第60話 カガヤキノコとハチミツ醤油のソテー
アスタータウンの門をくぐり、俺は若葉の草原へと足を踏み出した。
青々とした草の匂いが鼻をくすぐる。
見渡せば、駆け出したばかりの初心者プレイヤーたちがホーンラビットを一生懸命に追いかけていた。
少し離れた木陰ではプレイヤーがホーンラビットの肉を串に刺してパチパチと焼いている姿が見える。
草原を抜けてアスタータウンの北側に流れるアスター川へと向かった。
さらさらと涼やかな水音を立てる川の深みへ近づき、透明度の高い川底を覗き込む。
光を反射させながら、大小さまざまな魚たちが気持ちよさそうに群れをなして泳いでいた。
浅瀬の飛び石をポンポンと跳ねるようにして向こう岸へと渡ると、目の前には森林地帯が広がっていた。
鬱蒼と茂る木々の隙間から赤橙色の夕陽が斜めに差し込み、地面に長い影を落としている。
シャカシャカ、と足元で小さな音がした。
「ん?」
立ち止まってしゃがみ込んでみると、そこには一匹の小さなリスがいた。
両手でしっかりと抱え込んだどんぐりを頬をぷっくりと膨らませながら夢中でかじっている。俺がすぐ目の前にしゃがんでいても、逃げる様子もなくのんびりと食事を楽しんでいるようだ。
「可愛いな……」
思わず口元がほころぶ。
リスが美味しそうにかじっているどんぐりを見つめながら、ふと考えた。
(アク抜きをすれば、あれも粉にして生地に混ぜたり、香ばしく煎ったりして食材になるのかな……?)
そんな想像を膨らませつつ、リスの邪魔をしないようにそっと立ち上がり、森の奥へと足を進めた。
◇
しばらく森の中を歩いていると、かすかな音が聞こえてきた。
ブーン……ブーン……。
気になって音のする方へ恐る恐る近づき、大きな大木を見上げる。
「うわ……すごいな」
そこには、大人の胴体ほどもある巨大なハチの巣がぶら下がっていた。その周りを、黄色と黒の鮮やかな縞模様をした大きな蜂たちが忙しなく飛び回っている。
蜂たちの動きを観察しながら、俺の視線はハチの巣の底から垂れ落ちそうになっている液体に釘付けになった。
「……ハチミツ」
ゴクリ、と唾を飲み込む。
俺は静かに手を伸ばし、垂れかかった黄色い透明な液体にそっと指先を触れさせた。
指先からほんのりと甘い香りが立ち上る。そのまま、指を口元へ運んで舐めとった。
「……っ」
舌の上に触れた瞬間、柔らかな甘みがすーっと口いっぱいに広がった。
精製された砂糖のガツンと来る甘さとは違う。花の香りを仄かに纏った、後味がすっきりと消えていく癖のない純粋な甘さ。
舌の上に残った甘さをもう一度確かめるように、俺は指先を見た。
「あ、甘い……美味しい……!」
これは肉料理の隠し味にも使えるし、タレのコクを出すのにも最高だ。もちろん、プチさんが作るようなお菓子にも絶対に合う。
その時、ペシッと手に軽い衝撃が走った。
「痛っ……あ」
見ると、ハチの巣を守る蜂たちが怒ったように集まってきて、俺の手や腕を何度か刺してきていた。
だが、痛むというよりは少しくぐもったくすぐったさを感じる程度だ。
「ごめんごめん、少しだけ分けてね」
俺は怒る蜂たちに頭を下げつつ、持っていたガラスの小瓶にハチミツを少しだけ採取させてもらった。
◇
ハチミツを手に入れて夢中で探索を続けているうちに、すっかり陽が落ちていた。
木々の隙間から見上げる空には月が顔を出し、森全体が薄暗い静寂に包まれていく。
あおおおおん……。
遠くの地平から、狼のようなモンスターの遠吠えが響いてきた。
「ひやっ……」
びくっと肩を揺らし、慌てて周りを警戒する。
足元に目を落とすと、暗闇の中、月明かりよりも淡く青白く光るキノコが木の根元にひっそりと群生していた。
「なんだろう、これ……」
反射的にしゃがみ込み、食材鑑定を発動させる。
【カガヤキノコ】
月光の魔力を吸って成長する幻想的なキノコ。夜の森林を歩く旅人の足元を照らす「道標」とも呼ばれる。
菌糸体に魔力と油分を極めて溜め込みやすい特殊な生態を持ち、他の食材の旨味や調味料の風味を内側に閉じ込める性質がある。
※夜間にのみ姿を現す。
「夜にしか採れないキノコ……!」
鑑定結果を読んでいる間に、さっきまで気になっていた遠吠えなんてもう耳に入らなくなってしまった。
火を通しても光り続けるキノコ。そんな面白い食材、作ってみない手はない。
俺はカガヤキノコを数本摘み取ると、使い慣れた中華鍋を取り出した。
カガヤキノコの根元にある硬い石づきをナイフでサクッと切り落とす。刃を入れるたび、瑞々しい水分がじわっと染み出して輝きが増していく。繊維に沿って手で食べやすい大きさに割いていった。
中華鍋を焚き火にかけ、煙がほんのり立ち始めたところで油を馴染ませた。
割いたカガヤキノコを熱々の鍋へ一気に投入する。
ジュバァァァッ……!!
