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第32話 極楽温泉卵

 白熊の襲撃から逃れるように川の上流へ向かうにつれて、周囲はゴツゴツとした岩場が多くなってきた。一面の雪景色の中にいくつもの湯けむりがもくもくと立ち上っている。風に乗ってかすかな硫黄の香りが鼻腔をくすぐった。


 さらに奥へ進むと雪の白さに映える古風な木造建築が立ち並ぶ趣のある温泉街に到着した。

 赤い提灯が風に揺れ、木橋の下を湯気の立つ川が流れている。どこか懐かしい和の情景だ。


「温まっていきな~、ええお湯湧いてるで」


 浴衣を着て頭に白いタオルを巻いたNPCのおじさんが、温かい笑顔で迎えてくれた。


「すごい……本当に温泉街がある……!」


 雪景色の中で温かい水が流れているのだから何かあるとは思っていたが、まさかこれほど本格的な温泉地だとは思わなかった。


 だが、川沿いの大露天風呂を覗き込んだ俺たちは、思わずその場で凍りついた。


 ――ゆったりと湯に浸かるプレイヤーたちのすぐ隣で、あのでっかい白熊やニホンザル風のモンスターたちが気持ちよさそうに目を細めて並んでお湯に浸かっているのだ。


「え、えぇ!? あ、危なくないんですか!?」

「ハハッ、安心せえ。ここらへんの奴らは湯治に来とるんや。こちらから悪させえへん限り、襲ってくるこったねえから」


「そ、そうだったんだ……」


 たしかにさっき遭遇した白熊も、俺のうなぎだけを食べると満足して去っていった。しかし、やっぱりあの巨体が至近距離にいると足がすくむ。

 ……ただ、当のモンスターたちはみんな至福の表情を浮かべ、ふやけきった顔で「ふぅー」と息を吐いていた。


「すごーい! 暖かくて気持ちいいー!」


 怖がる様子もなく、プチさんはさっさと靴と靴下を脱ぎ、足湯の縁に腰かけてお湯の中で足をバタバタと遊ばせていた。


「キャッ! くすぐったい!」


 見れば、指先ほどの手のひらサイズの小ウナギのような生物が、プチさんの足元に群がってつついている。


 俺もウナギを釣るという当初の目的を完全に忘れ、素足を湯に浸してみた。

 じんわりと心地よい温もりが足先から全身へ広がっていく。すぐに小ウナギたちがササッと集まってきた。


(うおっ……!)


 まるで炭酸水に足を浸したかのような、シュワシュワ・パチパチとした心地よい刺激が走る。と同時に、足の角質を優しくつつかれているような、滑らかなマッサージ効果が足裏を刺激した。

