第13話:神様、やっぱ反省してねぇ
目が覚めた時、最初に見えたのは魔王城の天井だった。
黒い梁。高すぎる天井。分厚いカーテン。昨日と同じ客室だ。
横を見ると、リリスがいた。
同じ寝台の中で、まだ眠っている。
口を開けばすぐ刺してくるくせに、黙っていると妙に整って見える。
そのまま少しぼんやりしていると、部屋の隅が目に入った。
ミアがいる。
その横に、シエルもいる。
二人とも、当然みたいに立っていた。
「……お前ら」
声を落として言う。
「ふたりとも、ずっと見てたのかよ」
「はい……」
ミアが小さく答えた。
「同行すると申し上げましたので……」
そうだった。
最初から、こいつはそういう話だった。
シエルは何も言わない。無表情で、ただそこにいる。
「お前は?」
シエルは少しだけ首を傾げた。
「何がですか」
「何でまだいるんだよ」
「戻れと言われていません」
「誰に」
「ミアに」
俺はミアを見る。
ミアは、困ったように視線を落とした。
「……まだ、戻していなかったので」
「死神の扱い、雑すぎない?」
「すみません……」
「謝るのそこかよ」
シエルは何も言わない。
呼ばれたから来て、戻れと言われていないからいる。
それだけらしい。でも、もういい。
「いや、もう慣れた」
自分で言って、少し嫌になった。
リリスが隣で目を開けた。
「……朝からうるさい」
「悪い」
「何してるの」
「神と死神に見張られてる」
「最悪ね」
「だろ」
リリスは起き上がり、髪を軽く払った。
俺の顔を見て、少しだけ目を細める。
「昨日よりは、ましな顔してる」
「そうか?」
「してる。変なこと言ってた時よりは」
「変なことしか言ってない気もする」
「自覚あるならいいわ」
そこから先は聞いてこなかった。
何かが変わったことには気づいている。
でも、中身までは知らない。
それでよかった。
俺は寝台の上で、瞼を閉じた。
昨日、俺は力を閉じた。
時間停止も、補正も、生成も、概念操作も、世界への干渉も。調子に乗って使い続けていたものを、全部まとめて閉じた。
あの瞬間は、それでいいと思った。
今も、たぶん間違ってはいない。
ただ、一つだけ忘れていた。
魔王との話、まだ終わっていない。
昨日までは、何とでもなると思っていた。魔王が出てきても、こっちには権限があった。時間を止めるなり、転移するなり、最悪の場合は敵意排除だってあった。
今は違う。
魔王城へ乗り込む前に揃えた装備は残っている。かなり馬鹿みたいな性能で固めた。武器も、防具も、補助道具も、一応ある。
だから、まったく勝ち目がないとは思わない。
思いたい。
だが、相手は魔王だ。
権限なしで正面からやれと言われたら、普通に危ない。昨日の勢いで全部閉じたのは、今になって考えるとだいぶ危なかった。
忘れていた。
完全に忘れていた。
「……あぶねえ」
小さく漏らすと、リリスがこちらを見た。
「何が」
「何でもない」
「何でもない顔じゃないけど」
「そういう日もある」
「変なの」
それ以上は聞かない。
そのくらいが、今は助かった。
少しして、扉が叩かれた。
入ってきたのは、昨日も見た老執事だった。背筋はまっすぐで、顔には余計な表情がない。
「陛下がお呼びです」
「朝から?」
「はい」
胃が少し重くなった。
昨日の俺なら、魔王でも何でも来いよ、くらいの気分だったかもしれない。今の俺は違う。
普通に怖い。
でも、怖いものを怖いと思う方が、たぶんまともだ。
リリスが先に立ち上がった。
「行くわよ」
「お前、妙に落ち着いてるな」
「昨日、父上と話したから」
「何を」
「色々」
「雑だな」
「あんたに言われたくない」
リリスは少しだけ視線を逸らした。
「父上は、まだあんたを認めていないわ」
「知ってる」
「でも、すぐ殺すつもりでもない」
「ありがたいな」
「私が言ったのよ。あんたは王に勇者として送り出されている。魔王城へ来るために、とんでもない装備も揃えている。神まで連れている。軽く扱えば、面倒なことになるって」
なるほど。
リリスは、俺が権限を閉じたことを知らない。
だから、昨日までの俺を前提に魔王を説得したわけだ。
王に勇者として送り出された人間。
馬鹿みたいな装備をまとった人間。
神を連れた人間。
そして、魔族の姫が「夫にする」と言った相手。
魔王から見れば、雑に斬って終わりとはいかない。
今の俺が、その条件をだいぶ失っていることは黙っておくしかない。
