第39話 熊公再来。カメ子は食べ物じゃないです!
クラーケン騒動の翌朝、ドレッドノートの甲板には賑やかな声が飛び交っていた。
「忘れ物なーい!?」
「素材の積み込み完了しました!」
「出港十五分前ー!」
慌ただしく動く鍛冶師ギルドの面々の傍らには、船を失った一般プレイヤーたちが身を小さくして並んでいた。そこへ、ドラセナが腰に手を当てて仁王立ちする。
「よし、向かうは氷雪島だよー!」
「また戻るのかよ……」
落胆の声を漏らすプレイヤーたちにドラセナはニッと不敵に笑ってみせた。
「嫌ならここに置いてくよ?」
「乗ります! 乗らせてくださいっ!!」
こうして大勢のプレイヤーを乗せ、ドレッドノートは氷雪島を目指して海を走り出した。
「あれ……全っ然、揺れない……!」
手すりに掴まりながら俺は目を丸くした。
定期船ではあんなに苦しめられた船酔いが、嘘みたいにまったく起きない。重厚な船体が荒波をドッシリと押し潰しながら進んでいくため、船上は信じられないほど快適だった。
「良かったじゃない、船酔いしなくて」
隣でプチさんがクスッと笑う。
船内では鍛冶師ギルドのプレイヤーたちが武器の整備や大砲の点検など思い思いに過ごしていた。その一角で、何やら必死に頭を下げている男の姿があった。
「メイドさん! 俺を弟子にしてください! 先程の動き、心から感動いたしました!」
「申し訳ございません。ここから先は関係者以外立ち入り禁止となっております。また、弟子は取っておりません」
「そこをなんとかー!」
無表情で淡々とあしらうメイドさんと、食い下がるプレイヤー。平和な光景に思わず笑みがこぼれた。
氷雪島の港へ到着すると、ドラセナが大きく手を広げた。
「はい、自由行動だよー!」
その掛け声を合図に、プレイヤーたちは「温泉だー!」「装備見に行くぞ!」と散っていく。
「料理人君たちも酒蔵行くー?」
「私はパス。お酒はまだ飲めないし……」
ドラセナらしいお誘いだったが、プチさんはあまり乗り気ではない様子だった。そこで俺は提案してみることにした。
「プチさん、よかったらまた釣りに行きませんか?」
問いかけると、プチさんは静かにこっくりと頷いた。
向かったのは以前訪れた上流ではなく、海へと繋がる河口付近だ。
川幅が広く、水温も上流よりほんのりと冷たい。糸を垂らすと、上流とは一味違う手応えが竿を大きく絞り込んだ。
「あ、釣れた!」
「こっちは潮香アジね! そっちの大きいのは……氷雪サーモン!?」
ガランさんへのお土産にもちょうど良さそうな立派な成果だ。
のんびりと釣りを楽しんでいると、ふと対岸の雪原から、のっそのっそと巨大な影が現れた。
真っ白でモコモコとした毛並みを誇る、一頭の巨大な白熊だ。
白熊は川へざぶざぶと入っていくと、目の前を泳ぐ氷雪サーモンを巨大な前足でバシッと捉え、そのままガブリと美味しそうに頬張り始めた。
「ひっ……!」
「襲ってこない」と聞いていたものの、間近で見るとやはり足がすくむ迫力だった。
サーモンを食べ終えた白熊は、こちらに気づいたように鼻を鳴らし、のそのそと川を渡って歩いてきた。
冷たい水飛沫を散らしながら目の前までやってくると、大きな鼻先をフンフンと俺の手に近づけてくる。
俺は小さく息を呑み、心臓の鼓動がトクトクと跳ねるのを感じながら、恐る恐る手を伸ばした。
「……あ、温かい」
分厚く白い毛並みに手を沈めると、もふもふとした極上の触感が伝わってくる。
俺は釣ったばかりの新鮮な氷結サーモンを差し出してみた。
クックッ
白熊は嬉しそうに喉を鳴らし、サーモンを美味しそうに丸呑みにした。
と、満足げな白熊の視線が、プチさんの足元に置いてあったバケツへと注がれた。中ではカメ子が首をすぼめて丸くなっている。白熊が興味津々に鼻を伸ばすと――
「カメ子は食べ物じゃないんだからね! あんたはこっちでも食べてなさい!」
プチさんが慌ててバケツをかばい、釣れたての潮香アジをポトリと投げつけた。
白熊は投げられたアジの匂いをすんすんと嗅ぐと、嬉しそうにパクリ。
