第4話 恋人ごっこを教えて
最初の朝が来た。
あと三日。カウントダウンが始まった。
窓の外は塞がれているから、正確な時刻はわからない。けれど、体がそうだと告げていた。
アングリーは、目を覚ました瞬間に思い出す。
三日間。
――恋人。
胸が、きゅっと音を立てた気がした。
「……おはよう、ジュード」
彼は部屋の隅に座り、銃の手入れをしていた。
視線だけを向ける。
「朝から元気だな」
「だって、貴方の恋人だもの」
即答だった。
ジュードは一瞬、動きを止め、そしてため息を吐いた。
「……それ、毎回言うつもりか」
「言うわ」
アングリーは、にこにこと笑った。
笑顔が止まらない。
恋人。
恋人なのだ。
三日間だけだとしても。
胸の奥が、くすぐったくて、落ち着かない。
「で」
ジュードは銃を置き、腕を組んだ。
「恋人になったはいいが、何をする気だ」
アングリーは一瞬、固まった。
――そう言われて初めて気づく。
三日間だけ、恋人。
それがどれほど特別で待ち望んだことか。
しかし、“どう過ごすか”なんて、
考えたこともなかった。
「わからないの」
声が小さくなる。
「恋人って、何をするの?」
真剣な問いだった。
ジュードは目を細め、じっと彼女を見る。
「……お前、それ本気で言ってる?」
「ええ」
アングリーは自らの長い髪に指を絡めた。
「三日しかないのに、無駄にしたくないの。
でも、映画も小説も、みんな恋人になったところで話はおしまいでしょ?」
「――何をすれば“恋人”なのか、誰も教えてくれなかった」
言葉が、ぽろぽろと零れる。
「手を繋ぐ?
話す?
一緒にご飯を食べる?
それとも……もっと、特別なこと?」
最後の言葉で、少しだけ頬が熱くなった。
ジュードは視線を逸らす。
「……知らねぇよ」
「そっか」
アングリーは一歩、近づいた。
「ジュードなら、知ってると思ってた」
「……あのな。恋人っつっても色々あるんだぜ?」
「じゃあ、ジュードはどうするの?」
期待に満ちた眼差し。
ジュードは舌打ちし、立ち上がった。
音楽のように、静寂が流れる。
ジュードは彼女をじっと見つめ、ふっと息を吐いた。
「……本当に、性質が悪い」
「ごめんなさい」
「謝んな」
そう言って、彼はアングリーの前まで歩み寄った。
距離が、近い。
無意識に息を止めると、
酒と煙草と、微かに甘い香水の匂いが落ちてくる。
「立て」
「……え?」
「いいから」
低く、短い声。
有無を言わせない様子だ。
アングリーが慌てて立ち上がった、その瞬間。
ジュードが一歩、踏み込み
アングリーの腕を力強く引き寄せる。
ためらう暇もない。
気づけば、お互いの鼓動が伝わるほどの距離だった。
息が、ぶつかる。
彼が息を吸えば、彼女の吐いた空気が、
そのまま喉に触れてしまいそう。
アングリーは思わず息を止める。
彼の呼吸の音が、やけに近く聞こえた。
ジュードは、ほんの一瞬だけ眉を寄せた。
――近すぎた。
そう気づいたのは、彼自身だった。
だが、もう下がれない。
彼は何事もなかったように、指先を伸ばし、
アングリーの肩にかかっていた一房の髪を払った。
指が触れたのは、一瞬。
それだけで、彼女の背筋が、びくりと震える。
同時に、ジュードの喉が、わずかに鳴った。
(……くそ)
体温が、思ったよりも近い。
甘い香りが、肺の奥まで入り込んでくる。
「……まず、こうだ」
声は落ち着いているふりをしていたが、
語尾が、ほんの少しだけ低く沈んだ。
「こ、こう……?」
「動くな」
そう言って、彼はアングリーを抱き留めた。
ほんの数センチ。
それだけで、唇が触れてしまいそうな距離になる。
だが、触れない。
触れないまま、止める。
「恋人ってのは……」
言葉が、続かなかった。
生唾を飲む。
彼は視線を逸らしたまま、続けた。
「これくらいの距離に、居る」
アングリーの心臓の早鐘が、
彼の胸に気づかれてしまいそうなほど、うるさい。
