第2話:全部できる。だから全部やる
次に目を開けたとき、目の前には草原が広がっていた。
青空。
風に揺れる草。
遠くには城壁らしきものと、その向こうに尖塔がいくつも見える。
いかにも異世界です、みたいな景色だった。
「……うわ」
間の抜けた声が出た。
いや、待て。
本当に来たのか。来たんだろうけど、あまりにテンプレすぎて逆に実感が湧かない。
立ち上がる。
足元の感触ははっきりしていた。夢ではない。風も、匂いも、ちゃんとある。
そのときだった。
視界の端に、薄い光が走った。
「……ん?」
何もない空間に、半透明の枠が浮かんでいた。
右上、左下、中央。目を向けると、そこだけ反応する。画面だ。ゲームのメニュー画面みたいなものが、当たり前みたいに視界へ貼りついている。
「え、ちょっと待って。何これ」
意識を向けると、勝手に開いた。
姓名、権限階層、現在座標、世界法則干渉許可、肉体性能補正率。
その下には、ずらずらと数値と項目が並んでいる。
筋力。
耐久。
魔力。
反応速度。
状態異常耐性。
演算補助。
言語理解。
空間転移。
時間停止。
概念操作。
多すぎる。
しかも数値がまともじゃなかった。ほとんどが上限表示。無限大の記号まで混じっている。
「……いや、普通じゃないだろこれ……何これ……」
「補償権限の初期同期が完了したようです」
真横から声がして、びくっと肩が跳ねた。
「うおっ!?」
さっきの神様が、何食わぬ顔で立っていた。
いや、何食わぬ顔ではないな。相変わらずおどおどしている。草原のど真ん中で、ひらひらした薄い着物の裾を押さえながら、こっちをうかがっていた。
「同行すると申し上げましたので……」
そう言えばそうだった。
転送のどさくさで流しかけたが、こいつは付いてくると言っていた。
俺はもう一度、神様を見た。
「そう言えばさぁ、神様。名前は?」
「え」
「いや、ずっと神様呼びも変だろ。名前あるんだよな?」
「は、はい……あります……」
「じゃあ教えて」
「正式には、ミア=ミルフェリーナ=アルトリエル=セレスティア=ルミナ=エル=フィナリエ……」
「待て待て待て待て」
「は、はいっ」
「長い。長すぎる。どこで区切ればいいんだ今の」
「ええと、神名と、管理位階名と、担当位相名が……」
「いい。説明も長そうだからいい」
「す、すみません……」
少し考える。
どうしようか。ミル……ミルフィーユだったっけ?フィナンシェ?
どうせなら、短くて呼びやすい方がいい。
「……最初の、ミアってとこだけでいいか?」
「は、はい……呼びやすいようにしていただければ……」
「じゃあ、ミアで」
「……はい」
あっさり頷いた。
こだわりはないらしい。神様なのにその辺ふわっとしてるな。もっとも、神様って、そういうものなのかもしれないけど。
「よし。じゃあミア」
「はい」
「これ、マジで全部使えるの?」
「理論上は」
「理論上じゃなくて、実際」
「はい。私も全部は使ったことないんですけど、ほぼ全て、できるはずです」
ほぼ全て。
俺はもう一度、視界の画面を見る。
指で触る必要もない。考えただけで項目が開く。スクロールも検索も一瞬だった。
スキル一覧。
開いた瞬間、眩暈がした。
剣術、槍術、体術、全属性魔法、錬金術、召喚、結界、鑑定、隠密、話術、魅了、創造、修復、空間把握、世界言語翻訳、敵意検知、危険予測。まだ続く。どこまで行っても終わらない。スクロールバーがほとんど点だった。
「マジかよ……」
口の端が勝手に上がる。
ゲームでチートコードを打ち込んだ時ですら、ここまで露骨な万能感はなかった。
そのとき、草の向こうでがさりと音がした。
顔を上げる。
三人いた。
革鎧。
汚れたマント。
剣や棍棒を持っている。いかにも盗賊です、みたいな連中が、じりじりとこっちへ寄ってきていた。
「おいおい、運がいいな」
「女連れじゃねえか」
「荷物と女、置いていけ。命までは取らねえからよ」
心臓が一気に冷えた。
身体が強張る。足が止まる。
ああ、これだ。
こういうのだ。
生前、別に盗賊に襲われたことがあるわけじゃない。だけど、強そうな相手に囲まれて、舐めた口を利かれて、こっちの都合も気分も無視して一方的に脅される感じ。ああいうのが、たまらなく嫌だった。
「零さん」
「分かってる」
分かってるっていうか、分かりたくないけど分かった。
視界の端に、小さな補助表示が出ていた。
敵意を検知しました。
推奨対応候補を表示しますか?
