第8話:魔王城へ
出発を決めた翌朝、俺は珍しく、ちょっと早めに起きた。
別に寝坊したところで問題はない。転移もある。時間停止もある。最悪、魔王城の目の前にいきなり飛べばいいだけだ。
でも、そういうことじゃない。
こういうのは、準備の時間まで含めてイベントなんだよ。
ベッドから起き上がり、視界の端に管理画面を開く。装備欄。防具、補助、耐性、武器、予備武装、緊急退避。やたら細かく分かれていて、見ているだけでちょっと楽しい。
「……さて」
どうせ何を着ても死なない。
神様から渡された権限がある以上、性能だけ盛ろうと思えばいくらでも盛れる。絶対防御、全属性耐性、状態異常無効、概念干渉無効、ついでに致命傷の巻き戻しまで入れられる。
でも、だからって、見た目まで捨てる理由はない。
こういうのは雰囲気だ。
イベント前に装備画面をいじる時間まで含めて、ゲームなんだから。
俺はしばらく悩んだ末、真っ黒な軽装コートを選んだ。長すぎず、短すぎず、動きやすい。装飾は控えめ。でも、肩口や袖口の意匠はちゃんと格好いい。ぱっと見は軽装だが、中身は頭のおかしい性能になっている。物理も魔法もだいたい無効、斬られても燃やされても凍らされても平気、ついでに呪いも毒も効かない。
「うん」
悪くない。
剣も出した。細身だが、刃の線はきれいだ。いかにも主人公装備です、みたいな見た目をしているくせに、切れ味だの耐久だのはもうどうでもいい領域に振り切っている。
手袋も調える。ブーツも履く。
鏡の前に立って、少し横を向く。
「……いいな」
「かなり楽しそうですね……」
横から声がした。
ミアだ。
気づけば、いつものように部屋の隅に立っていた。こいつ、もう本当にどこにでもいるな。
「楽しいに決まってるだろ」
「魔王城へ向かう前の人の顔ではない気がします……」
「そうか? むしろ、いちばんそれっぽい顔してると思うけど」
「そういうものなんですか……?」
「そういうものなんだよ」
ミアは微妙に納得していない顔をしていたが、今さら説明しても分からないだろう。
こっちはこっちで、ちょっと高まっていた。
魔王。
しかも、娘に手を出したことを知っていて、最初から怒ってくる相手。
今までの“最初から好意的”とは真逆だ。
それが妙に嬉しかった。
「零様」
扉の向こうから声がした。
王女だった。
続いて聖女、エルフ娘の気配もする。
開けると、三人が揃って立っていた。王女はいつものように上品で、聖女は静かで、エルフ娘は控えめにこちらを見上げていた。
全員、目が合った瞬間に少し表情を変える。
その変わり方まで、もう見慣れてしまった。
「……何?」
俺が聞くと、王女が一歩前へ出た。
「零様。どうか、私もお供させてくださいませ」
聖女も続く。
「魔王討伐へ向かわれるのであれば、私も同行すべきです」
エルフ娘も、小さく、でもはっきり言った。
「あなたの歩む道に、どうか私も」
ああ、やっぱり来たかと思った。
止める流れではない。ついて行きたい、と言う流れだ。しかも、三人とも本気で言っている顔をしている。
少し前の俺なら、これも素直に気持ちよかったはずだ。
今だって、悪くはない。
でも今回は、違った。
「いや、今回はいい」
三人とも、ぴたりと動きを止めた。
「零様……?」
王女が不安そうに首を傾げる。
「危険だから、ですか」
聖女が静かに問う。
「それとも、私たちでは足手まといになると」
エルフ娘が少しだけ目を伏せた。
「いや、そうじゃなくて」
違う。
そういう、いかにも立派な理由ではない。
「せっかくの魔王戦なんだから、一人で行かせてくれよ」
三人が、そろって黙った。
王女が少しだけ困った顔をする。聖女は意味を測りかねるようにまばたきをし、エルフ娘は本当に分からないものを見る目になっていた。
