第52話 帰ってきた料理人
アスタータウンを包む夕闇は、どこか優しく、どこか温かい。
俺はまっすぐに、先日ラム酒を持ち逃げする形になってしまった酒屋の露店へと向かった。
カウンターの向こうでは、髭面の店主が酒樽の整理をしている。
「すみません、こちら代金も払わずに持って行ってしまいました」
俺は店主の前に立つと、手に持ったラム酒のボトルを捧げ持ち、深々と頭を下げた。
突然の謝罪に、店主は一瞬きょとんとした顔を浮かべたが、すぐに朗らかな笑顔を弾けさせた。
「おお、昨日の兄ちゃん! 無事だったのか!」
「えっ……あ、はい。こちらお返しします」
「いいってことよ! そいつは兄ちゃんの無事を祝うプレゼントとしてやるよ」
「えっ!? いや、そういうわけには……! では、せめて代金を!」
慌てて財布を取り出そうとする俺を、店主は大きな手で制した。
「いつも、いろいろ買ってもらってるし代金なんて気にするなよ。またよろしくな」
「そ、そうですか……ありがたくいただきます。これからもよろしくお願いしますね!」
「おうよ! ガランにも早く顔合わせてやってくれよ。心配してたぞ」
「ありがとうございます!」と再度お礼を言い、俺は胸を撫でおろした。
酒屋の店主の温かい心遣いに感謝しつつ、右手に抱えたラム酒の瓶をぎゅっと握り直す。
(さて……早く帰ろう)
俺はその足で、見慣れた看板が掲げられた黄金の鍋へと急いだ。
◇
扉を開ける。
「た、ただいま戻りました――」
瞬間、店内にいたプチさんと目があった。一瞬、狐に化かされたような顔で固まり、こちらへ駆け寄ってきた。
「あんた! どこ行ってたのよ!」
「すみません……ちょっと外せない用事がありまして」
俺が苦笑いしながら後頭部を掻くと、プチさんは腕を組んでジト目を向けた。
「連絡くらいしておきなさいよね……! まったく!」
「本当にすみません……」
「ぺんさーん! おかえりー!」
「って、その手に持ってるのはお酒?」
「はい! これは最高級のラム酒です。これでデザートの幅がぐっと広がりますよ」
「へぇ、美味そうな酒だな」
厨房の奥から、腕を組んだガランと、アネモネが姿を見せた。
「ガランさん、無断で休んでしまって申し訳ないです」
「おう、坊主が無事で何よりだ。どうせまた、面倒なことに巻き込まれたんだろう?」
「あはは……ガランさんにはお見通しでしたか」
「もう、しっかりしなさいよね」
アネモネが呆れたように息を吐く。
俺はカバンを置くと、引き寄せられるようにそのまま厨房へ足を踏み入れ、エプロンを身につけた。調理器具を揃えていく。
「ふふ、戻ってすぐ料理を始めるなんて、やっぱり料理人ね」
プチさんに初めて名前で呼ばれた気がする。
「よし、さっそく一品作ります!」
俺は小鍋にバターを入れ、中火にかけた。
木べらで静かに混ぜながら加熱していくと、パチパチという音とともに水分が飛び、甘く香ばしいナッツのような香りが立ち上る。綺麗な薄茶色の焦がしバターの完成。
別の鍋で牛乳とバニラペーストを合わせ、フツフツと沸騰させる。
ボウルにはあらかじめ振るっておいた薄力粉、強力粉、そしてグラニュー糖。そこへ温めたバニラ牛乳を少しずつ注ぎ込み、泡立て器でダマにならないよう滑らかに混ぜ合わせる。
そこへ、先ほどの焦がしバター、溶きほぐした卵黄、そして本日主役のラム酒を注ぎ込む。
立ち上る、濃厚で芳醇な香り。
バニラの甘い風味と、ラム酒の奥深いコクが混ざり合い、厨房を一瞬で極上の甘味処へと塗り替えていく。
仕上げに生地を細かい網で丁寧にこし、ラップをかけて冷暗所――冷蔵庫へ。
「ねえ、これ何分くらい置くの?」
気になったプチさんが覗き込んできた。
「本来なら一晩……最低でも12時間は生地を寝かせるんですが、あまり長く待たせるのも良くないですからね。今日は1時間ほど休ませて焼き上げます」
その待ち時間の間、俺はプチさんからの怒涛の質問攻めに遭った。
