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第1章《灰に宿る声 ― Voice in the Ash ―》1-4


 膝をつき、肩で息をするクロの耳に、場違いな音が届いた。

 規則正しく、軍靴がコンクリートを叩く音。

 それは一つではない。複数が、獲物を包囲するように近づいてくる。

 

「──異能反応の消失を確認。目標は沈黙した模様」

 

 ノイズ混じりの機械的な声が、地下通路の静寂を切り裂いた。

 通路の奥から、数筋の鋭い光が差し込む。高出力のタクティカルライトだ。逆光の中に浮かび上がったのは、埃一つついていない純白の防護服に身を包んだ集団だった。

 4大組織の一角、清浄連盟ピュリタス

 異能を「神罰」と呼び、宿主を「罪人」として排除することを至上命題とする過激派組織。

 

「……ッ」

 

 クロは反射的に刀の柄を握り直すが、指先は火傷と疲労で鉛のように重い。

 光の向こう側から、一人の男が歩み出た。

 純白の外套は煤けた空気の中でも異様なほど白く、まるでそこだけ世界が漂白されたかのような錯覚を覚える。顔を覆うマスク越しに、冷徹な視線がクロと、足元の灰の山を等しく見下ろした。

 

「……不浄な炎によって、不浄を焼いたか。同族殺しほど、滑稽な光景はないな」

 

 男の言葉には、侮蔑すら含まれていない。ただ道端の汚物を掃き出すときのような、無機質な義務感。それが何よりクロの神経を逆撫でした。

 

「マルファス執行官、如何致しますか?」

「捕らえろ。尋問の後、聖都にて“浄化”にかける」

 

 マルファスと呼ばれた男が、流麗な動作で白銀の剣と装飾銃を引き抜く。呼応して、周囲の兵士たちが一斉に銃口を向けた。異能者の神経系を内側から破壊する、対異能者用の電磁投射銃レールガンだ。

 

「貴様も『罪人』だ。存在するだけで、この世界を汚している」

「……ッ! 勝手なこと、言わないで!」

 

 叫ぶと同時に、クロは死力を振り絞って地を蹴った。

 今の状態で逃げ切ることは不可能だ。ならば、やることは一つ。

 

(──せめて、こいつに一矢報いて……!)

 

 タクティカルライトに焼かれる視界を、一筋の黒い影となって突き抜ける。電磁銃の銃火を紙一重で掻いくぐり、マルファスの懐へと飛び込んだ。

 決死の横一閃。しかし──

 

「……甘いな」

 

 白銀の長剣がクロの刃を無造作に受け止め、火花が散る。

 直後、マルファスの左手に握られた装飾銃の銃口が、クロの腹部を至近距離で捉えた。

 

「──ッ!! ぁ、あ、あああぁッ!!!」

 

 爆ぜる青白い電光。雷鳴が全身を駆け巡り、あらゆる神経が焼き切れるような激痛に襲われる。

 後方へ弾き飛ばされたクロの身体から、力が、熱が、急速に失われていく。指先が痙攣し、火傷を負った掌から刀が滑り落ちた。

 

「無駄だ。その忌まわしい異能を使おうとすればするほど、電磁場が貴様の身体を内側から破壊する」

 

 宣告通り、指一つ動かそうとするだけで針で刺されるような痛みが走り、視界が明滅する。

 じりじりと近づいてくる拘束具を持った兵士たち。ライトの光が、まるで死期を告げる人魂のように揺れている。

 

(……ここまで、か。……散々な人生だったな、本当に……)

 

 抵抗をやめ、そっと瞳を閉じる。

 意識を手放そうとしたその時、瞼の裏側でライトの白光が、あの忌まわしい『白い炎』の記憶と重なった。

 

『──ねぇ、どうして──』

 

 脳裏に、あの少女の声が突き刺さる。

 

(──そうだ、まだ……)

 

 記憶もなく、家族すら守れず、残っているのは燃えカスのような喪失感だけ。

 それでも、まだ燃え尽きずに燻っている“何か”がある。それを確かめるまでは、こんな場所で塵になるわけにはいかない……!

