第12話 灰の波を、二人で断つ
クルム村は、辺境の北端にある、小さな集落だった。
石積みの家が二十ほど。羊飼いと、わずかな麦畑。私たちが馬を駆って着いたとき、村の北の麦畑は、すでに灰色の波に呑まれかけていた。
数えるのも馬鹿らしいほどの、眷属の群れ。犬ほどの灰の獣が、地を埋め尽くして押し寄せる。触れた麦が、柵が、井戸の縄が、音もなく崩れて灰になる。村人たちは家に閉じこもり、震えていた。逃げ場は、もうない。
「ヴィオレッタ」
馬を降りながら、ジークが短く言った。
「お前の討滅は、一度に何匹まで還せる」
「……五匹。多くて、十匹」私は正直に答えた。「これだけの数を、一度には無理ですわ。順に還している間に、囲まれます」
「なら、囲ませない」
ジークは大剣を抜いた。朝日に、刃が白く光る。
「俺が壁になる。お前は、俺の背中だけ見ていろ。前は、俺が全部止める」彼は私を見た。いつもの無表情の奥に、確かな熱があった。「お前は、終わらせることだけ考えろ。守りは、俺の役目だ」
それは、これまで誰も私に言ってくれなかった言葉だった。
壊すしかできないと、私は捨てられた。守れないと、忌まれた。けれど今、目の前の男は——守りは俺がやる、お前は壊せ、と言う。私の「壊す」を、責めるのではなく、活かすために。
「……ええ」私は深く息を吸った。「お任せしますわ。背中は、私が灰に還します」
「行くぞ」
ジークが、灰の波へ突っ込んだ。
それは、人間の戦い方ではなかった。
彼は、避けなかった。獣の群れの只中へ躍り込み、大剣を薙ぐ。剣に断たれた獣は霧散するが、灰には還らない——少し離れた場所で、また形を取り戻す。守りの兵が止められなかったのは、これだ。斬っても、押し戻しても、獣は滅びない。
けれど、ジークは違った。
獣に腕を灰にされても、構わず前へ出た。崩れた腕が、見る間に再生する。脇腹を抉られても、塞がる。彼は自分の身を、文字通りの壁にして、群れの進路を、私の前で堰き止めた。獣たちが、彼に殺到する。彼一人に、群れの注意が集まる。
「今だ、ヴィオレッタ!」
血を流しながら——その血すら、すぐに止まる——彼が叫んだ。
堰き止められた群れは、一塊になっていた。散らばっていない。今なら。
私は両手を、その塊へ向けた。
祈った。女神にではなく、ただ「終われ」と。
手のひらから、音もなく白い火が走った。一匹ではない。塊の、芯へ。火は獣から獣へ、見えない糸を伝うように燃え広がり——五匹、十匹、二十匹。塊の端から端まで、白い清浄が走り抜けた。
灰色の波が、本物の灰になった。
さらさらと、風に散る。あとには、不思議なほど澄んだ静けさ。斬っても戻る獣が、二度と形を取り戻さない。滅びた。封じたのではなく、根こそぎ、滅ぼした。
ジークが、肩で息をしながら、振り返った。再生したばかりの腕で、私を庇うように立っている。
「……これが」彼は、灰の散った跡を見て、呟いた。「お前の力か」
「これが、私の力ですわ」私は、まだ手のひらに残る温かさを感じながら、微笑んだ。「あなたが止めてくれたから、できましたの。——一人では、できませんでした」
二人で、灰の波を断った。
守りの兵では止まらず、討滅一つでも捌ききれなかったものを。終われない壁と、終わらせる火。二つが噛み合って、初めて。
村人たちが、おそるおそる家から出てきた。灰になった麦畑を、滅びた獣の跡を見て、それから私たちを見て——誰かが、膝をついて泣き出した。
「……助かった。助かったんだ……っ」
* * *
戦いが終わり、私は灰の跡地に屈み込んだ。
あれほどの獣が押し寄せ、すべてを灰に変えた畑。けれど、私が討滅で還した跡だけは、他と違う。灰が、黒く澱んでいない。澄んでいる。指で触れると、さらりと乾いて、わずかに温かい。
「ここは」私は呟いた。「もう、芽吹きますわ」
「……どういう意味だ」
「灰の獣に喰われた土は、二度と作物が実りません。けれど、私が討滅で還した灰は、違うのです」私は立ち上がった。「災いの芽ごと、根こそぎ灰にしますから。あとに残るのは、清められた土だけ。——壊したのではありません。耕したのです」
ジークが、その灰の跡地を、長いこと見つめていた。
数百年、彼は灰の獣と戦い、守ってきた。けれど彼の戦いは、いつも「食い止める」だった。喰われた土は、死んだままだった。再生する地を見るのは、おそらく、彼にとっても初めてだったのだろう。
「お前は」彼は静かに言った。「壊しているんじゃないな。……終わらせて、その先を、始めている」
「ええ」私は彼を見上げた。「あなたのことも、そうしてさしあげますわ。きっと」
彼は、何も言わなかった。けれど、その目元が、ほんのわずか、和らいだ。それが彼の精一杯の表情だと、私はもう、知っている。
* * *
村人に見送られて辺境の砦へ戻ると、門前に、見慣れぬ一団の馬が繋がれていた。
旅装ではない。神官の白い衣に、王家の紋章を縫い取った外套。ハーゲンが、難しい顔で歩み寄ってきた。
「お嬢さん、将軍。……王都から、正式な使者だ」
非公式の救援要請ではない。今度は、王家の紋章を掲げた、公の使者。
灰の波を断った安堵も束の間。王都の影が、とうとう、正面から辺境の門を叩いた。
お読みくださりありがとうございます。第12話、二人の初共闘でした。
「守りは俺がやる、お前は壊せ」——壊すしかできないと捨てられた彼女に、初めて誰かが、その力を活かす場所をくれました。背中を預け合う二人と、討滅の跡に残る澄んだ灰。爽快とともに、胸が熱くなっていただけたら嬉しいです。
次回・第13話、王都の正式な使者が語るのは、教会上層の不穏な「隠しごと」。そして、ついにあの妹が辺境へ。続きが気になっていただけたら、ブックマーク・☆評価で応援いただけると、とても励みになります。