激しい油の弾ける音が夜の森に響き渡り、白い蒸気が爆発するように舞い上がった。驚いたことに、熱々の油と強火に晒されてもキノコは青白い幻想的な輝きを一切失わず、油を纏ったことで宝石のようにつややかな光を放ち続けている。
手首を利かせてザッ、ザッと素早く中華鍋を振る。
カガヤキノコが鍋の中で舞い、均一に火が通っていく。表面にぷつぷつと透明な汁が浮かび上がり、身がキュッと引き締まったこの時を見計らって――。
用意していた醤油と、先ほど小瓶に詰めたばかりのハチミツを合わせた特製ダレを、鍋肌に直接回し入れた。
ジュワァァァアアアッ――ッ!!
一瞬にして激しい蒸気が爆ぜ、醤油が焦げる香ばしく深い匂いと、熱されたハチミツの芳醇な甘い香りが一気に弾け飛んで鼻腔を激しく刺激する。
タレが鍋肌でふつふつと泡立ち、カラメル状に煮詰まっていく。俺は鍋を激しく煽り、カガヤキノコにそのタレを極限まで絡め合わせた。スポンジのようなキノコの身が、照り豊かな甘辛ダレをぐんぐんと吸い込んでいく。
全体が艶やかな褐色と青白い光のコントラストに染まったところで、手早く皿へと盛り付けた。
「完成だ……名付けて、カガヤキノコとハチミツ醤油のソテー」
完成した料理はお皿の上でもなお、うっすらと幻想的な青白い光を纏っていた。
香ばしく焦げた醤油の深い褐色、ハチミツが表面を滑らかに包み込む黄金色の照り、そしてその奥から透けて見える神秘的な輝き。腹の虫が鳴り響く。
「いただきます……!」
木製のフォークで持ち上げ、熱を孕んだ塊を口へと滑り込ませた。
「――っ!?」
熱々の身が唇に触れた瞬間、立ち上る醤油のキリッとした塩気と香ばしい旨味が、一気に舌を乗っ取る。直後に追いかけてきたハチミツのコクのある甘みが醤油の角をまろやかに包み込む。
そして、歯を押し返すような弾力にグッと力を込め、噛み締める。
シャクッ……じゅわぁっ!
心地よい音を立てて肉厚な繊維が断ち切られ、キノコが極限まで吸い込んでいた熱い甘辛ダレと、閉じ込められていたキノコ自体の瑞々しい旨味が、口の中一杯に爆発するように溢れ出してきた。
「うまい……! ハチミツの甘さが醤油の角を消してる。これ、かなり合うぞ……!」
噛み締めるたびに溢れ出すタレの洪水と、シャキシャキと前歯を心地よく跳ね返すような歯触り。淡白だからこそタレの旨味をたっぷり抱え込んだキノコが、喉を通っていく瞬間まで満足感で満たしてくれた。
夢中になってフォークを動かし、あっという間に一皿を平らげてしまった。
「ふぅ……」
お腹を満たし、一息ついて空を見上げる。
木々の隙間から覗く夜空には満天の星が煌めいていた。




