第47話 糸目の聖女
ドアが開き、カランと静かな音を立てた。
店内へ入ってきたのは、どこか周囲の空気から浮いて見える人物だった。
真っ白な生地に金の刺繍が施された重厚な神官装束。頭を覆う布からは、柔らかく波打つ薄絹のような髪が覗いている。
何より特徴的なのはその顔立ちだった。穏やかそうな笑みをたたえているものの、両目は綺麗に細められ、まるで眠っているかのような糸目になっている。
「あらあら……」
女性はきょろきょろと、どこか楽しそうにあたりを見渡すと、すっと滑らかな足取りでカウンター席に腰掛けた。
ロメリアがすぐに水を持ってお冷やのグラスを置く。
「いらっしゃいませ。ご注文はお決まりでしょうか?」
「ええ。天使の口づけをお願いできますかしら」
澄んだ、可憐な鈴のような声が耳に届いた。
だが、注文を受けたロメリアも、厨房の中で耳を澄ませていたガランも、そして俺も困惑していた。
「お客様……? 大変申し訳ございません、そのようなメニューは当店にはございませんが……」
ロメリアが困り顔で、なるべく失礼のないよう丁寧に返事をする。
女性は糸目を深め、首を小首をかしげた。
「あら……おかしいですわね。こちらでお出ししていると伺ったのですけれど」
ちょうど奥のお手洗いから、フラフラとした足取りで戻ってきたプチさんがその顔を見て、顔をひきつらせた。
「ワッ、聖女!? なんでこんなとこに来てんのよ!」
「あらあら、聖女なんて他人行儀な呼び方は酷いですわ! わたくしにはちゃんとオルレアと名前があると前から言っているでしょう?」
ゆったりと微笑む聖女——オルレア。
「別に聖女だから聖女でいいじゃないの! それで、なにしに来たのよ!」
「フィーユちゃんがこちらで天使の口づけなるものをお出ししているのでしょう」
(えっ……そうなんだ!?)
俺は思わずガランと顔を見合わせた。
プチさんが得意げな声でオルレアに言い返す。
「ならそこで待ってなさい! 営業後に作ってあげ……」
そこまで言いかけた瞬間。
ぎゅるるるるるるうぅ……
店内に、腹鳴りの音が響き渡った。
音の発生源は、プチさんのお腹だった。
プチさんは顔を真っ赤にしてお腹を押さえ、その場に蹲る。
「……っく!」
「あらあら、あの子大丈夫かしらねえ。アネモネちゃんも心配していましたし……」
昨日のケーキ試作会で、張り切って新作ケーキを食べまくっていたプチさんの姿が脳裏をよぎる。
オルレアはクスリと笑うと、クルリとこちらへ向き直った。
「料理人さん、こちらのおすすめメニューはありまして?」
「あ、はい! ええと『オーク肉のグリル』と『ロックボアの野菜スープ』が特におすすめとなっております」
「では、そちらを二人前。あと、メニューのこれとこれと……これを1つずつお願いできますかしら」
細い指先が、メニュー表の上をタタタンと滑らかに躍る。
(……えっ、二人前? それに他のメニューも半分以上指指してないか……?)
