第1話「妖精の祭り」1/3
「おはよう、お母さん」
ライムは囁き声で朝の挨拶をした。返事はなかったが、ライムはにっこり笑って、最近きしみ始めたベッドからぴょんと跳ね起きた。
木製の階段をせわしなく駆け降りる音が聞こえたら、それがこの家の一人娘、ライムが一日を始めた合図だ。
「おはよーお父さん!」
「おはようライム。毎朝元気だけど、今日は特にすごいな」
食卓に「商品」を並べていた、白髪が一束混じった茶髪の男性が、階段の最後の数段を飛び降りて、ひょことこちらに顔を出した娘を見て、呆れ笑いをしている。
「当たり前だよお!今日は年に一回、妖精の祭りの日なんだから!」
ライムは紙芝居をするときのような仰々しさで「妖精の祭りの日」と言うと、食卓に広がっている「商品」の数々を見てぱっと目を輝かせた。
「アルテの布、マレアの塩、貝殻のネックレス、真珠のピアス……お父さん!これって前私を連れてってくれたとき買ったやつだよね?」
「そうだよ。よく覚えていたな」
「でも、他のは……なんだろ、初めて見るものばかり」
ライムは目をすっと細めて、ぶつぶつと口の中で何かを喋り始める。
「これランプに見えたけど、よく見たら香水瓶だ。こんな色鮮やかなガラスは城下町でも見たことない。あれ……やっぱりランプ?でも、それにしては光がくぐもりそうな……」
父が向ける微笑ましげな目に、ライムは気付いていない。少しするとライムは、はっと顔を上げて父の目を見た。
「これは外国から仕入れたもの?それに……ちょっと自信ないけど、これはもしかして、『アロマランプ』ってやつじゃないかしら」
「ご名答、小さな目利きの商人さん」
父が満足気な笑顔で答えた。そのままこのアロマランプの仕入先、発祥等について教え始めようとしたのだが、その間もなく、ライムは目をぱちくりさせて言った。
「外国の品を出すの?今日のお祭り!」
「そうだよ」
父は腕を組んで、ぐっと胸を張った。ライムは口を開けたまま、異彩を放つ外国の品の数々に目を落とす。
外国への行商は、そう頻繁にできることではない。路銀も日にちもかかる。ライムの父は、東の海の街「マレア」や、西の山の麓にある村「アルテ」への行商には度々娘のライムを同行させたが、外国にはまだ連れて行ったことがない。父が外国に行く間ライムは留守番となるのだが、まだ十一の娘を一人で待たせるわけにはいかず、村の他の家に頼んで、ライムを預かってもらうしかなかった。そういったことも含め、外国へは滅多に行けないのだ。
だから、外国で仕入れた貴重な品は、高い値で城下町のお金持ちに売ることがほとんどだった。
しかし今日の父は、いつになく張り切って、惜しげもなくそれを出すと言う。
「今日の祭りには王子様がおなりになるからな。きっと観光客も多くなるはずだよ」
「え」
ライムは細めかけた目を、再び丸くした。
「王子様が来るの?」
村は祭りの設営で朝から賑わっていた。学校も今日は休みで、子どもたちも各家庭に振り分けられた担当の仕事を手伝うことになっている。
この村「ソレア」は、城下町から草原を抜け、アルナ川を渡って更に森の方へ進んだ場所にある。
すぐ北に広がる、隣国との国境を覆うほど広い「妖精の森」の傍にある村だ。
このソレアでは、生きるために必要な仕事を、代々家族単位で分担している。
木こりの家。川の漁師の家。牧畜の家。農耕の家。他にも教師の家や、医者の家などもある。一つの家族で一つの仕事を丸ごとやることもあれば、農耕のように大規模なものは二つ以上の家が力を合わせて行っていることもある。
適性によって、生まれた家とは別の仕事を選んだり、望む子どもは城下町の学校に行って学び、それを持ち帰って仕事をしたりすることもあるが、どちらも比較的稀なことだった。
ライムの家は、「商人の家」だ。
「おはよっさん、ライム」
後ろから肩を組んできたのは、「牧畜の家」の娘、レオだ。
ライムは振り返り、年上の友人を見上げてにっこり笑った。
「おはよう、レオ。私たちの家同じ係だよね。ガーランドを村中に架けるの」
「そうだな。あれ意外と重いから、ケガするなよ?ライム」
「やだなあ、子ども扱いして。商品担いで長く歩くから、こう見えて結構力持ちなんだからね」
ライムがむくれながら重いものを担ぐ仕草をしてみせると、レオはからっと笑って、ライムの透き通った黄緑色の髪をぽんぽんと撫でた。
レオは、遠目から見るとまるで美青年だ。短く切った黒髪に、小麦色に日焼けした肌、すらっと伸びた手足。そして端正できりりとした顔立ちまで揃っている。一度ライムの女友達が、熱烈な目でレオを見ていたことがあったのをライムは覚えている。レオは白を好んで着るが、それが肌の色と合っていて、とても爽やかに映えるのだった。
