第12話:シエル
翌朝、目が覚めても、気分は別に良くなっていなかった。
魔王城の客室は静かだった。静かすぎるくらい静かだ。寝台は広いし、天井は高いし、窓の外には黒い石の中庭まで見える。客として扱う気はあるらしい。そこはもう十分分かった。
でも、だから何だという話でもある。
机の上には、昨夜の続きみたいに光る画面が何枚も浮いていた。因果再接続。存在維持監査。補正再計算。朝一番に見る内容ではない。
「……つまらん」
声に出してみたが、特にすっきりはしなかった。
その時、部屋の隅に立っていたミアが、小さくこちらを見た。
「つまらない、ですか。昨日の続きですが……」
「まだ一つだけ残ってる、だっけ」
「はい」
「で、それは何なんだよ」
ミアは答えず、両手を胸の前で組んだ。
白い線だけが、客室の中央へ規則正しく集まっていく。輪のようなものが開き、そこから小さな影がひとつ落ちるように現れた。
思わず、眉をひそめる。
「……誰、これ?」
小さい。
第一印象はそれだった。
どう見ても、十歳前後の少女にしか見えない。白に近い銀髪。青みの強い灰色の目。黒い外套みたいなものを羽織っているが、全体としては、妙に感情の薄い子供にしか見えなかった。 その少女は部屋へ出た瞬間、まずミアを見た。次に俺を見る。
「……シエルです」
声も小さい。
そこで、ミアが補足した。
「前回の担当死神です。零さんを直接回収した個体です」
数秒、意味が遅れて届いた。
「……は?」
次の瞬間には立ち上がっていた。
「お前がミスったのか」
シエルは少しも慌てず、俺を見る。
「はい」
「はいじゃねえだろ!」
「前回の回収担当です」
「担当とかじゃなくて! 俺を隣の五十二歳と間違えて持っていったやつだよな!?」
「はい」
「はいじゃねえだろ!」
「申し訳ありません」
「謝り方が軽い!」
「反省文は三枚提出しました」
「知らねえよ!」
思った以上に、腹が立った。
可愛いとか小さいとか、そういうのはどうでもよかった。むしろ、その見た目で事務処理みたいに淡々としていること自体が、少し腹立たしい。
シエルは俺の怒鳴り声にもあまり反応せず、静かに続けた。
「対象誤認です」
「それは聞いてる」
「本来の回収対象は、隣室の五十二歳男性でした」
「それも聞いてる」
「ですが、居住位置が近く」
「雑すぎるだろ」
「加えて」
シエルは少しだけ首を傾げた。
「あなたの方が、生気が薄かったので」
そこで、俺は完全に固まった。
やっぱりそこも言うのかよ。
「……お前」
「はい」
「それ、人に言っていいと思ってる?」
「判断根拠として必要です」
「必要でも嫌なんだよ!」
「そうですか」
「そうですか、じゃねえ!」
シエルは少しだけ考えるような顔になった。
「では、言い換えます」
「言い換えなくていい」
「回収優先度の判定で、零さんの方が終端に近く見えました」
「言い換えて余計にひどくなってんだよ!」
横で、ミアが小さく言った。
「少し、元気になりましたね」
「うるさい」
思わず即答していた。
でも、その即答のあとで、自分でも少し気づいた。
腹が立っている。
かなり腹が立っている。
なのに、昨夜までの“つまらない”とは違った。重いとか熱いとか、そういう格好いいものではない。ただ単純に、うざい。腹立つ。ちゃんと嫌だ。
でも、だからこそ、意識がはっきりしていた。
シエルはそんなこと知ったことではない顔で、俺を見ている。
「悪いとは思っています」
「……なら何でそんな顔なんだよ」
「どういう顔ですか」
「事務処理を終わらせに来たような顔」
「その通りです」
「認めるな!」
「回収事故は、私の担当範囲で発生しました」
シエルは淡々と言う。
「なので謝罪と報告は私が行います。ただ、補償措置やその後の運用はミアの管轄です」
