第三話:蒼い海峡、開戦
第三話:蒼い海峡、開戦
霧が海を覆っていた。
蒼い海峡――そう呼ばれるこの海域は、昔から船乗りに嫌われている。
潮の流れが複雑で、星脈濃度も異常に高い。
魔導術が暴走しやすいのだ。
今夜は特に酷かった。
白い霧が海面を這い、数十メートル先すらまともに見えない。
波の音だけがやけに近い。
その静けさの中を、帝国艦隊が進んでいた。
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帝国旗艦『聖炎の槍』。
甲板では兵士たちが慌ただしく走り回っている。
「魔導砲、装填急げ!」
「右舷リンク安定しません!」
「星脈干渉が強すぎる!」
怒号と足音。
緊張した空気。
若い通信兵が手を震わせながら術式盤を押さえていた。
「……くそ、霧で探知が死んでる」
隣の先任兵が低く言う。
「落ち着け。混乱した方が死ぬぞ」
その時だった。
甲板の空気が変わる。
兵士たちが一斉に振り返る。
セレナ・フォン・ローエングリンが現れた。
白銀の鎧。
背に下げた聖剣。
黄金の髪が潮風に揺れる。
兵たちの視線に、恐れと憧れが混ざる。
「聖炎の皇女……」
誰かが呟いた。
セレナは静かに海を見つめていた。
霧の向こう。
敵がいる。
ヴォルフが近づき、低く報告する。
「敵艦隊、依然捕捉できません。幻影反応多数」
「……幻術特化ね」
「おそらく黒狐の戦術です」
セレナは小さく目を細めた。
黒の狐。
キリル・ヴァルデン。
辺境艦隊の提督。
狡猾で、掴みどころがなく、異様に生還率が高い男。
だが同時に。
「敵を必要以上に殺さない」
そんな噂も聞いていた。
セレナは聖剣の柄を握る。
(綺麗事だわ)
戦場で、そんなものが成立するはずがない。
だが。
なぜか少しだけ気になった。
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一方。
霧の奥。
魔導艦『シルヴァーナ』では、整備兵たちが悲鳴を上げていた。
「第三幻影結界、出力低下!」
「海流操作装置が熱持ってる!」
「だから旧式は嫌なんだよ!」
甲板の端で、キリル・ヴァルデンはコート姿のまま海を眺めていた。
まるで散歩中みたいな顔だ。
ガルドが呆れたように言う。
「提督。緊張感って知ってます?」
「知ってる」
「絶対嘘だ」
キリルは苦笑した。
だが視線は鋭い。
霧の向こうにある“圧”を感じていた。
まだ姿は見えない。
なのに分かる。
いる。
化け物が。
「……本当に来たな」
ガルドが肩を回す。
「どうします?」
「いつも通りだ」
キリルは軽く手を上げた。
「真正面から殴り合わない」
周囲の兵士から笑いが漏れる。
少しだけ空気が緩んだ。
キリルは続ける。
「全艦、分散リンク開始。幻影鏡を最大展開。海流操作装置、起動準備」
表情が変わる。
声の温度が落ちた。
「いいか。死ぬな」
その一言で、空気が締まる。
「勝つより生き残る方が大事だ。無駄死には許さん」
兵士たちが頷く。
キリルは再び霧を見る。
「……さて」
その時だった。
霧の向こうが、突然、黄金に染まった。
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聖炎結界。
巨大な炎の壁が、帝国艦隊を包み込む。
霧が焼ける。
海面が金色に染まる。
兵士たちが歓声を上げた。
「結界展開!」
「殿下だ!」
「聖炎が霧を押し返してる!」
セレナは艦首に立ったまま、静かに息を吐いていた。
膨大な魔力が全身を駆け巡る。
星脈リンクが軋む。
負荷は大きい。
だが引けない。
「全艦、前進」
彼女の声が艦隊に響く。
「帝国の進路を切り開きます」
艦隊が動き出す。
重々しい魔導炉の駆動音。
波を裂く艦首。
そして。
轟音。
帝国側の先制砲撃が海を揺らした。
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「来るぞ!」
連合艦隊側で怒号が飛ぶ。
次の瞬間。
砲撃が海面を爆発させた。
水柱が上がる。
だが。
帝国側の照準は狂っていた。
幻影。
霧の中に浮かぶ艦影の大半が偽物だ。
キリルが口元を歪める。
「いいぞ。そのまま幻を撃ってろ」
「提督!」
通信士が叫ぶ。
「敵艦隊、中央突破してきます!」
「予想通り」
キリルは即座に指示を飛ばした。
「第三群、左翼から雷撃。第一群は霧の中を回れ」
ガルドが笑う。
「狐狩り開始ですな」
「狩られる気はないけどな」
その瞬間。
海流が変わった。
巨大な渦が帝国艦隊の進路を乱す。
同時に。
霧の奥から雷撃が走った。
青白い閃光が海を裂く。
帝国艦の一隻が激しく揺れた。
「左翼被弾!」
「幻影が多すぎる!」
帝国側が混乱する。
ヴォルフが歯を食いしばった。
「殿下! 敵の位置を特定できません!」
セレナは空を見上げた。
霧。
海流。
幻影。
厄介極まりない。
だが。
「なら――」
彼女は聖剣を抜いた。
黄金の炎が吹き上がる。
兵士たちが息を呑んだ。
「私が切り開きます」
次の瞬間。
セレナが空へ飛び出した。
炎の翼が夜空を裂く。
凄まじい速度。
まるで流星だった。
霧を強引に焼き払いながら、一直線に突き進む。
その姿を見た連合兵たちが青ざめる。
「飛んだ!?」
「嘘だろ……!」
「人間か、あれ……!」
キリルは思わず笑った。
「はは」
乾いた笑いだった。
「本当に化け物じゃないか」
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セレナは霧を突破した。
そして見つける。
黒い艦。
黒い旗。
そして。
甲板に立つ一人の男。
黒コートを翻すキリル・ヴァルデン。
二人の視線が初めて交わる。
距離、およそ百メートル。
セレナは拡声魔法を発動した。
「黒の狐!」
声が海峡に響く。
「その幻影で帝国を止められると思わないことです!」
キリルも拡声魔法を起動する。
「それは残念」
皮肉げに笑った。
「止める気満々なんだが」
セレナの目が鋭くなる。
「降伏しなさい」
「嫌だね」
「無駄な血が流れます!」
キリルは少し黙った。
それから静かに返す。
「それ、帝国軍を率いてる人が言うのか?」
セレナの表情が一瞬揺れる。
だが次の瞬間。
炎が爆発した。
「黙りなさい!」
セレナが突撃する。
聖炎を纏った白銀の流星。
キリルは即座に叫んだ。
「海流操作装置、全開!」
海が唸る。
激流が進路を歪める。
だが。
セレナは止まらない。
聖剣が振り下ろされた。
黄金の炎が海を裂く。
爆音。
『シルヴァーナ』の甲板が吹き飛んだ。
兵士たちが悲鳴を上げる。
熱風が霧を吹き飛ばした。
ガルドが前に飛び出す。
「提督!」
大斧で炎を受け止める。
衝撃。
甲板が軋む。
キリルは爆風を避けながら、目を細めた。
(速い)
(重い)
(しかも綺麗だ)
聖炎が夜を染める。
蒼い海峡で。
ついに英雄たちの激突が始まった。