表示。
そう思った瞬間、項目が開く。
無力化。
拘束。
記憶改変。
転移。
敵意排除。
「……は?」
敵意排除。
ずいぶん雑な項目があるな。
「おい、聞いてんのか!」
「早く、置いてけっつってんだよ! 殺されてぇのか!?」
その言葉で、何かが切れた。
考えるより先に、俺はその項目を選んでいた。
次の瞬間。
三人が消えた。
弾けたとか、倒れたとかではない。
悲鳴も、血も、音もない。ただ風に溶けるみたいに、すっと輪郭が消えた。
「……」
草原に静寂が落ちる。
「……え?」
何もない。
ついさっきまでいた三人の盗賊が、最初から存在しなかったみたいに消えていた。
俺は自分の手を見る。
次に、ミアを見る。
ミアは小さく会釈した。
「正常に実行されました」
「正常って」
「敵意の排除です」
「いや、そういう意味じゃなくて」
数秒。
沈黙。
それから、腹の底から何かがこみ上げてきた。
「……は」
笑いだった。
「はは……」
止まらない。
「なにそれ」
肩が揺れる。
「マジで……終わり?」
喉の奥から、笑いが噴き出した。
「これだよ、これ!」
怖い相手が出てきても、こっちが怯える側じゃない。
脅されても、我慢しなくていい。
嫌なものを、嫌だと思った瞬間に終わらせられる。
何だそれ。
最高じゃねえか。
「……街へ、行こう」
「はい」
「行き方とかある?」
「転移可能です」
「じゃあそれで」
遠くの城壁を見ながら答える。
歩いて旅情を味わう気分じゃない。今は一秒でも早く、この力がどこまで通るのか確かめたかった。
視界の地図を開く。
城壁都市。王都。
候補地点の一覧が並ぶ。
その中の一つを選んだ瞬間、景色が切り替わった。
石畳。
露店。
人のざわめき。
広い通りを行き交う馬車と、人、人、人。
「うわっ」
今度のうわ、は間が抜けたものじゃなく、感動のうわ、だった。
王都だ。
テンプレ中世ファンタジーの王都そのものだ。
白い石造りの建物、色とりどりの旗、鎧姿の兵士、露店のパンの匂い。情報量が多すぎる。
そこへ、周囲のざわめきが変わった。
「王女殿下だ」
「道を開けろ!」
人が割れる。
護衛の一団に囲まれた馬車の中に、若い女がいた。
金髪。
青い瞳。
いかにも高貴です、みたいな顔立ち。年は俺とそう変わらないか、少し下か。
その馬車が、ぴたりと俺の前で止まった。窓が下げられ、王女が顔を出した。
「見ない顔立ちね。どこの国から来た?」
終わった、と思った。
こういうの、本来いちばん苦手だ。ただでさえ、知らない人間と会話するのが苦手な俺にとって、身分が高そうな相手に真正面から話しかけられるとか、イベント難度が高すぎる。
だが視界の端に、また補助表示が浮かんだ。
対人補助機能を推奨しますか?
その下に、項目。
印象補正。
好感度補正。
威圧軽減。
対話最適化。
「……こんなん、あるんだ」
小さく呟いて、印象補正をほんの少しだけ動かした。
王女の表情が変わる。
さっきまでの、いかにも身分の卑しい相手を見る目が、すっと和らいだ。
刺さるような視線が、妙にやわらかくなる。
「……失礼しました」
声の調子まで違う。
「あなたには、なぜか初めて会った気がしませんわ」
「え」
「お名前を伺っても?」
心臓が跳ねた。
世界の側が変わった。
俺が、ちょっと触っただけで。
「さ、佐藤……零」
「零様」
その一言が、頭の奥に深く刺さった。
様。
生きてる間、俺がそんなふうに呼ばれることなんて、たぶんなかった。
いや、絶対なかった。ファミレス以外で。
「ようこそ、王都へ。零様」
俺は一瞬、返事を忘れた。
笑いそうになる。
叫びそうになる。
でも今ここで変な顔をしたくなくて、必死でこらえた。
夜。
宿の部屋で、俺はベッドに座り込み、ずっと視界の画面を開いていた。
ミアは少し離れた椅子にちょこんと座っている。
「全部できるなら……全部やるだろ、普通」
口に出すと、ますます笑いがこみ上げた。
紙を一枚出す。
いや、紙も別に権限で出せたんだが、そこは何となく手で書きたかった。
やりたいこと。
欲しいもの。
今まで絶対に手に入らなかったもの。
王女。
聖女。
魔族。
エルフ。
メイド喫茶。
美女の集まる温泉街。
アニメ。
同人誌。
理想のゲーム。
「やりたいこと、死ぬほどあるじゃん」
書いていて、自分で笑った。
死ぬほど。
もう一回死んでるのに。
でも、そんなことはどうでもよかった。
今はただ、世界の方がこっちへ向いている。
それがたまらなく気持ちよかった。




