第七章 息子たちの休息
木星太陽化計画の成果を守る為に、傷つき倒れた大助は、その身体を癒す為に地球圏へと戻る事となり、それに寄り添うことを決意した陣も、同行する事となる。
木星圏最大の危機の後に訪れる、息子たちの束の間の休息の時間。
第一節 息子たちの沈黙
地球圏のコロニーへと帰還した輸送船から、大助は直ちに高度医療施設の治療区画へと、搬送された。
そこは宇宙放射線障害治療室。眠ったままの大助の身体は、ストレッチャーから、医療用のカプセルに移され、横たえられる。
処置に取り掛かる医療スタッフは、慣れた手つきで素早く、大助の身体に着せられていた、薄い青色の病衣を脱がせ、剃毛や、カテーテルの挿入等、必要な処置を施していく。そして大助の身体には今、何も着けられてはいない。その後、生まれたままの大助の裸体には、胸から腹部にかけて、複数のセンサーが取り付けられる。
輸送船の人工重力の下でも、大助の身体は冷凍睡眠状態での管理下に置かれ、その静かな状態のまま、彼はここへとやって来た。
宇宙線による被曝は、目に見えない形で人間の細胞を破壊する。前回の治療では、点滴によるナノマシンの注入が行われたが、より重症と認められた今回の治療法は、全身を直接管理する方式が取られる。
「ナノマシンによる再生処置を、開始します。」
医療スタッフの声とともに、腹部に取り付けられた制御ユニットが淡く光り始めた。青い光がまっすぐに伸び、大助の体を静かにスキャンしていく。
筋肉質な胸郭がゆっくりと上下し、規則的な呼吸がセンサーの数値に映し出される。彼がついこの間まで、宇宙空間で命をかけていたとは思えないほど、今の姿は無防備だった。
治療カプセルの、透明な強化ガラスの蓋が閉じられ、その内部に橙色の治療液が、満たされていく。人肌の温度を保った液体が、大助の裸体をゆっくりと包み込み、肺が治療液で満たされると、彼の身体は、栄養の摂取をはじめとして、呼吸をする努力からも解放され、やがて意識は、睡眠状態から半覚醒状態へと誘導される。
胸のセンサーが微かに光る。やがて、カプセルはゆっくりと直立状態へと起こされ、治療室の壁面に固定される。細かな気泡が、治療液に浮かぶ大助の体表を滑るたびに、強靭な肩や腕の筋肉の輪郭が揺れて見えた。
アカデミーの出身者の中でも、彼の身体はよく鍛えられている。長期航行のための訓練の成果だ。だが今、その身体は力なく治療液の中に、まるで琥珀に閉じ込められた標本の様に、浮かんでいる。戦うことも、立ち上がることもできない。只々、治療装置にすべてを委ねている。
再生液が淡い橙色に発光する。ナノマシンが体内に送り込まれ、被曝によって傷ついた細胞を修復していく。
淡い光の中で、大助の裸体は静かに浮かんでいた。鍛えられた胸、広い肩、引き締まった腹筋と臀部、長い脚のラインが、橙色の液体の中でゆっくりと揺れる。
この治療では衣服は意味を持たない。全身の状態を直接管理する必要があるからだ。だから彼は、こんなにも無防備な姿を晒している。もし意識があれば、きっと文句の一つも言っただろう。
治療区画 観察デッキ。再生カプセルの並ぶ医療区画は、静まり返っていた。
厚い強化ガラスの向こう側、橙色に発光する治療液の中で、大助の裸体が、静かに浮かんでいる。 肩幅の広い体格。宇宙作業用の訓練で鍛えられた厚い胸と太い腕。普段なら、一番気を張っている男なのに、今はただ眠っているかの様に、動かない。
太一は腕を組んだまま、観察デッキのガラス越しにその姿を見つめていた。
「……あいつ、起きたら絶対怒るな。」
ぽつりと呟く。陣は、その隣で無言のまま、頬を赤らめている。
橙色の液体の中で、大助の体がわずかに揺れる。胸に取り付けられたセンサーが淡く光り、心拍の波形がモニターに映っていた。