 

「……ぅ、……ああああああッ!!!」

 

 クロは絶叫し、全身を焼く電磁場を「力ずく」で押し潰した。

 反動で口内から血が溢れるが、構わずにアスファルトへ爪を立て、無理やり身体を立ち上げさせる。掌の火傷がジュリ、と音を立てた。

 

「な……ッ!? 馬鹿な、最大出力だぞ!」

 

 兵士たちの動揺が通路に伝播する。

 満身創痍。血と灰にまみれ、それでも瞳に底知れぬ業火を宿して立ち上がった少女は、もはや「手負いの獣」ですらなかった。

 

「……絶対に、死ねない。……死なせて、たまるかっ!!!」

 

 咆哮。

 クロは刀に紅蓮を纏わせ、マルファスへと肉薄した。

 速度はない。だが、その一撃に込められた質量は、先程とは比べ物にならなかった。

 

「チッ……! 悪足掻きを─!?」

 

 マルファスが剣を構えるが、防ぎきれない。

 骨を断つ衝撃とともに紅蓮の炎が爆ぜ、執行官の身体を壁へと叩き伏せた。

 

「マルファス執行官!!」

 

 兵士たちの包囲が乱れる。絶好の機。

 クロは出口へと脚を動かそうとするが、膝が笑い、視界はすでに真っ暗だった。

 意志の力だけで保たれた身体は、とうに限界を超えている。

 

(今の、うちに……逃げなきゃ……)

 

 一歩、また一歩と這いずるように進むが、無機質な電磁銃の駆動音が再び彼女を包囲していく。 

 吹き飛ばされたマルファスが瓦礫を蹴り飛ばし、怒りに満ちた目で立ち上がる。

 

「……調子に乗るなよ……罪人如きがッ! 全員、撃て! 跡形もなく焼き尽くせ!!」

 

 指揮官の咆哮に応じ、兵士たちが一斉に電磁投射銃(レールガン)のトリガーを引き絞る。

 クロはもはや、目を閉じることしかできなかった。死を待つ彼女の耳に届いたのは、銃声ではなく──「キィィィィィィィィン」という、鼓膜をつんざく高周波の音だった。

 

「──そこまでだ」

 

 場違いなほど静かな男の声が響いた。

 直後、通路の闇を縦横無尽に走り抜けた「何か」が、兵士たちの銃身を次々と弾き飛ばした。目に見えぬほど細いワイヤーが、高周波の振動を伴って空間を支配している。

 

「何奴だ……ッ!」

 

 マルファスが叫ぶが、その答えは影の中にあった。

 天井の配管から、1人の青年が重力を無視したような軽やかさで着地する。後ろに束ねられた暗い灰色の髪が揺れた。

 整えられた身なりに、どこか余裕を感じさせる佇まい。黒コートに灰色のバッジ。胸に刻まれた〈二重螺旋の円環〉の紋章。 

 4大組織の一角、共鳴庁ハルモニア。異能者と非異能者との共存・調和を掲げる中立組織。

 

「……ピュリタスは相変わらず行儀が悪いな。女の子一人に、随分と大掛かりな包囲網じゃないか」

「ハルモニア……!邪魔をする気か!裏切り者共がぁ!」


「裏切り者?仲間になった覚えは無い。それに邪魔をしてるのはお前たちだ。俺たちからすれば貴重な可能性の芽を潰されてちゃ堪らないんでね。」

 

 カナメは首筋を掻きながら、チラリと足元で倒れ伏すクロに視線を向けた。

 

「モク婆さんに泣きつかれたしな。あの人に心労かけるわけにはいかないんだよ」

 

 その言葉が終わるか終わらないかのうちに、カナメの指先が微かに動く。

 彼が操る『糸』が空気を震わせ、周囲の兵士たちのタクティカルライトを一斉に粉砕した。

 

「ッ、暗視装置を──!」

 

 完全な暗闇と、神経を逆撫でするような『糸』の共鳴音。

 混乱に陥るピュリタスの部隊を余所に、カナメは影のようにクロのそばへ寄り添った。

 彼は彼女の小さな肩を抱き寄せると、耳元で低く囁く。

 

「よく頑張った。あとは大人の仕事だ──少し、眠ってな」

 

 カナメの指先から柔らかな振動がクロの身体に伝わると、張り詰めていた彼女の意識は、吸い込まれるように深い闇へと落ちていった。

 

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