第3話:俺の理想郷、完成
朝から、笑いが止まらなかった。
宿の窓を開ける。
王都の街並みが見える。石造りの建物、行き交う馬車、城壁に連なる尖塔。昨日はただ圧倒された景色が、今日はまるで別のものに見えた。
全部、どうにでもできる。
そう思うだけで、胸の奥がじわじわ熱くなる。
「……人生、ここからじゃん」
思わず口に出た。
ベッド脇の椅子で、ミアがぴくっと肩を揺らす。こっちは昨夜からあの椅子にちょこんと座ったままだ。神様って寝なくていいのか、と少し思ったが、まあ神様だしな、で流した。
「何か言いましたか……?」
「言った。人生ここからだなって」
「はあ……」
反応が薄い。
けど今はそんなこともどうでもいい。
机の上には、昨夜書いたメモが広がっていた。
王女。聖女。魔族。エルフ。メイド喫茶。美女の集まる温泉街。アニメ。同人誌。理想のゲーム。
どう見ても、頭の悪い願望一覧だ。
でも、だから何だという話でもある。
せっかく何でもできるなら、きれいごとから始める方がもったいない。
俺が欲しかったものを、俺のために揃える。それでいいだろ。
「ミア」
「は、はい」
「王女ってさ、昨日のあれだけじゃないんだよな?」
「ええと、その国や地域によりますが……一般的には複数の王族が存在します……」
「聖女は?」
「宗教勢力の中核にいます……」
「魔族は?」
「います……」
「エルフも?」
「います……」
「よっしゃ!」
全部いる。
じゃあ、全部会える。
俺は立ち上がった。
視界の端にいつもの画面を開く。検索。対象候補。身分、所在、接触難度、対話補助推奨。便利すぎる。もうここまでくると、人生の攻略本とかそういう次元じゃない。
「……チートコードどころじゃねえな、これ」
「何ですか、それ……?」
「こっちの話」
最初に会ったのは、聖女だった。
大聖堂の一角。
白い衣装。銀の刺繍。長い金髪。いかにも神聖そうな雰囲気をまとった女が、祈るように目を伏せていた。
普通に生きていたら、絶対に近寄れない類いの存在だ。
少なくとも、生前の俺なら、遠くから見て「ああ、住む世界が違うな」で終わりだった。
けど今は違う。
視界の補助表示に従って、印象補正をほんの少し、好感度補正をさらに少しだけ動かす。
やりすぎると逆にわざとらしい気がして、その辺の加減を試すのも妙に楽しかった。
聖女が目を開ける。
まっすぐに俺を見る。
それだけで、背筋が少しぞくっとした。
「……あなたが」
「え?」
「あなたが、神様なのですね?」
いきなり神様呼ばわりですか。
補助機能、仕事が早すぎる。てか、神様は俺の横にいるミアなんだけどね。
「ええと、まあ……似たようなもんかな」
「お会いした瞬間に分かりました」
聖女はゆっくり立ち上がり、こちらへ歩いてきた。
足音まで静かだ。
「私はずっと、あなたのような方との邂逅を、心待ちにしておりました」
「そんな大げさな」
「大げさではありません」
真顔で言われると、笑えない。
いや、笑えないどころか、むしろ変に効く。
待っていた。
俺を。
そんなこと、元の世界では一度も言われたことがない。
「失礼ながら、神様の御名をお聞かせください」
「零……だけど」
「零様」
「……何」
「どうか、また会いにいらしてください」
「来るよ」
返事が軽くなる。
だって、来ない理由がない。
次は魔族の姫だった。
人間と敵対しているとか、近寄りがたいとか、そういう設定はあるらしい。ミアが横で何かもごもご説明していたが、正直あまり頭に入らなかった。だって会ってみたら、そんな前置き、全部吹き飛んだからだ。
黒髪。太めの角。褐色の肌。吊り気味で緋色の目。豪奢な衣装。
いかにも気が強そうで、いかにも高飛車そうで、いかにも俺みたいなのを鼻で笑いそうな見た目をしていた。
なのに、視線が合った瞬間、その目がやわらいだ。
「あんたが、零?」
「……そうだけど」
情報、早いな。
「……人間なんか、別にどうでもいいけど」