治療の都合とはいえ、彼は今、何も身に着けていない。鍛えられた身体の線が、液体の中で柔らかく歪んで見える。太一は視線を逸らしかけ、また戻した。
「……あいつ、こんな静かな顔するんだな。」
陣は答えなかった。ただ、ガラスに片手をつき、その向こうの大助の姿をじっと見ている。
普段の大助は、誰よりも強くて、誰よりも無茶をする。だが今は、完全に装置に身を預けている。守ることも、戦うこともできない。
「宇宙線の被曝量は下がってるそうだ。」
太一が低い声で言った。
「ナノ再生も順調だ。医療班の話じゃ、じきに目を覚ます。」
陣は小さく、安堵の息を吐いた。
そのとき、治療液の中で大助の指が、ほんのわずかに動いた。二人同時に顔を上げる。
モニターの波形が、わずかに変化した。
「……見たか?」
太一が言う。陣の口元が、ほんの少しだけ緩んだ。
「あいつは絶対、戻って来る。」
ガラスの向こうで、橙色の光の中、大助の胸がゆっくりと上下する。まだ目は覚めない。それでも確かに、彼は戻ってきていた。
太一はガラスに触れたまま、小さく呟いた。
「早く起きろよ、大助。」
その声は、誰にも聞こえないはずだった。
第二節 息子たちの覚醒
大助が、治療カプセルに入ってから、丸三日程の時間が経過していた。カプセル内の、治療液の光が、少しずつ弱くなっていく。
医療区画のモニターが静かな電子音を鳴らした。
「再生プロセス終了。覚醒段階に移行。」
機械音声が淡々と告げる。
観察デッキで、見舞いに来ていた太一が、身を乗り出した。
「来るぞ。」
一緒に来ている陣は、まだ何も言わない。ただ腕を組んだまま、ガラス越しにカプセルを見つめている。
直立状態に置かれていたカプセルが、再びゆっくりと寝かされ、橙色だった液体が、徐々に排水される。 そして、透明なガラス越しに大助の体がはっきり見えるようになった。
濡れた肌の上を、細い水の筋が流れる。胸のセンサーが淡く点滅し、広い胸郭がゆっくりと上下していた。
数秒。そして…。
大助のまぶたが、かすかに動いた。
「……!」
太一の肩がぴくりと跳ねる。
まぶたがもう一度震え、やがてゆっくりと目が開いた。ぼんやりと焦点の合わない視線が、天井のライトを捉える。
呼吸が少し深くなった。大助は小さく息を吐くと、首をわずかに動かした。
その瞬間、観察デッキの方角に視線が向く。ガラス越しに立つ二人の姿が、ぼやけた視界に映った。
カプセルの排液が完全に終わり、透明な蓋がゆっくりと持ち上がった。部屋の空気が流れ込み、濡れた肌に触れる。
大助はまだ横になったまま、天井を見ていた。体が重い。力を入れようとしても、思うように動かない。再生治療の直後はいつもそうだ。
扉のロックが解除される音がして、足音が聞こえる。ゆっくりとした、重い足取り。
大助は目を動かす。入ってきたのは陣だった。
「…何故…おまえが?」
掠れた声で聞く。陣はバツが悪そうに肩をすくめる。
「休職して、一緒に来ました。」
蓋の開いたカプセルの横まで来ると、大助の姿をじっと見下ろす。濡れた肌、胸と腹に残るセンサー。取り敢えずスタッフから、申し訳程度のT字帯だけを身に着けられた身体。
いつもなら軽口の一つも言うところだが、陣は何も言わなかった。ただ腕を組んだまま立っている。
大助が少し笑う。
「……何だよ。」
「何が?」
「そんな顔して見んな。」
陣の眉がわずかに動く。
「どんな顔ですか。」
大助は少し考えるようにして、視線を天井に戻した。
「……怒ってる顔。」
沈黙が落ちる。
医療機器の電子音だけが静かに響いていた。
やがて陣が言う。
「当たり前ですよ。」
低い声だった。
「宇宙線の嵐に突っ込むなんてバカな真似。」
大助は苦笑する。
「仕方ねえだろ。」
「何が!」
「誰かがやらなきゃ、全員死んでた」