「……まおう、せん」
王女がゆっくり復唱する。
「はい」
「零様にとって、これはそのようなものなのですか」
「そのようなものだよ」
我ながら、意味不明なことを言っている自覚はある。
でも、これがいちばん近かった。
最短で全部終わらせる気はない。
ちゃんとそこへ行って、ちゃんと向こうの怒りを見て、ちゃんとイベントを踏みたい。
そう思っている。
王女は少しだけ寂しそうに笑った。
「……かないませんわ」
「何が」
「零様は、ときどき本当に分からないことを仰るので」
「悪かったな」
「でも」
王女はすぐに、柔らかく微笑み直した。
「そういうところも、嫌いではありません」
それを聞いて、俺は少しだけ目をそらした。
こういうのだ。
こういう、こっちが何を言っても最後には肯定へ戻ってくる感じ。昔なら最高だった。今もゼロではない。
でも、やっぱり少し整いすぎている。
「零様」
聖女が静かに言う。
「どうか、ご無事で」
「おう」
「あなたの帰還を、お待ちしております」
エルフ娘も続いた。
「……帰ってくるよ」
そう返したところで、廊下の向こうが急に騒がしくなった。
兵士たちの足音。侍従らしい声。さらに、大仰すぎるくらいよく通る男の声。
「勇者はどこか!」
王かよ。
俺は反射的にそう思った。
次の瞬間、本当に王が現れた。
金の刺繍の入った重そうな外套。無駄に堂々とした立ち姿。周囲に控える兵や侍従の慌て方を見るに、かなり勢いで来たっぽい。
王は俺を見るなり、目を輝かせた。
「おお、勇者よ!」
勇者じゃない。
そう言おうとして、やめた。
たぶんここで訂正しても無駄だ。
「これより魔王討伐へ向かうと聞いた!」
「いや、まあ、だいたい合ってます」
「実に頼もしい!」
王は勝手に話を進める。
その横で、王女が「お父様……」と少しだけ困った顔をしていた。
「これぞ英雄の旅立ち! まさしく伝説の再来である!」
「いや、そこまで大げさな」
「大げさではない!」
いや、大げさだろ。
でも王は止まらなかった。
「勇者よ! 見事、魔王討伐を果たした暁には、我が娘を娶らせよう!」
一瞬、その場の空気が止まった。
王女は目を見開き、聖女は小さくまばたきをし、エルフ娘は静かにこちらを見た。
俺は、内心で思った。
いや、もう遅いだろ。
今さら褒美みたいに言われても困る。
討伐の暁に、じゃない。王女の方はわりと最初の方からこっちの部屋に来ていたし、何ならもう“その後の話”を今さら条件付きで提示されても、タイミングがズレすぎている。
でも、さすがにそれをここで言うほど空気は読めない。
……いや、読めない方ではあるんだが、それでもこれは言わない。
「は、はは……光栄です」
無難な返事をしたら、王は満足そうに大きくうなずいた。
「うむ! 期待しておるぞ!」
何だこれ。
笑えてくる。
世界の方が勝手に、俺を勇者役へ押し上げていく。
少し前までの俺なら、その気持ちよさに酔って終わっていたかもしれない。
でも今は、それをちょっと斜めから見ている自分がいた。
褒美として王女を与えられる。
ありがたい話のはずだ。
なのに内心では、いやもうおそ……と思っている。
「零様」
王女が、小さな声で呼んだ。
「何」
「……必ず、お戻りくださいませ」
「戻るよ」
王の前だからか、王女はそれ以上は言わなかった。ただ、その目だけはまっすぐこちらを見ていた。
そこへ、廊下の端から気配がひとつ滑り込んできた。
黒髪。角。褐色の肌。
リリスだった。
だが王の前には出てこない。柱の陰に半身だけ隠し、こっちにだけ視線を寄越す。
そりゃそうか。こんなところに魔族が堂々と出てきたら、いきなり討伐されちゃうもんな。
