第一話 花子、ちょっと頂きますわね
花子を異世界へ送った張本人である祖母鞠子は、その日、孫の家の掃除をしていた。
車中泊で全国を巡る傷心旅行へ旅立つ前に、花子がアパートの鍵を預けていったのだ。
――家主の居なくなってしまった部屋というものは、放っておくと悪い気が溜まってしまいます。常に美しく整えておきませんとね。
一年は帰って来ないと豪語した孫の為に、鞠子は週に一回部屋の換気とポストに入った郵便物を回収しにボロアパートを訪れていた。
――郵便受けにⅮMが溜まってしまうと、泥棒などに狙われやすくなってしまいます。気を付けませんと。
新聞などは止められても、不必要に送られてくる広告類は止めようがない。
しかも、時々近所のスーパーが、特売日のチラシなども突っ込んでく。
今は有難迷惑なのだが、普段はお徳用品の特売日などを知らせてくれる為、文句を言いに行くわけにもいかないのだ。
そして、もう一つの使命も忘れてはいけない。
「おばあちゃん、ベランダの菜園に水をやるのも忘れないでね」
出発前に念押ししていった花子の目は、真剣そのもの。
枯らそうものなら夢に出てきて叱られそうだった。
スーパーで買ったネギの根っこや、百円均一ショップで手に入れた葉物野菜の種を植えたプランターは、いつでも収穫できる実りで賑わっていた。
しかし、それを食してくれる住人がいない為、鞠子は花子に代わって、それらを食べてやるつもりだった。
なにせ、ネギは残せば来年も生えてくることもあるだろうが、葉物は一年草であることが多いのだ。
「そろそろ、あっちの世界へ辿り着けたかしら?」
出発前に挨拶に来た花子と彼女の愛車に掛けた魔法は、悪戯好きな鞠子らしく、発動するタイミングすらランダムという傍迷惑なものだった。
そして、帰ってくる日を決めるのは花子自身。あちらにずっと居たいと思えば、居ればいいと鞠子は思ってる。
鞠子にとって、孫は花子だけ。
一人息子が生まれた時以上に、花子の生まれた日のことは忘れられない。
なにせ、鞠子は初めて見たのだ。自分よりも魔力が多い存在を。
――こちらの世界では宝の持ち腐れ。一度は、大きな魔法をドカ~ンと打つ快感を味わったらよろしいことよ。
鞠子は、手で口元を隠しながら、
「おほほほほほほほ」
と笑った。
そして、キッチンバサミを手に取ると、プランターの間に座ってチョキチョキとネギを切り始めた。
今晩は、素麺を食べる予定で、ちょうどネギがなかったのだ。
――花子、ちょっと頂きますわね。
収穫したネギを湿らせた新聞にクルクルと巻くと、更にビニールに入れて大きな黒いバッグに入れる。
それが、とても傷つきやすくて水に弱いワニ革のブランドバッグだとしても関係ない。
防水の魔法は完璧なのだから。
そして、換気も終わって家に帰ろうと玄関を出たところで、訪問客と鉢合わせた。
「ここは、立花花子の家でしたよね?」
不躾に聞いてきたのは、花子が結婚前提に付き合っていると信じて疑っていなかった元恋人の男だ。
名前は、王子央治。
顔だけは王子様並みに整っているが、鼻筋は花子に殴られたせいで曲がっている。
――あら、残念ですわね。
祖母も、孫同様面食いだった。
「花子は旅に出ておりますので、こちらには居ませんの。何か御用かしら?」
花子よりも更に洋風な容姿の女性は、祖母というより母くらいの年齢に見える。
まさか花子の親族に会うと思っていなかった央治は、
「いえ、居ないなら別にいいです」
と、挨拶すらまともにせずに帰ろうとした。
――なんとも、身勝手そうな男性ですわね。あんな男を選んだ時点で、花子の負けだったのですわ。
一人納得のいった鞠子は、去って行く央治の背中に小さな魔法を掛けた。
それは、花子の不幸をほんの少し彼に肩代わりしてもらうおまじない。
――チチンプイプイ足の小指をぶつけた時の痛みが、全て彼に行きますように。
人間の人生の中で、足の小指をぶつけることは、そう多いことではない。
ただ、その痛みは涙目になるほど辛く、下手をすると骨折することすらある。
そんな激痛が寝ていても、トイレに入っていても、階段を上っていても突然襲い掛かる恐怖はいかほどのものだろう?
――ポキッと小指と一緒に心を折られると良いのですわ。
上品にほほ笑む姿とは裏腹に、鞠子は、怖ろしい希望を願った。




