第1章《灰に宿る声 ― Voice in the Ash ―》1-3
モク婆の家を家を出た後、背後で戸が閉まる乾いた音が響いた。
温かなお茶の余韻を振り払うように、クロは一度深く息を吐き、口元をマフラーで覆い歩を進める。
歩いて数分もすれば景色から『生活の色』が消え失せた。
「……いつ見ても酷い景色」
眼前に映るのはひしゃげた電柱、熱波により飴細工のように曲がったガードレールがある。
ビルは窓ガラスが全て砕け散って骸と成り果て、瓦礫から錆が蔦のように絡みついた鉄柱が雑草のように突きさ去っていた。
それら全てに灰が薄く積もっており、空は淀んだ灰色の雲が低く垂れ込んで太陽の輪郭をぼやかしていた。
─まるで取り返しのつかない罪を覆い隠すかのように。
まさに世界の終わりと言っても遜色ない景色だが、クロに取ってはもう日常だった。
かつて人々の喧騒と営みで溢れていたであろう街は、今や崩れた看板が地面を這い、冷たい静寂に満ちていた。
《灰域回廊》において沈黙な事は珍しくない。しかしそれは平穏を意味しない。次に起こる破滅への前触れにしか過ぎないからだ。
─やがて目的地である地下への入り口が目に入る。
ひび割れたアスファルトに口を開けた、地下通路への階段。かつての地下鉄への入り口だ。
4大組織のいずれかが復旧させたのか、それとも当時のまま残っていたのかは不明だ。
しかし最低限の視界を確保出来るように間接照明がぼんやりと光っていた。これなら特に準備なく進める。
「…?……花?」
ふと階段の縁に目が移る。そこには色褪せつつある白い造花が供えられていた。灰に埋もれかけてはいるものの、故人を偲び供えられていた。
「…あんたは幸せ者だね。供えてくれる人がいるんだから」
クロが独りごちた直後、通路の奥から異様な熱波が流れてきた。思わずクロは刀の柄に手をかける。
姿はない、しかし確かいる。地上よりさらに重く、焦げ付いた空気。
地下通路への入り口が、途端に大口を開けた巨大な生き物の口のように感じた。
(……行こう)
意を決し一歩、また一歩と薄暗い地下へと足を踏み入れる。焦げ付いた空気が、唾と共に苦く喉に染みた。
◇
第二地下通路─かつての地下鉄駅構内へ踏み入れる。
一歩踏み出すごとに積もった灰と埃がふわりと舞い上がる。
(……異能の暴走、か)
暴走した異能者の“駆除”依頼。それはまるで自分の末路を表しているように思えた。しかも自分と同じ炎の異能者。何も思わないのは無理があった。
ふと階段に供えられていた花を思い返す。
自分にはもういない。その人たちを焼いたのは自分だから。そしてこれから作るつもりもないと心の中で自嘲した。
モク婆が自分を気にかけてくれているのは感じている。しかしその好意を受け取る気にはどうしてもなれなかった。
(また制御出来ずに暴走したら、同じような事になれば…)
深く息を吐き思考を切り替える。今は依頼の最中だ。落ち込むのは今することではない、と。
不意に壁に這う腐食した配管が震えた。
微かな振動から地響きを伴う轟音となり、急速に接近してくる。
思考より先にその場を跳び退いた直後─絶叫と共に壁が砕け散り、周囲を塵埃と共に肌を焼くような熱波が立ち込めた。
山羊のような角を生やした大男、対象の異能者だ。だがその姿は資料とは似ても似つかない変貌を遂げていた。
「ガァアアアッ……! あづい!!あづいい!!!」
男は見たこともない異様な”白い炎”に包まれ、悶え苦しんでいた。その体躯と角が無ければ到底人であるとは判別出来なかった。
「何…これ…」
愕然とし、立ち尽くしているクロの視界で白い焔が爆ぜる。その眩い光と共に脳を弾くような痛みが走り、あの声が響いた。
『ねぇ……、どうして…?』
「ッ…!!」
あまりの痛みに思わず膝を付きそうになる。何故、あの炎を見て今朝の夢が?疑問が次々と湧き上がる。
「ガァアア!!!」
「…っ!逃さない!」
男の叫び声を聞いて我に返る。そうだ、あの異能者を仕留めなくては。
男は目茶苦茶に腕を振り回しながら、地下通路の出口へと走りだした。身を焼く炎から逃れる為に、本能的に水を探しているのだろう。
放っておけばいずれ力尽きる。しかしあの狂乱を外へ逃がせばさらなる犠牲者が増える。
クロは思考を瞬時に切り替え、刀を抜き放った。
切っ先斜め、内なる「火」を刃に流し込む。黒鉄の刀が瞬く間に赤熱し、焔が舞う。
(──狙いは首。一撃で決める)
赤い焔の尾を引きながら、クロは影のように駆け、白い炎を撒き散らしながら出口へと迫る大男の背を捉えた。
暴れ回る腕を潜り避け、最短距離で懐へ。
紫電一閃。刀と共に紅蓮が踊り舞い上がり、抵抗らしい抵抗も無いまま男の首が宙を舞った。
戦闘は呆気なく終わった──はずだった。
「!?くそ、また……っ!!」
絶命した男から白い炎が消えた瞬間、代わるようにクロの周囲に炎が広がった。
止めようとしても炎は、自らの異能は飢えた獣のように暴れ出す。刃に纏わせた炎は勢いを増し、彼女の意思を無視して周囲を舐めり始めた。
「─ぁつ!やめろ…!もう、燃えるな……!!やめて…!!!」
どれだけ叫んでも、どれほど刀を握りしめても、どれだけ手に火傷ができても、炎は彼女に従わない。従ってくれない。
火勢はさらに強さを増し、地下通路を、壁を、床を天井を…。何もかもすべて焼き尽くそうとする。
──まるで“あの日”のように
「──止まれぇッッッ!!!!」
喉が裂けるかと思うほどの絶叫。
ようやく炎がその牙を収め、ジリジリと小さくなっていった。
残されたのは焼け焦げた不快な臭気と雪のように積もった黒い灰だけ。
ふと先程の大男に目をやる。炭化し、僅かに輪郭を残したそれは、僅かな振動にも耐えれず灰に帰した。もう跡形も残っていない。
夢の中で何度も嗅いだ匂いが鼻をつく。その度に胸の奥が抉られると痛んだ。
「……はは…、………まるで…」
──まるで呪いみたいだ
クロは自嘲するように熱を孕んだ息を吐き出す。
燃やす事しか出来ない、昔も、今も。




