと大きいサイズで売られているのをさっき見たのだ。甘いもの好きのリリーがきゃあきゃあ喜ぶ様が、目に浮かぶよう。ミルクと一緒に頼んで食べながら、宿屋のおじさんの楽器を聴いて……。
「このアロマランプ、珍しいですね」
その声で考え事から引き戻され、はっと目線を目の前に戻すと、そこにはさらさらした金髪の、一目で見て分かるほど上品な服を着た、ライムと同じ年頃の少年がいた。
もちろんソレアの住民ではない。ならば祭りを見に来た旅人か。いや、父と行商をしていても、このような旅人は見たことがない。
いやそもそも、そのような消去法をするよりも前に、ライムは気付いていた。
(王子様だ……)
隣にいたのは、王子よりはライムにとって親しみを感じられる衣服を着た、栗色の髪をした女の子だった。王子や自分より、少しだけ年上だろうか。内巻きに、肩のところでカールしている髪型はかわいらしく、しかし耳上の質素な髪飾りの留め方に、しっかりした性格が表れているようにも見えた。
「よいのではないですか、王子。御父上と御母上へのお土産にもぴったりです」
「いや、これはエナの家にと思っているんだけど」
「ああ、私の……。恐れ多いことです」
畏まりつつ、滲み出る嬉しさが抑えきれないといった様子の少女を見て、
(なあんだ)
と、ライムは内心頬杖を突きたくなる。
(リリーと王子の恋、とか思っていたけど、王子にはもういい感じの人がいるのね)
しかしもちろん表に出すことはなく、ライムはちゃんと商人の笑顔を作る。
「お目が高い!そちらは外国から仕入れたもので、滅多には売りに出さないものなんですよ。ご希望なら、包装もいたします」
「では、お願いします。リボンの色は、そうですね……この茶色がおしゃれかもしれない」
生成色の包装紙に、茶色のリボン。中々いいセンスの持ち主だ。流石は王子様……。そんなことを思いながら、ライムは手早くアロマランプを箱に入れ、いつもより心なしか丁寧に包装をして、王子に手渡した。
「わ、上手」
茶色のリボンがついたその箱を見て、独り言のようにこぼした少女に、「ありがとうございます」とはにかみながら、ライムは心の中でこう付け加えた。
きっとこの茶色は、あなたの髪の色になぞらえて選んだんだわ。
連れだって店から立ち去っていく二人を見て、ライムは思わず呟いた。
「やっぱ楽しいのかなあ、恋って。私にはまだ、わかんないや」
合図となる縦笛の音が響くと、賑わっていた広場は少し厳粛な雰囲気になる。離れたところで談笑していた人も、家で少し休んでいた人も、どんどん広場の、踊りが行われる舞台の上に集まってきていた。
最後に舞台に上がり、妖精役であるリリーから花を受け取るレオは、リリーが登場する方の向かいに立っていた。ライムはその隣で、リリーが登場するのを今か今かと待っている。
村長がまず壇上に上がり、今から始まる「妖精の踊り」の意味について簡単に説明する。そして、
「今年の妖精役は、森に住む妖精、リリエルに務めていただきます。……人と妖精、二つの存在が深い感謝と友好の意志で繋がり、未来にわたって、温かく豊かな恵みを紡ぎ続けるように。願いを込めて、踊っていただきます」
村長は、毎年この踊りの前に述べられる言葉を終えると、深く礼をし、舞台から降りた。
入れ替わるように、ふわりとそこに現れたのは、長い艶やかな水色の髪を下ろし、頭に花冠をつけたリリーだった。
「……」
とても近い友人であるライムでさえ、言葉を失ってしまう。
それほどに、舞台の上に立つリリーは美しかった。
ただでさえ非のつけどころがない顔に、薄く化粧が施されている。頬と唇に、いつもより少し赤みがあった。
白くなめらかな生地の、両側にスリットが入ったワンピース。首に飾られた、繊細なつくりをした金色のネックレスは、炎に照らされて温かいようにも、涼しいようにも思える光を放っている。
両腕にまとった布は、リリーが少し動くだけでひらひらと舞い、リリーの姿の優美さ、清廉さを更に引き立てている。