王女たちと王の一団をやり過ごして、俺が廊下の端へ歩くと、リリスは腕を組んだままそっぽを向いた。
「……派手に見送られてるじゃない」
「そっちは出ないのか」
「出るわけないでしょ。人間の王の前になんか」
それもそうか。
ここで魔族の娘がぬっと出てきたら、さすがに話がややこしくなりすぎる。
「で」
リリスが視線だけをこっちへ戻した。
「行くんでしょ」
「行く」
「なら、私も行く」
言い方が自然すぎて、一瞬聞き流しかけた。
「……は?」
「案内役くらい必要でしょ」
「魔王の娘が?」
「だからよ。魔王城の構造も、父上の癖も、あんたより知ってる」
たしかに、それはそうだ。
でも、それ以上に引っかかることがある。
「いや、お前、それ普通に大丈夫なのか」
「大丈夫じゃないわよ」
リリスは即答した。
「父上に見つかったら、たぶんめちゃくちゃ怒られる」
「だろうな」
「でも、あんた一人で変な突っ込み方されたら、それはそれで面倒だし」
「心配してくれてる?」
「してない」
「即答だな」
「してないもの」
そう言いながら、帰る気配はない。
俺は少しだけ笑った。
これだ。
こういう、少し引っかかる感じ。
王女たちの「どうかご無事で」とは温度が違う。向こうの都合も、迷いも、面倒も、ちゃんと残ってる。
だからまだ、会話してる感じがある。
「……じゃあ、来るか」
「最初からそのつもり」
「偉そうだな」
「事実だもの」
リリスはそう言って顎を少し上げた。
その横で、ミアが小さく口を開く。
「同行者が増えると、変数が増えます……」
「増やすんだよ」
「非効率です……」
「イベントってのは、だいたい非効率なもんだろ」
「理解できません……」
「だろうな」
理解されなくてもいい。
むしろ、されない方がまだいい。
全部を管理画面の“最適”で処理される方が、最近はよほどつまらなかった。
王や王女たちを城に残し、俺たちは王都の外れへ出た。
見送りの声は背後に小さくなっていく。青空の下、城壁を離れ、石畳から土の道へ変わる。
リリスは隣を歩きながら、ちらりと俺の装備を見た。
「……ずいぶん、それっぽくしたのね」
「気づいたか」
「見れば分かるわよ。何、その“今から魔王を倒しに行きます”みたいな格好」
「大事だろ、そこは」
「分からない」
「お前にはまだ早い」
「何がよ」
軽口を返しながら、俺は胸の奥を確かめる。
高揚していた。
王に勇者扱いされたせいでもない。王女を褒美みたいに言われたせいでもない。最強装備を着たせいでもない。
その先に、魔王がいるからだ。
娘に手を出したことを知って、たぶん本気で怒っている相手がいる。
向こうは最初からこっちを歓迎しない。
むしろ、殺す気で立ってくる。
それが、たまらなく熱かった。
「……零」
リリスが、少しだけ真面目な声を出した。
「ん?」
「父上、本当に怒ってると思うわよ」
「だろうな」
「たぶん、あんたが思ってるよりずっと」
「それでもいい」
「軽いわね」
「軽くない」
俺は前を見たまま答えた。
「たぶん、今まででいちばんちゃんと高まってる」
リリスは眉をひそめた。
「何それ」
「こっちの話」
「またそれ」
呆れたように言われたが、構わなかった。
胸の奥が熱い。
怖さがゼロとは言わない。向こうは魔王だ。普通に考えれば、とんでもない相手だ。
でも、それ以上に思った。
ああ、これだ、と。
王女でも、聖女でも、エルフ娘でもなかった。
理想郷でも、完成したゲームでもなかった。
目の前に、とんでもない困難が立っている。
しかも、それは最初からこっちの都合に合わせてくれない。
その事実だけで、妙に息がしやすかった。
「……俺、今ちょっと生きてるな」
「は?」
「何でもない」
そう答えて、俺は笑った。
黒い城壁は、もう遠くなかった。