陣は答えなかった。ただ一歩近づく。カプセルのすぐ横まで来ると、大助の腕を見下ろした。
そこにはまだ神経インターフェースのリングが付いている。陣はそっと手を伸ばし、その金属リングに触れた。冷たい装置の上から、指がわずかに動く。
「……生きてて良かった。」
ぽつりと呟く。大助が笑う。
「当たり前だろ。」
「簡単に死ぬかよ。」
陣は顔を上げた。視線がぶつかる。ほんの数秒。何も言わないまま、二人の間に静かな時間が流れた。
大助が先に目を逸らす。
「……悪かったよ。」
陣は少しだけ目を細める。
「何が。」
「心配かけた。」
その言葉に、陣は小さく息を吐いた。そして、腕を組み直す。
「次は許しませんよ。」
「何を?」
「勝手に死にかけるとか。」
大助はくすっと笑う。
「お前、怖えな。」
陣の口元が、ほんの少しだけ緩んだ。
「覚えといてください。」
医療ライトが柔らかく落ちる。スタッフが術後の処置に取り掛かり、大助からセンサー類が取り外され、濡れた身体が拭かれる、ストレッチャーに移された後、病衣が着せられる。まだ体は動かない。
それでも、陣はそこから離れなかった。まるでもう二度と目を離さないと決めたみたいに。
第三節 息子たちの変化
病室の扉が軽く開いた。
「……入っていいか?」
太一の声だった。陣が振り返る前に、もう一人が顔を覗かせる。退助だ。役目を終えて、暁環から帰って来ていた様だ。
「お、起きてるじゃないか。」
大助はベッドの上で、ゆっくり目を向けた。
「二人とも来たんですか?」
退助は肩をすくめた。
「そりゃ来るだろ。お前が宇宙線に焼かれたって聞いたんだからな。」
太一がベッドの足元まで歩いてくる。そして大助の顔を見て、にやっと笑った。
「思ったより元気そうだな。」
「思ったよりって…。」
「もう少し、死にかけの顔してるかと思った。」
大助は鼻で笑った。
「残念でしたね。」
部屋の空気が、少しだけ軽くなる。
退助は腕を組んだまま息を吐いた。
「まったく……。」
そしてベッドの横に立つ陣をちらりと見る。
「お前、ずっとここに居たのか?」
陣は短く答える。
「別に…。」
太一が肩を揺らして笑った。
「ずっと居たぞ。」
陣が軽く睨む。
「余計なこと言わないで下さい。」
大助がくすっと笑った。
その時、ふと体を動かそうとする。
「……っ!」
肩に力を入れた瞬間、体が思うように動かない。
再生治療の直後だ。
筋肉も神経も、まだ完全には戻っていない。
「無理するな。」
太一が言う。だが大助は少し顔をしかめる。
「寝たままってのは……性に合わない。」
もう一度体を起こそうとする。
しかし上半身がわずかに浮いたところで、力が抜けた。
その瞬間…陣の腕が背中に回った。ぐっと支える。
「だから言ったじゃないですか。」
低い声。大助の体が、陣の腕に預かる形になる。陣の息が、大助の肩にかかる。
距離が近い。ほんの一瞬、二人とも動かなかった。退助がにやにやしている。太一は咳払いした。
「……まあ、そのくらいにしとけ。」
大助は少し顔をしかめた。
「何がだよ。」
「見てるこっちが落ち着かん。」
陣が腕を離す。
だが大助の体は、もうベッドの背もたれに寄りかかって座っていた。
「ほらな。」
大助が言う。
「起きれた。」
陣は小さく息を吐く。
「俺が支えたからでしょ。」
「細かいこと言うな。」
太一が笑った。
「元気そうで何よりだ。」
窓の向こうに、青い地球。木星とは違う、やわらかな光。大助はベッドに身を起こし、ゆっくりと息を吐く。内部被曝の治療は順調。だが体力は、思うように戻らない。
翌朝、ドアが静かに開く。
「起きてましたか?」
陣が、両手いっぱいに荷物を抱えて入ってくる。果物。栄養補助食品。医師の指示メモ。そして…エプロン。なぜか胸のところに、”PIYO PIYO”と、プリントされている。
