第二話 いいな……その名前
乗り物の中に乗っている人物は、様子をうかがっているようでなかなか降りて来てくれない。
――お願いだ。助けてくれ。
声にならない叫びは、相手に伝わったのだろうか?
「よ~しよし、お願いだから、噛まないでね」
一人の女が、乗り物から降りてきた。
その手には剣のようなものとタオルが握られている。
「くぅ~ん」
ニケは、精一杯媚びた。
もう、恥も外聞もなかった。
今彼女に助けてもらえなければ、死ぬしかないと分かっていたからだ。
敵意はありません。
決して噛みません。
そんな思いをくぅ~んという鳴き声に込める。
すると、相手もそれが分かったのか、
「そんなに媚びなくても、大丈夫よ」
と声を掛けてくれた。
その瞳には、何故か涙が溜まっている。
鼻を啜りながら抱き上げてくれた彼女の腕は、とても温かかった。
その後、その女性は、甲斐甲斐しくニケを介抱してくれた。
手つきが覚束ないのは、きっと慣れていないからだ。
「ちょっと待ってね……あ~、やっぱり、噛まれたのね」
自分の方が痛そうな声を出しながら、彼女は丁寧に傷口を洗ってくれた。
その手つきは優しいが、掛けてくる液体が相当滲みる。
この感覚に、ニケは覚えがあった。
――これは、上級ポーション以上だな。
以前右腕に大怪我を負った際使ったことがあるが、悲鳴が出るくらい滲みるのだ。
それは、無理やり細胞を活性化させて傷を塞いでいるからなのだが、出来れば二度と体験したくないと思っていた。
しかし、瀕死状態の今なら、喜んで受け入れよう。
全てを受け入れて我慢する彼の頭上から、怪我の治りが良いことに驚いた女性の、
「あら、水まで異世界仕様?飲んだら若返ったりするのかしら?」
と言う声が、聞こえてきた。
その言葉に、彼女がこの世界の人間ではないことが分かった。
もしここでニケが人間の言葉で痛い痛いなどと叫べば、彼女を相当驚かせてしまう事になるだろう。
ニケは、声を殺し震えて我慢をした。
「ごめん、ごめん。ふぅ。ここから、どうするかなぁ」
優しく頭を撫でられて、ニケは、犬の姿のまま一生終えるのも悪くないと思った。
彼女の横に侍り、護衛として今度は自分は守るのだ。
そんな夢想をしていると、あっという間に治療は終わっていた。
「こんなことくらいしか出来なくて、申し訳ないわね」
そう言いながら抱き上げてくれ、何故かニケを見て悲しそうに笑った。
その瞳から、黄金に輝く涙がポロリと零れた。
その美しさと甘い香りには、抗いがたい何かがあった。
ペロリ
一舐めしただけなのに、枯渇していた魔力がグングンと上昇していくのを感じた。
そして、自分と彼女の間に切れない絆が出来た。
――これは、主従契約。しかも、完全に私が下だ。
決して彼女が呪文を唱えたわけはない。
ただ、自分が美味しそうな涙を舐めただけだ。
その雫に含まれる魔力が、ニケの魔力をねじ伏せたと言って良い。
――まさか、自分が無詠唱で服従させられる日が来るとは思いもよらなかった。
互いに意図しない契約。
しかし、ニケは悪くないと思った。
何故なら、彼女の傍にいる理由が出来たからだ。
「助けられた身の癖に、私の方が可哀想に見えたの?本当に、生意気な子ね。そうだ、あなたの名前は、ナイキよ」
彼女の言葉に、ニケは自然と口元が緩んだ。
――いいな……その名前。
世界中に大魔法使いとして知れ渡ったニケ・アンジェロとい名前より、よっぽど好きになれた。
「あ~、暗くなってきたわね。仕方ない、今日は、ここで寝ようか」
ニケにとって女神のような女は、乗り物の中の柔らかなベッドの上にニケを乗せると、自分は箱の中から食事を出して貪り始めた。
その姿は、上品そうに皿に盛られた少量の料理を啄む母親よりも、ずっと素敵に見えた。
「うんうん、今日の私は花丸。よく頑張りました」
独り言を言う言葉が、眠りに落ちる彼の耳に心地よく響いた。
そして、何時間寝たのか分からないが、空が明るくなってきた頃にニケは目が覚めた。
魔力が体から満ち溢れている彼は、自然と人間の姿に戻っていた。しかも、スッポンポンの状態で。




