第3話 なぜ妻の視線が冷たいのか俺には分からない
今日は仕事を早々に切り上げ、帰路に就く。
玄関のドアを軽快に開ける。
「ただいま由紀子」
愛する妻が今日も笑顔で迎えてくれた。
「おかえりなさい、あなた」
周りを少し気にしながら、由紀子に熱い口づけをした。
ああ、今日も由紀子は最高に可愛い。
幸せだ。今日も生きてて、良かった――!
「そろそろ紫音も帰ってくるし、あなたは先にお風呂に入ってきたら?」
いやいや、由紀子……。そこは食事にする? お風呂にする? それとも……? のノリじゃないのか?
いや、ダンディズムを極める俺にとって、そんなことを口にするのは憚られる。
欲望を抑えきれないまま俺は耳元で囁く。
「由紀子、愛してる……」
後ろから抱きしめるが、思い切りつねられた。
少し怒った様子で由紀子は応える。
「もう!紫音が帰ってくるから!早くして!」
「早く、シテ?」
俺の理性がそこで一気に外れた……。
「由紀子ぉ〜〜〜〜!」
抱きつこうとした瞬間――、
ガチャ。
玄関のドアが開いた。
「ただいま……」
視線を上げた紫音が呆れたような顔でこちらを見た。
「何してんだよ、父さん」
廊下にカエルが潰れたようにこけている俺を、紫音が冷たく見つめていた――。
夕食時――
テーブルに並んだ沢山の料理。
豚の生姜焼き。
サーモンのシーザーサラダ。
鰻と胡瓜の酢の物。
山芋とろろ……。
これはっ!?
とろろと言えばアレしかない。
由紀子、今夜か? 今夜なんだな?
いや、ダンディズムを極める俺は、そんなことを安易に口に出してはいけない――。
溢れる笑みを抑えながら紫音に言う。
「紫音、今日は早めに寝るんだぞ?」
「は?子供扱いすんな!」
生姜焼きをガッツく紫音。
「由紀子さん、お隣さんからもらった鰻は美味いのぅ」
由紀子に気軽に話しかけるクソ親父。
「お付き合いも大事ですねぇ」
クソ親父の相手をしている由紀子。
ああ、由紀子が可愛い。
47年間ずっと胡散臭い親父もすっかり骨抜きだな。
夕飯を食べ終わり、急いで風呂に入る。部屋でソワソワとしながら由紀子を待つ。
ガチャ……。
き、来た!
思春期時代のようなときめきを覚えながら由紀子を見る。俺の準備は万端だ。
由紀子を見ると、なぜか怒り全開モードになっている。
「ん? 由紀子どうした?」
「アナタ……何してるの?」
「えっ? ゆ、由紀子が来るのを……」
言い終わる前に由紀子がさらに尋ねてくる。
「……アナタ、忘れてるのね?約束」
約束、なんの約束だ? 記念日だったら、それを俺が忘れるはずがない。
記憶を辿る。
「今日の洗い物当番はアナタだから、忘れないでね?」
俺はすっかり忘れていた――。
俺が洗い物当番だったあああああっ!!
由紀子にひたすら土下座し、俺はキッチンに向かい洗い物をした。
いそいそと寝室に戻った時には由紀子はスヤスヤと気持ち良さそうに寝息を立てていた。
「おやすみ、由紀子」
そっと由紀子の額に口づけを落とし、布団に潜った。
こんな日もあるさ。
紫音、男には耐えねばならない日もあるんだ。
俺は涙をそっと枕で拭った。