言いたいことは分かるが、分かることと腹が立たないこととは別だ。
「じゃあお前、俺を死なせたところまでが担当で、その後は知ったことじゃないのか」
「そういう訳ではありません」
「でも、役所の窓口みたいな言い方だな」
「管轄の問題ですから」
「だからそういうのが腹立つんだよ!」
「そうですか」
「“そうですか”じゃねぇ!」
シエルは少しだけ黙った。
それから、慰める気も誤魔化す気もない声で言った。
「でも、生前よりは、かなり楽しかったのでは」
そこで、空気が止まった。
「……は?」
「補償措置で、かなり幅広く満喫していたように見えました」
「何を根拠に」
「王女、聖女、魔族、エルフ、街区生成、創作支援、魔王接触」
事務報告みたいに並べる。
「補償としては、かなり十分だったと思います」
「どこ見て言ってんだよ」
声が、思ったより低く出た。
「いや、楽しかった時期はあったよ? あったけど、そこじゃねえだろ」
「補償として機能した、という意味です」
「だから、そういうまとめ方が腹立つんだよ!」
思わず怒鳴る。
怒鳴った瞬間、少しだけ胸の奥が軽くなった。
最悪だなと思う。人を間違えて殺した死神に、本気で腹を立てることが、今の俺には少しだけ救いになっている。
「……で」
俺はため息をついて、ミアを見た。
「なんでこいつを呼んだ?」
ミアは一拍だけ置いた。
「そんなにつまらないのであれば、もう一度、魂を回収してもらうという方法があります」
今度は、意味が一発で分かった。
「……は?」
「今の環境が零さんにとって有効ではないなら、終了させる方が合理的かと」
「お前さ」
思わず笑いそうになった。笑えないのに、あまりにひどくて笑いそうになった。
「それ、解決策って言うのか?」
「言います」
「人の人生、アプリの再インストールみたいに言うなよ」
「不要な環境を維持する方が非効率です」
「怖っ」
ぞっとした。
シエルより、今の一言の方がよほどぞっとした。
死神の方はまだ、“元凶”として腹が立つ。だがミアは違う。今の俺の虚無に対して、本気で「では回収しましょう」と言っている。そこに悪意はない。ただ、打算も情もなく、処理として最短を言っている。
それがいちばん怖かった。
「零さん」
ミアが続ける。
「もちろん、零さんが望むならです」
「望むわけあるか」
「効率的だと思いますけど」
「効率化で殺されて、たまるか!」
「では、別案として」
「まだあるのかよ」
「権限の剥奪があります」
そこで、俺は黙った。
別案。
つまり、死ぬか、力を閉じるか、という話らしい。
極端すぎるだろ。
でも、聞いた瞬間、自分の中で何かが繋がった。
何でもできるせいで、薄くなる。
思い通りになりすぎて、軽くなる。
その結果、残るのは空っぽな達成感だけだ。
なのに、目の前に一人、思い通りにならない奴がいるだけでこうなる。
腹が立つ。
だるい。
でも、そのだるさの方が、昨日までの虚無よりよほどましだった。
「……もういい」
俺は言った。
ミアが少しだけ身を固くする。シエルは無表情のままだ。
「力、封じるわ」
客室が、しんとした。
「本当に?」
ミアが聞く。
「本当に」
「後戻り出来ませんよ」
「それでもいい」
そう答えると、ミアは少しだけ黙った。
止めるでもなく、慌てるでもなく、ただ計算し直しているみたいな沈黙だった。
「……了解しました」
やがて、いつもの業務的な声でそう言う。
俺は机の上へ手を伸ばした。管理画面が開く。権限階層、演算補助、概念操作、補正系、生成系、時間停止。見慣れた項目の群れだ。
最初にこれを見た時は、笑いが止まらなかった。
全部できるなら、全部やるだろ、普通。
本気でそう思っていた。
でも、やってみた結果がこれだ。
なら、もういい。
「封印」
口に出すと、画面が反応した。
実行しますか?
