第一話 スッポンポンで死にたくなかった
ニケ・アンジェロは、大公の三男に生まれた。
そして、兄二人を差し置いて跡継ぎに選ばれた。
その理由は、彼の異常とも言える魔力量にあった。
今では御伽噺のように語られる稀代の天才魔法使いマリー・コ・カーネルの再来と騒がれ、赤子の時から大人達の異常な期待に晒されてきた。
しかし、そんなことは二人の兄達には関係ない。
特に長男からは台所を徘徊する黒い虫以上に嫌われ、事あるごとに無理難題を投げつけられてきた。
それは魔法学園を卒業してからも続き、官僚として働く兄は、世界に名を馳せるようになったニケに、厄介な仕事を回してきた。
「荒野に巣食うルーポを殲滅してこい」
ルーポとは巨大なオオカミのような魔獣で、集団で村を襲っては根こそぎ食料を奪うという卑劣極まりない存在だった。
知能も高く、罠を仕掛けても簡単に攻略してしまう。
その数を年々増やし国からも討伐隊が出ているが、返り討ちに合う事の方が多かった。
「お前は、大魔法使いなのだろう?それくらい、出来るよな?」
ニケが死んでくれた方が兄にとっては都合が良いのだろう。
ニヤニヤと笑ってニケを煽る。
いつもの事ながら、なんとも醜悪な顔をしているなとニケは思った。
そして、一応、お決まりのセリフを言う。
「貴方が行かれたら良いのではありませんか?兄上」
途端に血走った目で睨みつけてくる兄を、ニケは、鼻で笑う。
――私は、大公家など欲しくもないというのに……。
血の繋がる兄弟に、死ねと言うのと変わらない命令を下す気持ちが分からない。
断れないこともないが、出来ないこともないので今まで従ってきた。
だが、今回ばかりは覚悟を決めないといけないかもしれない。
「分かりましたよ、兄上。それでは、失礼いたします」
ニケは、踵を返すと兄の執務室から出ていった。
それは、永遠の別れだった。
――もう、そろそろ私も自由になってもいいだろう。
両親には、産んでもらった恩は十分に返した。
ニケが活躍したことで彼らが得た報奨金は、元々あった財産の倍はある。
兄達に嫌がらせを受けていることを知りつつも、庇う事もせず、ただニケに活躍する事のみ期待する親など、居ても居なくても同じだった。
最後の仕事を受けたニケは、ルーポが生息する草原へと馬を走らせた。
簡単な仕事ではないが、自分なら全力を尽くせば駆逐出来ると思っていた。
そこに、慢心がなかったとは言えない。
なにせ、彼は今まで仕事をしくじったことが一度もなかったからだ。
それなのに、彼は、あっという間に周りをルーポに囲まれた。
しかも、馬はニケを振り落として逃走してしまっていた。
「ま、待て、話せばわかる」
人語が分かるはずもないルーポに必死に交渉を挑むも、
「ガオォ~~~~~~」
一吠えされて鼓膜が破けそうになる。
しかも、一匹吠えれば次々に他のルーポが輪唱のように吠えていく。
煩くて仕方ない。
ニケは、耳を塞いで走り出した。
しかし、両手を頭の横に付けたままでは体のバランスも上手く取れずスピードに乗れない。
走ることに特化した体のルーポに追いつかれるのは、時間の問題だ。
「しかたない」
ニケは、呪文を唱えて犬へと姿を変えた。
服を脱ぎ棄て四本足で地を駆ければ、風になったように早く走れる。
この姿になって、彼は一度として捕まったことがない。
ただ、残念なお知らせだが、犬とルーポでは体格差があり過ぎた。
前脚後ろ脚胴体全てのリーチに勝るルーポは、集団戦と言う戦法も持っている。
今日一日で、一度もなかったことが二度も破られるという屈辱を被ったニケは、ガブリと横っ腹に噛みつかれた。
――あ……これは、死んだな。
何故か、この時のニケは、冷静だった。
自分の人生を振り返り、なぜもっと早く家族から逃げなかったのかと後悔した。
――世界は広いのに、私は、その殆どを見ずに死ぬのか。
ニケは心の中で家族を馬鹿にしていた。金や権力に執着する姿を見て、あぁはなりたくないと思ってきた。
しかし、その一方で、自分が本当は何をしたいのか考えたことがなかったことに今気付いた。
最後に思う事が自分の浅はかさを反省する事とは、なんとも悲しい。
「い、嫌だ……死にたくない」
魔力が尽き、体はどんどん小さくなり、子犬のような姿になってしまっている。
あと少しすれば、魔法は消え、地面の上に残るのは男の死体だけだ。
ニケは、産まれて初めて生きたいと思った。
生きて世界中を旅したい。食べたことのない物を食べ、見たことのない物を見て、楽しいと叫びたい。
何よりも、スッポンポンで死にたくなかった。
そんな彼の気持ちを神が聞き入れたのだろうか?
ブーブーブー
何処からともなく、大きな音が聞こえてきた。
それは警告音のようで、そのけたたましさにルーポ達が逃げ出した。
霞むニケの視界に、真っ赤な塊が見えた。
それは、どんどんスピードを落として彼の目の前で止まった。