その場にいた誰もが息を呑んだことに気付かないほど、ライムはただただリリーの姿に目を奪われていた。
笛と琴の音に合わせ、踊り始めたリリーを見ても、感情は言葉にならず、
「やっぱ本物の妖精は違うな」
と、いつの間に隣にいたノエルが話し掛けてきたことで、ようやく我に返った。
「来年はお前が立候補するか?おかっぱ女」
「い、いやだし。来年、絶対誰もやりたくないでしょ」
「つまんねーの。俺はお前があそこでコケて、笑い転げるのを楽しみにしてんのに」
ふん、とそっぽを向いてみるが、またすぐ視線はリリーの方に戻る。ノエルの憎まれ口に構っていられないほど、今のリリーの姿を一瞬たりとも、ライムは見逃したくないと思っていた。
妖精が、舞っている。
絵画で見るような、いや、絵画や物語でも見たことのないような、美しい妖精が。
王子ロランは、今目の前に広がっている光景を、現実のものとは思えなかった。
手をつねってそこに痛みがあろうと、まだここが夢の中でないという確信は得られなかった。
腰ほどまである、あの美しいアルナ川のような髪を揺らし、滑らかに、ときにはっとするような緩急を持たせて踊る、完璧な容姿を持つ妖精。
人形であっても、あのように美しく作ることはできないはずだ。
そう、あの美しさは、人の手で作れるものではない。空に浮かぶオーロラのように、掴むことのできない、だからこそ美しい、実体のない概念のようなもの。
このとき王子が抱いていた感情は、畏怖や恍惚、圧倒に近いものであり、人に対して抱く生々しい類のものではなかった。
それが大きく変容してしまったのが、舞台の上の妖精が舞い終わり、向かいから現れた人間に花を渡すときの表情を、見たときだった。
妖精は確かにそのとき、照れ笑いをしたのだ。
王子は、自分の胸がそれまでとは違うリズムで高鳴り出したことを、自覚しないではいられなかった。
王子は妖精を目の前に、現れた人間を後ろ姿のみ見る角度にいた。
だから、レオが男であるか女であるか、判別がつかなかった。
烈しい感情が、王子の胸で渦巻いた。苦しいような、憎いような、それでいて自分の方ばかり食い荒らしてくるような、抑えることのできない渦。
王子は無意識のうちに唇を噛みしめながら、人間役が花を受け取り、妖精と人間が双方にお辞儀をして舞台から降りていくのを眺めていた。
後には、オレンジ色に優しく照らされた舞台だけが残る。
音楽が、余韻を持たせながら止んでいった。
王子の目はそれからも暫く、舞台の上に釘付けになったままだった。
「王子」
エナに声をかけられても、初めは気付けなかったほどだ。
「王子!」
肩を揺らされて、ようやく気付く。エナは、先ほど渡したアロマランプを両手に抱えたまま、栗色の目でこちらを見ていた。二つ年上のエナは、自分より背が高い。乳母の娘であるエナとは、物心ついた頃から一緒なので、傍仕えというより、姉のように感じている。エナにも、時々弟のように思われている気がする。
例えばこういうときに。
「王子、妖精の踊りは終わったようですので、そろそろ城に戻りますか。まだご覧になりたいところや、お買い上げになりたいものがありましたら、お早めに参りましょう。帰りが遅いと、ご両親が心配されます」
エナはてきぱきと、年下の子に言い聞かせるようにそう並べた。
「分かっている」
取りあえずそう答えながら、やり残したこと、見足りないものがないか、王子はぐるっと見回しながら考える。
しかしやはり、思うことは一つしかなかった。
あの妖精をもう一目だけ見たい。
その思いだけが、王子の胸の奥底で、かつ決して言葉にできないこととして、胸の内に留めるのに苦労するほどひしめいていた。
押し込めるように深呼吸をして、王子はやっと一言告げた。
「帰ろう」
エナは何か言いたげに口を開いたが、ぎゅっと口を閉じて頷き、すぐに馬車の御者がいる方へ駆けていった。