「……承知いたしました!」
数十分後。俺とガランは厨房の中で開いた口が塞がらなかった。
「……おい坊主、あの客、もう皿が空だぞ」
「嘘でしょう……!?」
出された料理を、オルレアは実におしとやかに、優雅な手つきでナイフとフォークを運んでいた。溢れる脂の香ばしさ、ジュワッと音を立てる肉汁、濃厚なスープの旨味——それらを実に美味しそうに、しかしハイスピードで口へ吸い込んでいく。
「まあ……こちらも大変素晴らしいお味ですわね」
「あ、ありがとうございます……」
「では、追加でこちらのページの上から下までをお願いできますかしら?」
「……はい!?」
結局、オルレアは店のメニューほぼ全てを一人で平らげてしまった。
営業終了後。
へロヘロになったプチさんが、まだ少しお腹を押さえながら厨房に入ってきた。
「さ、料理人! 天使の口づけ、作るわよ!」
「プチさん……その、確認なんですけど、天使の口づけって一体何なんですか?」
俺が尋ねると、プチさんは呆れたようにハァと溜息をついた。
「アンタ、本当に勘が悪いわね! 昨日のフルーツケーキに決まってるでしょ!」
「ああ、なるほど! プチさんがそんな素敵な名前を付けてくれたんですね!」
「そうよ! 私が考えたのよ! もっと感謝しなさい!」
ふふんと胸を張るプチさん。
数時間後。しっかりと焼き上げ、フレッシュなフルーツとクリームで彩ったホールケーキが完成した。
「お待たせしました、こちらが天使の口づけです」
(流石に1ホール丸ごとお出ししても、さっきあれだけ食べた後だし残しちゃうかな……切り分けた方が……)
俺がナイフを手に取ろうとすると、客席の奥からプチさんがピシャリと言い放った。
「待ちなさい、料理人。その聖女に遠慮なんて一切不要よ」
「えっ? あ、はい! ではこのままお出しします!」
(この人の胃袋、一体どうなってるんだろうう……)
「まあまあ! こちらが天使の口づけ……! では、いただきますわ」
オルレアは嬉しそうに目を細めると、綺麗な手つきでホールケーキを切り分け、口へと運んだ。
すっ——と、オルレアの糸目が真っ直ぐに見開かれた。
透明感のある鮮烈な瞳が、ケーキとプチさんを捉える。
焦がされた砂糖と甘酸っぱい果実の香りが鼻腔を抜け、しっとりとした生地が舌の上で解けていく。
オルレアはそっと手で口元を覆うと、噛み締めるように目を細め、感極まったような声を漏らした。
「……フィーユちゃん。料理人としてこんなに成長して……お姉ちゃん、とっても嬉しいですわ」
「あんたの妹になった覚えはないわよ!!」
間髪いれずにプチさんのツッコミが飛ぶ。
「よよよ……アネモネちゃんと一緒に『私たち、最高の姉妹ね!』って語り合ったあの日の思い出は嘘だったのですか……?」
「あれはお姉ちゃんが勝手に言ったことでしょ! 私は一言も頷いてないわよ!」
(プチさんのお姉さんとも知り合いだったのか)
オルレアは満足そうに息を吐くと、金貨が詰まったずっしりと重い袋をテーブルに置いた。
「ごちそうさまですわ」
プチさんが袋の中身を確かめ、フンと鼻を鳴らす。
「……まあ、及第点ね」
「ふふ、フィーユちゃんが元気そうで何よりでしたわ。……料理人さんも、今後とも妹をよろしくお願いしますわね」
「だから妹じゃないって言ってるでしょーが!」
「あらあら」と笑いながら、オルレアは優雅な動作で店を後にした。
扉が静かに閉まる音を聞きながら、俺はしばらくその場から動けずにいた。
【フラミス】サービス23日目 雑談スレ Part11
11:名無しのバーバリアン
今日のフィーユちゃん、なんかすごい辛そうだった。
12:名無しの侍
拙者、腹痛に効く特製の丸薬を献上しておいたでござるよ。
13:名無しのバーバリアン
今日のあのスマイル、苦しそうだったのそれが原因かwww
14:名無しのバーバリアン
お前! フィーユちゃんになんてことさせてんだよ!
15:名無しのバーバリアン
ごめんて知らなかったんだよ!
16:名無しのバーバリアン
>>15
p
17:名無しのバーバリアン
それより今日、カウンターに座ってたの聖女だったよな……?
18:名無しのバーバリアン
マジで!? あの魔法使いギルドのトップの!?
19:名無しのバーバリアン
魔法使いギルドのトップって、あのなんちゃら総帥じゃないんか?
20:名無しのバーバリアン
ちげーよwww あれはただのネタ枠だろwww
21:名無しのバーバリアン
聖女はマジもんのトップ。普段は表に出てこないけど。
22:名無しのバーバリアン
聖女のくせに魔法使い最高火力って噂あるからな……。
23:名無しのバーバリアン
聖女なのに攻撃とかwww
24:名無しのバーバリアン
俺も怖すぎて一切声掛けられなかったわ。
25:名無しのバーバリアン
目を開くと石にされるって噂だぞ。
26:名無しのバーバリアン
ちな目を見開いた所を観測したプレイヤーは未だにいない模様。
27:名無しのバーバリアン
>>26
そら目開いたら石にされるからなw