初めてレオを見た日、ライムは「おにいちゃん」とレオを呼んだそうだ。幼い頃なので覚えていないが、レオが時々その話をして、ほら、おにいちゃんですよ、という風にライムをからかってくる。
「ねえレオ、聞いた?今日のお祭り、王子様が来るらしいよ」
「そうなのか?……それは、まずいな」
「何がまずいの」
急に深刻ぶった顔をしたレオは、ライムにぐっと顔を近づけて、にっと下世話な笑顔を浮かべた。
「リリーだよ。今年の『妖精の踊り』はリリーだろ?あの優美な踊りを、なんと本物の妖精さんが踊る……しかも、あの美貌だぞ。王子様のハートが、うっかりころっと奪われてしまっても、全然不思議じゃない」
ライムはそれを聞いて、ぼっと顔を赤くした。
「リリーが、王子様と、恋……!」
斜め上を眺めながら目を輝かせ始めたライムを見て、レオは「おいおい」と肩を軽く叩いた。
「そんな、ロマンチックなものじゃないぞ。人間の王子様は、妖精さんとは結ばれることができないだろ」
「どうしてよ」
「どうしてって、そろそろ学校でも習ったろ?妖精と人間は、適度な距離を持って生きなきゃいけない。妖精の寿命は人間の五倍だから、そうじゃないとお互い辛くなるんだ」
レオは説明しながら、半分ほど設営が終わっている、広場の祭り会場を見る。あの中央に設営された舞台の上で、今日、リリーは「妖精の踊り」を舞うのだ。
「妖精の祭り」は、春が始まった季節にソレアで毎年開かれる祭りだ。
「妖精の森」の中で、村に近接する部分の木々や果物は、人間がその恵みを受け取る。しかし人間が、森の奥に足を踏み入れることはない。そこは「妖精」たちの住処だからだ。
背丈や姿は人間とほぼ変わらない。違いは背中に羽が生えていて自由に空を飛べること、妖精が「属する」土地の力を借りて不思議な魔法を使うことができること。そして、寿命が人間と比べ五倍ほど長い点だ。
成人するまでは人間と同じような成長をするものの、そこからの老化が人と比べゆるやかになる。
人と妖精がつかず離れずの関係を保っているのも、この寿命の差によるものが大きかった。親密になろうとも、結ばれることがあろうとも、人は必ず妖精より先に死ぬのだ。
残される側となる妖精は、人との接触を密にしないことを決め、それ以来共に暮らすことも、結ばれることもタブーとなった……というのが、レオが歴史の授業で習ったことだ。
とはいえ、関係を断絶したわけではなかった。妖精は、人間がその多彩さで生み出す様々な品物や技術の恩恵にあずかり、人間は、妖精がその力で保っているといわれている森や海、山の実りを受け取って生きている。
両者は感謝で繋がれた存在であり、その感謝を表す行事の一つが、ソレアで開かれる「妖精の祭り」なのだ。
「妖精の祭り」では、毎年子どもが一人、「妖精の踊り」を踊ることになっている。
妖精の羽を模したものを背負い、手には一輪の花を持って、川の清らかさや森の実り多さを踊りで表す。そして最後に、手に持った花を人間に手渡して、踊りを終わるのだ。
花を受け取る人間は事前に決まっていて、レオは今年その役に選ばれていた。
一度この人間役をやってみたいと密かに思っていたため、レオは何気に今夜の踊りの時間を楽しみにしている。
まさか親密な友人、しかも本物の妖精が相手になるとは思わなかったけれど。
リリーは、森の中に住む妖精だ。年はライムと同じ、レオの三つ下の十一。
人間と妖精が適度な距離を保っている中、毎日のようにソレアにやってきて、ライムと同じ授業を受けているリリーは、例外中の例外だ。
透き通るように白い肌、人間離れした(そもそも妖精なのだが)水色の、美しい川の流れのような髪。光を反射して輝く華奢な羽に、非の付け所がない美貌。
高嶺の花というレベルではないほど、リリーは美しい。
確か、このフロレア王国の王子は、今年で十一になるはずだ。つまり二人は同い年ということになる。
(とんだ偶然だな。本当に、しょうもないことになりそう……)
「ねえ、レオ」
「なんだ?」
「この国の平和って、色んな人の不自由で成り立っているのかな」
予想外の言葉で、レオは返事に詰まる。この時間、ライムはどういう思考を巡らせた結果その疑問に至ったのだろうか。
「どうだろうかな」
レオは答えを濁し、ライムの手を引いた。
「ほら、そろそろ行かないと、親父たちに詰められちまう」
レオはそのまま、ガーランド制作を行うことになっている、自分の家に向かった。