 背筋にゾクゾクッと気持ちいい快感が駆け抜け、歩き疲れていた足の重みが嘘のように吹き飛んでいく。


「はぁぁ……極楽だぁ……」


 あまりの気持ちよさにうとうとし、仰向けになって目を閉じかけたその時、ふっと顔の上に大きな影が落ちた。


「よう、船で酔ってた少年とカメの嬢ちゃん」

「……んぁ? あ、クラーケンのお兄さん!」


 瞼が落ちかけていた俺は、慌てて上半身を起こした。

 そこに立っていたのは、定期船で出会ったあの背中に大剣を背負った男だった。


「クラーケンのお兄さんってよぉ……あっしの名はエアプランツだ。よろしくな」

「あ、すみません! 俺はペンタスっていいます! よろしくお願いします、プランツさん!」

「プチフィーユよ。こっちはカメ子」

「ところでプランツさん、クラーケンには会えましたか?」

「いいやぁ、からっきしだね。船代ばかり消えて金が減っていくよ」

「それは……残念でしたね」

「まあ、他の連中からしたら船が安全なのはいいことなんだがな」

「クラーケンなんて本当にいるの? 誰かの見間違いじゃないかしら」

「そいつは違うぜ、嬢ちゃん。あっしは自分の目で実際にそいつを見たんだ。あの巨体と触手は本物さ」


 豪快に笑いながら、プランツは手に持っていた穴の開いた木製の丸い容器を、足湯の熱い源泉の中にポチャンと沈めた。


「それ、何ですか?」

「こいつかい? こいつはニワトリスの生卵だよ」


 カパッと蓋を開けて見せてくれた容器の中には、薄いピンク色をした一回り大きな綺麗な卵が収まっていた。


「あ、ニワトリスの卵! 俺もよく料理に使ってます!」

「へぇ、君やっぱり料理人だったんだな。目のつけ所がいい」

「もしかして、温泉卵を作るんですか?」

「お、察しがいいねぇ! 完成したら君たちにも分けてあげるよ」

「いいんですか! ありがとうございます!」


 プランツは手慣れた手つきで湯の温度を確かめ、じっと時が満ちるのを静かに待っていた。


 数分後、プランツが手ぬぐいで容器を引き揚げた。


「よし、頃合いだな」

「おお……!」

「はい、ペンくん、それとフィーユちゃん」


「ありがとうございます!」


 出来立ての温泉卵を割らないように優しく受け取る。手のひらに伝わる、ぽかぽかとした心地よい温もり。


 殻の上部にそっとヒビを入れ、つるりと剥き分ける。


 ――ぷるんっ。


 真っ白で柔らかな表面に歯を立てると、ぷちんという心地よい弾力と共に白身が割れ、スーッと綺麗な切れ目が入っていった。

 絶妙な火入れによって半熟状になった白身の奥から、とろ~りとした濃厚な黄身が溢れ出し、口から零れ落ちそうになる。


 舌の上ですりつぶすように黄身を溶かすと、ニワトリスの卵特有の芳醇なコクと濃厚な旨味、そして温泉のほのかな塩気が混ざり合い、ダイレクトに鼻腔へ抜けていった。


「うわぁ……! 白身はぷるぷるなのに、黄身がとろーりしてて、めちゃくちゃ美味しいです……!」

「本当……! 出汁も何もつけてないのに、すごく濃厚……!」


 俺とプチさんが目を輝かせて味わっていると、プランツは嬉しそうに目を細めた。


「そいつはよかった。なぁペンくん、よければこの後、あっしが育ててるニワトリスを見に来ないかい?」

「え!? 育ててるんですか!?」

「おうよ。実家が養鶏農家でな。ゲーム内でニワトリスを見かけた時は運命やと思って、個人的に牧場を借りて育ててるんだよ」

「是非! 見たいです! プチさんもどうですか?」

「……まあ、美味しい卵をくれたお礼について行ってあげてもいいわよ」


「よし、それじゃあいこうか!」


 温泉の温もりがじんわり残る足で靴を履き直し、俺たちはプランツの背中について歩き出した。


【フラミス】サービス15日目 雑談スレ Part10


 601:名無しのバーバリアン

 おい、またクラーケンに襲われたんだけど。


 602:名無しのバーバリアン

 それは災難だったな。


 603:名無しのバーバリアン

 お困りのようだな! 君たち!


 604:名無しのバーバリアン

 しゅたッ! 俺たちイカダ特攻部隊参上!


 605:名無しのバーバリアン

 なんだなんだwww


 606:名無しのバーバリアン

 またイカダ勢かよwww


 607:名無しのバーバリアン

 海の安全は俺たちイカダ特攻部隊が守るぜ! 団員募集中!


 608:名無しのバーバリアン

 頼もしさゼロで草。


 609:名無しのバーバリアン

 それにしても今日クラーケンかなり削ったんだけどなぁ。


 610:名無しのバーバリアン

 同乗の勇士か! 今日はいい戦いだったなありがとよ!


 611:名無しのバーバリアン

 え? どこまで削ったん?


 612:名無しのバーバリアン

 触腕一本切り取ってやった。


 613:名無しのバーバリアン

 やるやん!!


 614:名無しのバーバリアン

 でもあいつ逃げやがったんだよなぁ……。


 615:名無しのバーバリアン

 触腕1本あったところでしょうもないっていうか、あいつのカラストンビが欲しいんだよな。


 616:名無しのバーバリアン

 てかもし倒しても取り合いにならね?


 617:名無しのバーバリアン

 そんときは殴り合いだよ。最後に立ってたやつが所有者。


 618:名無しのバーバリアン

 世紀末かよwww


 619:名無しのバーバリアン

 全員これで納得してるんだよなぁ。


 620:名無しのバーバリアン

 なお反対者は最初に排除される模様。



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― 新着の感想 ―
温泉卵が出来る温度のお湯に浸かるのは怖い
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