どこへ行っていたのか、なぜ連絡が取れなかったのか。誤魔化しきれなくなった俺は、ついに白状してしまった。
「外せない用事って何よ、ばかね! 誘拐じゃないの!」
「ぺんさん、嘘が下手です……!」
「うぐっ……俺、そんなに顔に出てるんですね……」
「でもまあ、無事でよかったわ。変な怪我もなさそうだし」
「あ、ありがとうございます、アネモネさんも」
「……なんであんたが私の名前知ってるのよ?」
アネモネが怪訝そうに眉をひそめる。
「あ、ええと、オルレアさんからお聞きしまして」
「聖女もここに来てたのね。意外だわ」
アネモネは納得したように肩をすくめた。
そんな会話をしているうちに、あっという間に1時間が経過した。
冷蔵庫から取り出した生地を、あらかじめ内側にバターを薄く塗っておいた型へと流し込んでいく。
「よし、焼きに入ります」
高温に熱したオーブンへ型を並べ、じっくりと焼き上げる。
生地を休める時間が足りなかったせいか、途中で生地がぷっくりと型から膨らみすぎてしまうアクシデントもあったが、慎重に火を通した。
数十分後。香ばしい甘い香りがピークに達したところで、オーブンから取り出す。
型をひっくり返すと、コロンとした深みのある褐色の洋菓子が滑り出てきた。
「カヌレ、完成です!」
「わあぁぁっ! おいしそう!」
焼き立てのカヌレを皿に盛り、みんなで一斉に手伸ばした。
外側は漆黒に近い濃密な茶色。指で触れると、カチリと硬い手応えがある。
一口、かじる。
カリッ……ザクッ……!
香ばしく焼き固められた外側のクラストが、心地よい音を立てて砕ける。
すると中から、驚くほどしっとりとした、もっちりモチモチの生地が顔を出した。
「――ッ!?」
口の中に広がるのは、焦がしバターの芳醇なコク、バニラの甘いフレーバー、そして何よりも喉奥をふわりと撫でるラム酒の優雅で大人な香り。
外側の「カリッ」と、内側の「もちっ」。
この極端な食感のギャップが、噛むたびに溢れる甘みと合わさり、脳を直接揺さぶるような多幸感をもたらす。
「美味しい……! 外側はカリカリなのに、中はプリンみたいにもちもちしてる……!」
ロメリアが頬を押さえて目を輝かせる。
「熟成時間が短かったから、真ん中に少し空洞ができちゃいましたけど……味は悪くないですね」
俺が苦笑いしながら断面を見つめていると、プチさんがカヌレをじっと見つめながら言った。
「これ、上に抹茶パウダーを振ったり、溶かしたチョコレートをコーティングしたら、さらに見た目も華やかになって楽しめそうね」
「名案ですね! チョコや抹茶のほろ苦さは、この生地の甘みとラムの香りに絶対合います!」
俺が膝を打つと、プチさんが腕をまくった。
「そうと決まれば、じゃんじゃん作るわよ!」
「はい、喜んで!」
「おいおい、営業後なのにまた忙しくなりそうだな」
ガランが呆れつつも嬉しそうに笑い、冷えたカヌレを口に放り込んだ。
黄金の鍋の、いつもの日常が戻ってきた。
◇
【フラミス】サービス24日目 雑談スレ Part12
78:魔法使いギルド総帥
料理人見つかったわ。
79:名無しのバーバリアン
おうそれはよかった!
どこに行ってたんだよ全く!もう帰ってこないかと思って心配したぞ料理人くん!!
80:魔法使いギルド総帥
大げさね、帰ってきたとたん厨房入って料理始めたわよあいつ。相変わらずの料理バカだわ。
[画像]
81:名無しのバーバリアン
うおおおおお!?なんじゃこの美味そうな焼き菓子は!!
82:名無しのバーバリアン
料理人くんらしいw
83:名無しのバーバリアン
カヌレおいしそー
84:名無しのバーバリアン
あのモチモチなやつだろ!?食いてええええ!
85:名無しのバーバリアン
これがプレトレに出された時、また争奪戦が始まるぞ……戦の予感がする……!
86:名無しのバーバリアン
とりあえず無事でよかったわ。