「…神尾…お前、それ?」
大助が目を細める。陣は胸を張る。
「今日から本格的に“居候”です。」
「勝手に決めるな!」
「医師の許可は取りました。」
さらりと言う。大助は呆れた顔をしながら、どこか嬉しそうだ。
陣は、とにかく世話を焼く。食事管理。リハビリの時間管理。
投薬スケジュール。医師との面談も同席。
「無理しないでください!」
「歩行距離、今日はここまでです。」
「ちゃんと水分取ってます?」
大助は何度も言う。
「なぁ神尾…俺は病人だが、子供じゃない。」
それでも。陣は引かない。
その夜、面会時間の終了目前。病室の簡易ソファで資料を読みながら、うとうとする陣。
その寝顔を見て、大助は思う。
(……なんで、ここまで)
翌朝、陣は何事もなかったようにまたやって来て笑う。
「おはようございます。」
その笑顔が、妙に眩しい。
ある日。リハビリ室から戻る途中。大助がふらつく。陣が咄嗟に肩を支える。距離の近さに、鼓動が少し速くなる。
「……すみません。」
陣が離れようとする。大助は、無意識に袖を掴む。
「離れるな。」
陣の目が見開く。
「え?」
大助は少しだけ視線を逸らす。
「まだ、少しふらつく。」
陣は小さく笑う。
「はい。」
それから、自然に隣に立つ。
その距離が、当たり前になっていく。
何日か経った夜。窓の外に、コロニーの夜景。大助がぽつりと言う。
「神尾…さ。」
陣が振り向く。
「はい?」
沈黙…少し迷う。そして。
「……陣。」
神尾の呼吸が、一瞬止まる。
「今、なんて?」
「聞こえただろ。」
顔が少し赤い。
「神尾、じゃ長い」
神尾 陣は、笑う。
嬉しさを隠しきれない顔で。
「じゃあ俺も。」
「……南雲先輩、じゃなくて。」
「…大助。」
その響きは、柔らかい。大助は苦笑する。
「調子に乗るな。」
でも、否定はしない。
療養生活は、ゆっくり進む。朝の散歩、昼のリハビリ。夜の他愛ない会話。
木星の話。
亮太の話。
太地の話。
未来の話。
「戻ったら、また現場ですよ。」
陣が言う。
「無理はしないよ。」
「俺が支えます。」
大助は少しだけ笑う。
「頼りにしてる。」
その言葉に、陣は真っ直ぐ頷く。押しかけから始まった時間。それはいつの間にか、必要な時間に変わっている。
現場で交わした約束とは違う。静かな、選び直した関係。窓の向こうで、地球がゆっくり回る。焦らなくていい。
二人の距離も、同じ速さで縮んでいく。
第四節 息子たちのそれぞれ
木星太陽化計画は、本格稼働段階へと移っていた。ヘリウム3精製は安定。
太陽系外縁部…“深宇宙”から運ばれる希少資源を糧として、人類の生活圏は、火星、小惑星帯、土星圏、そしてその先へと広がっていく。
太地と亮太は、相変わらず太陽系外縁部開発の最前線で働いている。そしていつしか「名コンビ」と呼ばれる存在になっていた。
無茶を言うのが亮太。現実に落とし込むのが太地。その構図は、相変わらずだ。
一方…地球圏では、大助と陣は、宇宙開発機構の本部で、技術統括部門に所属する身となっていた。木星圏復帰を何度も願い出るが、医療評価と人事判断は個別に下され、その判断は慎重だった。
「現場適性は、良好。ただし長期宇宙滞在に関しては、要経過観察。」
何度も繰り返されるその文言。陣は不満を飲み込みながらも、黙って大助の隣にいる。大助も、焦らない。
だが…二人共、夜になると、星空を見上げる癖だけは、治らなかった。
今回は、念願のお色気…からのラブラブで、お届けしました。その為に、大助くんには文字通り「一肌」脱いでもらったワケですが、いかがでしたでしょうか?
その後の、療養シーンはひたすらプラトニックを心がけました。何事も、バランスが肝心です。
それにしても、普段は元気な人が弱ってるトコロって…萌えますな。