あ、こいつツンデレだな。
「んじゃ、俺帰るわ」
「ちょっと待ちなさいよ! ……あんただけは……別よ」
いや、展開も早いな。
早いけど、まあいい。
こういうのは、面倒なところはすっ飛ばして、テンポよく行くことが大事だ。ゲームでも会話パートはどんどん、すっ飛ばす俺だ。
「あんたは特別よ、零」
「へえ」
「私には分かるもの」
分かるらしい。
何がどう分かるのかは知らない。
でも、今はそこが大事じゃなかった。
特別。
その言葉だけで十分だった。
エルフの娘もそうだった。
森の奥。木漏れ日。風に揺れる金の髪。長い耳。あまりにも分かりやすいエルフ。
こっちは逆に、あまりにイメージ通りすぎて笑いそうになった。
けれど、彼女が俺を見た瞬間、その笑いは別のものへ変わった。
「森の精霊たちも祝福しています」
「精霊まで?」
「はい。あなたこそ、私の運命の方です」
「運命」
いい響きだ。
運命。
特別。
待っていた。
どれもこれも、今まで俺の人生にはなかった言葉だった。
少なくとも元の世界では、向こうから飛んできたりはしない。こっちが何かして、頑張って、失敗して、それでも届かないことの方ばかりだった。
でも今は違う。
何も躓かない。
恥もかかない。
相手は最初から俺に好意的だ。
こっちが一言返すだけで、全部きれいにつながる。
こんなに楽でいいのか、と少し思ったが、いや、いいだろとすぐに打ち消した。
楽で何が悪い。
苦労したからって報われる保証なんか、どこにもないんだから。
「零様」
王都へ戻ると、昨日の王女まで迎えに出てきた。
昨日は馬車の中だったが、今日はちゃんと降りてきていた。近くで見ると、やっぱり整いすぎているくらい整っている。
「本日もお会いできて光栄です」
「いや、こっちこそ」
「王宮へご案内しても?」
「いきなり?」
「いけませんか?」
「いや、行くけど」
行くに決まっている。
断る選択肢があるなら見せてほしい。まぁ、選ばないけど。
王女は少しだけ微笑んだ。
それだけで、俺の中の何かがまた満たされる。
王女、聖女、魔族の姫、エルフ。
並べてみると、どうかしている。
どうかしているけど、これができるならやるに決まっている。
「人生、ここからじゃん……!」
同じことを、今度はもっとはっきり口にした。
ミアが後ろで、小さく拍手した。
「お、おめでとうございます……」
「見ろよこれ」
「は、はい」
「いや、わかってないだろ」
「え」
「わかってない顔してる」
「すみません……」
「いや別に謝んなくていいけど」
謝るのが癖になってるな、こいつ。
でも今はそんなことも気にならない。
それどころか、次の欲がもう湧いていた。
人が集まるだけじゃ足りない。
俺の好きなものが揃っていないと意味がない。
「よし。作るか」
「何をですか……?」
「決まってるだろ。理想郷だよ」
まずは場所の選定。
王都の一角。広さ、交通、景観、既存施設との兼ね合い。そういう項目が画面上に出てくる。いちいち便利すぎて笑う。
「ここかな」
「そこは商業区との干渉が……」
「じゃあ少しずらす」
「はい……」
ミアが珍しく、少しだけ業務っぽい顔になっていた。
俺は、もう止まらない。
建物配置。
内装設計。
人員生成。
物資供給。
衛生管理。
温度設定。
雰囲気演出。
思いつく端から画面へ流し込む。
すると空き地が変わる。壁が立つ。看板が生まれる。湯気が上がる。椅子が並ぶ。棚に本が収まる。
「いや、ここに物販置いて……」
「はい……」
「温泉は露天付き。男女混浴ね。休憩所は畳。あと二十四時間、開けたい」
「可能です……」
「同人誌印刷所もいるな。紙質は選べるようにして……」
「は、はい……」
「アニメショップは入口広め。ポスターも欲しい。あとメイド喫茶」
「……めいどきっさ」
「大事だろそこは!」
「す、すみません……」
言ってから、自分でも笑ってしまった。
楽しい。
何だこれ。