ジュードは一瞬、目を伏せた。
平静でいるつもりが、
思いがけず、呼吸を乱されていた。
――それ以上近づいたら、もう二度と、戻れなかった。
その僅かな境界線を、
ジュードはぎりぎりで踏みとどまっていた。
妙に長い沈黙が落ちた。
息を吐く音すら、重なるのが怖い。
アングリーがわずかに強く息を吐き出した瞬間、
ジュードの指先が、ぴくりと反応した。
「……じっとしてろ」
叱るような声だったが、
どこか焦りが混じるように掠れていた。
彼は視線を合わせないまま、
ゆっくりと手を伸ばした。
ジュードは無造作に手を伸ばした。
指先が、彼女の手首に触れる。
掴む、ではない。捕まえる、でもない。
這わせるみたいに、そっと。
アングリーは無意識に身じろいだ。
「えっ……」
「逃げんな」
そう言って、彼は彼女の指を
一本ずつ解いていく。
まるで、壊れものを扱うみたいに、優しく。
指と指が絡んだ瞬間、
アングリーの視界が白くなる。
彼は、握る力をほんの少しだけ弱めた。
逃げられる余地を、残すために。
それなのに。
アングリーの指は、離れなかった。
絡めたまま、ぎゅっと返してくる。
その小さな力に、
ジュードの表情が、一瞬だけ崩れた。
「……離すなよ」
ぼそりと落ちた声。
それは命令ではなかった。
自分に言い聞かせてるみたいな声だ。
「恋人なんだろ」
その一言で、アングリーは完全に言葉を選べなくなった。
ただ、無言で頷く。
頬が、熱い。
息の仕方もわからない。
「それから」
ジュードは、彼女の手を繋いだまま言う。
「無理にどうこうしようとしなくていい」
「……」
「隣にいれば、それでいい」
彼は少しだけ視線を逸らした。
「……俺は、それで十分だ」
アングリーの胸が、きゅっと縮む。
「……ねえ、ジュード」
「何だ」
「それ、慣れてるやり方?」
からかうように聞いたつもりだった。
ジュードは一瞬、言葉に詰まる。
「……さあな」
素っ気ない返事。耳まで赤い。
けれど、繋いだ手だけは離さなかった。
アングリーは、思わず笑ってしまう。
「ね」
「……何だよ」
「恋人ごっこが嬉しいんじゃないの」
まっすぐ、彼を見る。
「ジュードだから、嬉しいの」
ジュードは、完全に動きを止めた。
数秒。
長い沈黙に包まれる。
逃げ場がなかった。
ジュードは目を伏せ、低く呟く。
「……お前、それわかってやってるだろ」
その声は、どこか引き攣っていた。
「ふふ」
思わず、笑みが零れる。
「そうね。
でも、今は恋人でしょう?」
ジュードは目を逸らし、ぼそりと言った。
「……三日間だけだぞ」
「知ってるわ」
それでも、彼女は幸せそうだった。
――そう、三日間だけだ。
ジュードは自分に言い聞かせた。
三日間だけの、ごっこ遊びだ。
そうでなければ、
こんな距離で居られるはずがなかった。
それでも。
繋いだ手の温度だけが、
どうしても、現実だった。
初日の午前は、
ただ同じ部屋で、二人で同じ時間を過ごした。
それだけで、
二人世界は、少し明るくなっていた。
後に、最大の試練が待ち受けていることも知らずに――。
「……続きが、今すぐ読みたい」
そう思ってくださった方へ。
実はカクヨム版では、この先の「甘くて危険な3日間」のエピソードを一足先に公開しています。
第5話:恋人として帰りを待つアングリー https://kakuyomu.jp/works/822139844041917371/episodes/822139844103896832
第8話 甘いキスのおねだり https://kakuyomu.jp/works/822139844041917371/episodes/822139844129107646
殺し屋の少年が、少女に絆されていく過程を一気読みしたい方は、ぜひこちらから覗いてみてください。
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