しばらくの間、俺たちの手から魚を食べて満足した白熊は、再び川を渡って元の道をのそのそと帰っていった。去っていく後ろ姿を見送りながら、俺は名残惜しく手を振る。
「料理人、怖くなかったの?」
「襲ってこないって分かったら、なんだかすごく可愛く見えちゃって」
ふっと場が和んだところで、俺は持ち歩いている調理セットを広げた。
「よし、ご飯の準備をしましょうか」
プチさんはメモでも取るかのように、トントンと膝を叩いてしゃがみ込み、俺の手元を真剣な眼差しで見つめ始めた。
まずは獲れたての氷結サーモンのぬめりを冷水でしっかりと洗い流す。
胸ビレの後ろから包丁を斜めに入れ、固い骨を押し切って頭を叩き落とした。腹を肛門から頭へ向けて切り開き、内臓を取り除いてお腹の中を綺麗に洗う。
背中とお腹の順に中骨に沿って包丁を滑らせ、身を綺麗に切り離す三枚おろし。身の端にある硬い腹骨をすっと薄く剥ぎ取り、中央に残った小骨を骨抜きで一本ずつ丁寧に抜き取っていく。
「……難しそうね。私にはできそうにないわ」
真剣に工程を見つめていたプチさんが、ぽつりと漏らす。
「最初はみんなそうですよ。俺も何度も動画を見て学びましたから。プチさんも、後で一緒にやってみましょう」
「うん……!」
尾の方から包丁を入れ、薄皮一枚を引くようにして皮を剥がす。筋を断ち切るように薄くスライスし、さっと醤油をくぐらせて――氷雪サーモンの刺身の完成だ。
切り分けられた刺身を皿に盛り付け、まずは一切れ箸で持ち上げる。
透き通るような鮮やかな橙色の身にはまるで降り積もる雪の結晶のように、繊細で美しい脂の白い線が美しいさざ波を描いている。持ち上げた拍子にぷるんと揺れ、表面に浮き出た上質な脂が光を浴びて艶やかに輝いた。
醤油をちょんと一口浸し、口の中へと運び入れる。
舌に乗せた瞬間、ひんやりとした冷感とともに芳しい大豆の塩気とほのかな磯の香りが広がる。
意を決して歯を立てると、冷たき清流で揉み抜かれた身が前歯を押し返すような力強い弾力を持って主張してくる。
「むちっ……」
引き締まった身の繊維を断ち切った次の瞬間――口内の体温によって熱せられた極上の脂が一気に融解し、とろりと溢れ出してきた。
生臭さや嫌なクセは一切存在しない。甘みを含んだ濃密な脂のコクと、サーモン特有の力強く濃厚な旨味が、醤油の塩気によって一層くっきりと描き出され、口内を埋め尽くす。
噛み締めるたび、とろける脂と弾力ある身が絡み合い、舌全体を滑らかに包み込んでいく。
喉を通る瞬間にはまるで上質なオイルのように引っかかりなくスッと滑り落ち、喉奥に心地よい旨味の余韻と、冷涼な満足感だけを残していった。
「んん……最高です!」
「美味しい……! 本当に、口の中でとろける……」
プチさんも目を輝かせて刺身を味わっていた。そして、お皿に残った刺身を見つめながら、小さく呟いた。
「……次は、私もやってみる」
【フラミス】サービス17日目 雑談スレ Part1
855:名無しのバーバリアン
で、俺たち氷雪島に舞い戻ったってワケ。
856:魔法使いギルド総帥
フン、敵の船に乗るなんて死んでもごめんだわ!
857:名無しのバーバリアン
姉御~強がらないでくださいよ~
858:魔法使いギルド総帥
私は歩いて帰るわ!
859:名無しのバーバリアン
あ、おいてかないでくださーい!
860:名無しのバーバリアン
何やってんだこの人たちwww
861:名無しのバーバリアン
次の定期船いつ出るんかな~
862:名無しのバーバリアン
しゃーなし、もう一回ひとっ風呂浴びてくるか。
863:名無しのバーバリアン
俺、ドラゴンスミスのヤケ酒に付き合わされてる件。
864:名無しのバーバリアン
>>863
それはいい経験になるんじゃないかwww
865:名無しのバーバリアン
もう飲めないよ……メイドさんの弟子入りも失敗するし散々だわ。
866:名無しのバーバリアン
もういっそドラゴンスミスに弟子入りしたらどうなんwww