好きなものを好きなまま並べて、それがそのまま形になる。
会議もいらない。
予算取りもいらない。
誰かに否定されることもない。
センスがどうとか、現実的じゃないとか、採算がどうとか、そういう水の差し方をする人間が一人もいない。
最高じゃないか。
気づけば、街の一角がすっかり別物になっていた。
品のいいメイド喫茶。
湯気の上がる温泉施設。
アニメや漫画やグッズを並べた店。
印刷所まで併設した同人文化エリア。
そして、その全部をつなぐ広い通り。
「……うわ、最高かよ……!」
思わず本音が漏れた。
これだ。
こういうのだ。
俺が入りたかった場所。
俺が欲しかった場所。
誰にも馬鹿にされず、好きなものを好きだと言えて、しかも全部がちゃんと揃っている場所。
元の世界には、そんな都合のいい空間なんかほとんどない。
あったとしても、遠いか、値段が高いか、狭いか、居心地が悪いか、何かが足りない。
でもここは違う。
足りないものがない。
俺がそう決めたからだ。
「零様!」
王女が駆け寄ってくる。
「素晴らしいですわ!」
「だろ?」
「こんな街区、見たことがありません!」
「そりゃ今作ったからな」
「なんて斬新で、なんて洗練されていて……」
「もっと言っていいぞ。『秋葉原』と名付けよう」
聖女も来た。
「零様の御心の広さに、ただ感服するばかりです」
魔族の姫も来た。
「やるじゃない。気に入ったわ」
エルフ娘も来た。
「森の民にも、この美しさは驚きです」
四方から称賛が飛んでくる。
頭がくらくらする。
でも嫌じゃない。むしろもっと欲しい。
生前の俺は女たちに、こんな距離で囲まれることなんて一度もなかった。そもそも、知らない人間とまともに話すだけで気疲れする方だった。家にいた時間の方が長かった時期だってある。
それが今は、王女に褒めそやされ、聖女に敬われ、魔族の姫に気に入られ、エルフの娘に運命扱いされている。
笑うしかない。
「元引きこもりニート、大勝利って感じだな……」
「にいと、とは何でしょう……?」
「気にすんな。勝者の言葉だよ」
「そ、そうなのですか……?」
「たぶんな」
たぶん、で押し切った。
細かいことはどうでもいい。
少なくとも今この瞬間、俺は完全に勝っていた。
夜になっても、興奮は冷めなかった。
自室に戻る。
いや、自室というより、もうこの部屋すら生前のそれとは比べものにならない。広い、広すぎる。そして綺麗。ベッドも上等。明かりの具合までちょうどいい。
そこへ王女たちが順に入ってくる。
王女。
聖女。
魔族の姫。
エルフ娘。
どう考えても現実感のない顔ぶれだ。
なのに、今の俺にはそれが自然に思えていた。
「零様」
「ん?」
「今夜は、お傍にいてよろしいでしょうか」
王女が言う。
「零様のお許しが頂けるのなら」
聖女が続く。
「あんたが嫌じゃなければ……一緒にいても、いいんだからね」
魔族の姫がそっぽを向いたまま言う。
「どうか、今宵はおそばに」
エルフ娘が静かに言う。
全部、俺に向いている。
視線も、声も、態度も。
俺はベッドへ腰を下ろして、四人を見回した。
こんなこと、本当にあっていいのかと思う。だが、いいに決まっている。だって今の俺は、そういう側なんだから。
「……最高かよ」
誰に聞かせるでもなく呟くと、ミアが部屋の隅でまた小さく拍手した。
「お、おめでとうございます……」
「だからお前、そこはもうちょい気の利いたこと言えないの?」
「す、すみません……」
「また謝った」
「……すみません……」
「お前ほんとそれしか言わないな」
そう言うと、ミアはしゅんと肩を落とした。
でも、そんな反応さえ今は少し面白い。
俺はベッドへ倒れ込んで、天井を見上げた。
王女がいる。
聖女がいる。
魔族の姫がいる。
エルフがいる。
理想の施設がある。
好きなものを好きなだけ並べられる場所がある。
全部ある。
こんなもの、舞い上がらない方がおかしいだろ。
「やっぱ人生、ここからじゃん」




