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第50話 戴天鯸の刺身

「あっ! ダメだよペンタスさん、それは危ないって!」


 山の一角、氷の結晶に包まれた一匹の魚に手を伸ばそうとした瞬間、後ろからあたふたとした女の声が飛んできた。


 丸々と太り、漆黒の滑らかな体躯を持つ魚だ。普通の魚にあるような鱗はなく、ヌメリを帯びた皮に覆われている。


(危ない……?)


 気になった俺は視線を集中的に注いで食材鑑定を発動させた。


戴天鯸(たいてんふぐ)

 ・強力な毒を含有。熱に強く、摂取すれば非常に激しい痛みを伴う死に至る。

 ・味は天にも昇る美味さ。


 やっぱりフグの同類か。

 それにしても――天にも昇る美味さ。


 そのたった一言が、俺の脳の奥深くを激しく揺さぶった。

 熱に強い毒? そんなリスクはどうでもよかった。一体どんな味が口内に広がるのか、気になって、気になって、居ても立ってもいられない。


 気づいたときには、俺は戴天鯸を両手で抱え、調理台の前に立っていた。包丁を握る手に、すっと自然な力が入る。


「ぺ、ペンタスさん!? 話聞いてました!? それ、劇毒作成用の危険食材なんですよ!?」

「……俺、どうしてもこいつを調理したいんです」


 呼吸を整え、眼前の漆黒の魚体に集中する。

 現実世界で、興味本位で何度か貪るように見たフグの捌き方の動画。その工程を頭の中で再生する。


 ――シュッ。


 静寂の洞窟に、刃先が皮を切る小さな音が響いた。


 まずはヒレを切り落とし、鋭い歯を持つ口周りを慎重に切り外す。

 皮と身の間に包丁の刃先を滑らせると、ジィッ、と繊維が断ち切られるサクッとした心地よい手応えが手に伝わってきた。

 尻尾側に浅い刃入れをし、上の皮と下の皮を、身を傷つけないように一気に剥ぎ取っていく。


 ここからが本番だ。

 頭とカマの隙間に包丁を入れ、骨の関節を断ち切る。

 そして、内臓。一番危険な領域だ。

 もし包丁の先端が僅かでも胃や肝臓を傷つければ、猛毒が溢れ出し、この極上の身は一瞬で廃棄物と化す。


(落ち着け……刃先を感じろ)


 じわリと額から汗がブワッと吹き出し、頬を伝って落ちる。

 呼吸を止め、粘液の滑りに神経を尖らせながら、目やなめだれと呼ばれる毒の詰まった部位、そして粘液を綺麗にふき取る。

 身側の臓器も刃物は使わず、指の腹を使って慎重に、確実に引き剥がす。


 身に残った真っ赤な血液を、清潔な布で一滴残らず拭き取る。

 最後に骨の感触を確かめながら、スーッと刃を滑らせて見事な三枚おろしにした。


「ふぅ……っ」


 よし、毒のある部位は隔離できた。

 あとは、この純白の身を仕上げるだけだ。


 刃を極限まで寝かせ、向こう側が透けて見えるほど薄くスライスしていく。

 一枚、また一枚。

 切先から滑り出す身は、まるでクリスタルのように光を反射していた。

 大皿の上に、大輪の菊の花を見立てるように、外側から円を描いて美しく盛り付けていく。


「――戴天鯸の刺身、完成です」


 皿を掲げると、息を呑んで見守っていた女が目を丸くさせた。


「わぁ……! すごい、完璧に毒が抜き取れてますね!」

「分かるんですか?」

「うん。アザミは毒物鑑定のスキルを持ってるからね」


「アザミさん、早速食べたいところですが……リンさんはいつ頃戻られそうですか?」

「うーん、もうそろそろじゃないかな――」


 ガチャリ。


 話の途中で洞窟の重い扉が開き、フレイムボアの巨体を担いだリンが無表情で入ってきた。


「戻りました」

「お疲れ様ー! リンちゃん、見てみて! ペンタスさんが捌いてくれたの!」

「……はい」


 バカにするわけでもなく、ただ淡々と巨体を床に転がすリン。温度差がひどい。


「ふふ、じゃあみんなで並んで……いただきます!」

「いただきます」


 俺は待ちきれず、箸を伸ばした。

 透き通るほど美しい薄切り肉を一枚、軽く醤油にくぐらせ、口へと運ぶ。


 ――瞬間、視界の色彩が跳ねた。


 前歯を押し返すような、サクッとした弾力のあるコリコリとした歯ごたえ。

 咀嚼した途端、脂の爆ぜるような濃厚な甘みが舌の上で弾け飛ぶ。

 噛めば噛むほど、喉の奥へ向かって上品で深い旨味が波のように押し寄せてくる。それなのに、後味はどこまでも引き際がよく、爽やかだ。


「……うまっ」


 溢れ出る肉汁と旨味の濁流に耐えきれず、俺は二枚、三枚とまとめて刺身を箸で掬い上げ、一気に口の中へ放り込んだ。

 贅沢なボリューム感が口内を満たし、歯と舌を歓喜で打ち震わせる。喉を通っていく瞬間の、焼き付くような圧倒的な満足感――!


 ピコン、と頭の中で無機質な音が鳴った。


【パッシブスキル:毒物耐性を獲得しました】


 アナウンスが流れた気もしたが、いまの俺にとってそんなものはただの雑音に過ぎなかった。

 涙が出そうになるほどの美味さに、俺はただひたすら没頭していた。


【フラミス】サービス23日目 雑談スレ Part11


 101:名無しのバーバリアン

 クラーケン調理できるって噂の料理人探してるけどいないなあ。


 102:名無しのバーバリアン

 なにそれ。


 103:名無しのバーバリアン

 いやな、潜在能力解放って知ってるか?


 104:名無しのバーバリアン

 ああ、クラーケン討伐すると一定確率で入手できるっていう必須パッシブな。


 105:名無しのバーバリアン

 それがな、クラーケンの食事でも手に入れられるって噂があるんよ。


 106:名無しのバーバリアン

 都市伝説じゃねそれ。


 107:名無しのバーバリアン

 いや、それが実際にクラーケン料理食ってスキル得たやつが複数人いるからマジっぽい。

 ただ、まともに調理できるやつがいなくてな。

 始めたばかりの新人捕まえて料理人に仕立て上げたんだけど、数日でやめてくし。


 108:名無しのバーバリアン

 ああwまあギルドハウスがあれじゃあねえ。


 109:名無しのバーバリアン

 NPCも調理拒否してくるし、火魔法で焼いたくそ不味いクラーケン肉食ってもスキル取得できないしで詰んでる。


 110:名無しのバーバリアン

 じゃあもう普通にクラーケン狩った方が速くね?


 111:名無しのバーバリアン

 あいつらエンカウント率低い上に海底戦だから討伐効率クソ悪いんだわ。

 で、噂の料理人を探してるってわけ。


 112:名無しのバーバリアン

 ペンタスとかいう料理人じゃなかったっけ?


 113:名無しのバーバリアン

 マ? そのペンタスってやつ今どこにいるの??


 114:名無しのバーバリアン

 黄金の鍋っていう食堂にいるんじゃね?

※フグを他人に提供、販売する場合はふぐ処理師の免許が必要となります。実際にフグを調理する際はご注意ください。



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