「する」
権限一覧が一気に灰色へ変わっていく。時間停止、概念操作、補正、生成、干渉。便利すぎたものから順に閉じていく。
少しだけ怖かった。
でも、不思議と惜しくはなかった。
世界を好き放題いじる力は、消えた。
画面が静かに閉じた。
客室の空気が少しだけ軽くなった気がした。
ミアはしばらく何も言わなかった。
やがて、小さく言う。
「……完了しました」
業務的な声だった。
そこだけはぶれない。
シエルも、静かにこちらを見ている。
「後悔しませんか」
「たぶん少しはする」
「では、なぜ」
「何でもできると、何も面白くねえ」
自分で言って、かなりしっくりきた。
「でも、思い通りにならない奴が一人いるだけで、こんなにだるい」
「恐縮です」
「だから褒めてねえよ」
シエルはそこで初めて、ほんの少しだけ首を傾げた。
俺は椅子へ深く座り直した。
さっきまで視界の端に当たり前みたいに浮いていた項目が、もうほとんど出てこない。出そうとすれば出るのかもしれない。だが、前みたいな万能感はない。
少しだけ怖かった。
でも、不思議と惜しくはなかった。
「……軽」
思わず呟く。
「何ですか」
「頭ん中」
前まで、何を見ても「どういじるか」が先に出ていた。触れば変わる。思えば思うほど、選択肢が増えた。
でも今は違う。
変えられないものが残っている。
腹立つものが、そのまま腹立つ。
それだけで、妙に息がしやすい感じがした。
「零さん」
ミアが慎重に言う。
「気分は、どうですか」
「最悪」
即答だった。
「でも、昨日までよりはまし」
ミアは一瞬だけ黙る。
「そうですか」
「お前までその返しするのやめろ」
「すみません……」
そこは謝るのかよ、と思ったが、もうそのやり取りすら少しだけましだった。
思わず、少しだけ笑いそうになった。
腹は立つ。
うざい。
でも、薄くない。
その時、扉が軽く叩かれた。
返事をする前に、開く。
「……何かうるさいと思ったら」
リリスだった。
部屋へ入ってきた瞬間、こっちを見る。次にシエルを見る。最後に、机の上から消えた画面の名残に目をやる。
「何してたのよ」
「いろいろ」
「雑」
「お前に言われたくない」
リリスはシエルを見て、眉をひそめた。
「誰よ、この子」
「死神」
「は?」
「……ちょっと因縁がある」
リリスは一拍止まった。
「何それ」
「今は細かく説明しにくい」
そう言うと、リリスは少しだけ怪訝そうな顔をした。
でも、それ以上は突っ込まない。
「……ふうん」
短く、それだけ言う。
シエルは小さく頭を下げた。
「シエルです」
「そう」
リリスの返事は薄かった。
興味がないわけではない。ただ、今この場でその死神と丁寧に話す気もないのだろう。そこがこいつらしかった。
「で」
今度は俺を見る。
「何かあったの?」
「まあな」
「その顔、さっきまでと違う」
そこで少しだけ、言葉に詰まった。
違うのは事実だ。
でも、何がどう違うのかを、こいつに説明する気にはなれなかった。
「少し、整理した」
「整理?」
「いろいろ」
雑な返事だと自分でも思う。
だが、今はそれ以上言いたくなかった。
リリスは少しだけ眉を寄せたが、追及はしてこなかった。
「……ふうん」
分かった顔ではない。
けれど、問い詰める顔でもなかった。
リリスは部屋の中を見回したあと、空いていた椅子へ勝手に座った。
「……お前さ」
「何よ」
「普通に居るな」
「何、それ」
「いや」
少しだけ迷って、それでも言った。
「お前はそのままだなと思って」
リリスは怪訝そうな顔をした。
「そのままって、何が?」
「いろいろだよ」
「さっきから、そればっかりね」
「悪いか」
「悪くはないけど、感じ悪い」
リリスは露骨に不満そうな顔をした。
でも、帰らない。
そのまま椅子に座っている。
その感じが、今は妙にしっくりきた。
「……何よ、さっきから」
リリスが怪訝そうに言う。
「いや」
「その“いや”何?」
「別に」
「絶対別にじゃないでしょ」
「そうかも」
「腹立つ」
「知ってる」
その返しに、リリスは口を尖らせた。
「変な人間」
「お互い様だろ」
「私は普通よ」
「魔王の娘が?」
「何か文句ある?」
「ない」
そこまで言ってから、少しだけ間を置いた。
「……今は、ない」
リリスは一瞬だけ黙った。
それから、そっぽを向いたまま言う。
「なら、別にいいけど」
客室はまた静かになった。
でも、昨日までの静かさとは少し違った。
無風じゃない。
面倒も、棘も、腹立たしさも、そのまま残っている。
俺は目を閉じた。
全部が薄いままではなくなった。
それだけで、今は十分だった。