「で、父上は、老執事に意見を聞いたの」
「老執事に?」
「昔から父上のそばにいる人よ。礼儀とか儀礼とか、そういうことにうるさいの」
リリスは少しだけ嫌そうに言った。
「それで?」
「“まずは婿に相応しい教養と礼儀を身につけていただいては”って」
「……ああ」
俺は妙に納得した。
たしかに、俺は魔王に対してかなり無礼だった。
娘に手を出した挙げ句、魔王の前でろくな礼も取っていない。ご馳走様でしたとか口を滑らせた。
今思い返すと、よくその場で消されなかったな。
「魔族に礼儀作法を説かれるの、変じゃないか」
「父上も似たような話をしていたわ」
「だろうな」
「でも、それで道筋はできた」
「道筋?」
「今のまま夫として認めることはできない。だが、いきなり殺すにも面倒が多い。だから、一度出直させる」
リリスは俺を見る。
「人としての礼儀作法を身につけてから、もう一度来い。そういう結論になるはずよ」
「俺、魔王にマナー教室へ送られるの?」
「かなり近いわね」
「絵面がひどいな」
「自業自得でしょ」
その通りだった。
だが、これなら筋が通る。
ここに居座るより、一度城を出る方がいい。今の俺はもう万能ではない。魔王と正面から決着をつけるより、礼儀作法を理由に時間を稼いで、出直す方がずっとましだ。
謁見室へ案内された。
玉座の間ではない。昨日より少し小さい部屋だった。それでも、魔王が座っているだけで空気が重い。
俺の隣にはリリス。少し後ろにミア。さらにその横にシエル。
魔王は、俺を見るなり低く言った。
「娘から聞いた」
「はい」
「貴様は、王に勇者として送り出され、我が城へ来たそうだな」
「……はい」
「装備も、相応に揃えていると」
「一応は」
「神まで連れている」
魔王の視線がミアへ移る。
ミアは小さく身を縮めた。
「……そのようです」
「にもかかわらず」
魔王の目が細くなる。
「礼儀がなっていない」
「……はい」
そこは否定できなかった。
「我が娘を夫にするなどと言いながら、父たる我に対して、礼も筋も通しておらぬ」
「おっしゃる通りです」
自分で言っていて、少し変な気分だった。
俺が魔王に頭を下げている。
昨日までなら絶対にしなかったかもしれない。だが、今はした方がいい。というか、しないと死ぬ可能性がある。
それはかなり大きい。
魔王はしばらく俺を見ていた。
「グリンバルト」
「はい」
横に控えていた老執事が、一歩前に出る。
「申せ」
「はい。零様は、力と胆力においては、陛下に直接お目通りするだけのものをお持ちかと存じます」
力と胆力。
今の俺にその力がどれだけ残っているかは、ちょっと怪しい。怪しいというか、ほぼ皆無だろう。
だが、老執事は続けた。
「一方で、リリス様の伴侶として魔王家に連なるには、礼法、言葉遣い、場の読み方において、相応の修養が必要かと」
言い方が丁寧すぎて刺さる。
要するに、無礼で、ガサツで、場を読めていないと言っている。
魔王は小さく頷いた。
「魔族として人間に礼儀作法を説くのは、いささか奇妙だが」
低い声だった。
「貴様はまず、人としての礼儀を身につけてから出直せ」
その結論に、少しだけ肩の力が抜けた。
殺されなかった。
試されなかった。
少なくとも今は、決闘にもならなかった。
「分かりました」
俺は頭を下げた。
「出直します」
「勘違いするな。認めたわけではない」
「分かっています」
「リリスを泣かせたら殺す」
「それも分かっています」
「何度でも言う」
言うんだ。
魔王はリリスを見た。
「リリス」
「はい、父上」
「行くのか」
「行きます」
「止めてもか」
「行きます」
魔王はしばらく娘を見ていた。
それから、わずかに目を伏せる。
「勝手にしろ」
リリスの表情が、ほんの少しだけ緩んだ。
それを見て、こいつ、本当に説得したんだなと思った。
本人は言わないだろう。
でも、そうだったのだと思う。
魔王は最後に俺を見た。
「次に来る時までに、せめて娘の隣に立つ顔を作ってこい」
「顔、ですか」
「覚悟の顔だ」
「……何とかします」
「言葉が軽い」
「すみません」
魔王は嘆息した。
「行け」
それで、話は終わった。
謁見室を出た瞬間、膝から力が抜けそうになった。
「……あっぶねえ」
思わず呟く。
リリスが横で小さく笑った。
「顔、死んでたわよ」
「そりゃ死ぬだろ」
「あんだけ散々、無礼を働いていたくせに」
「それ言う?」
「言うわよ」
いつもの調子だ。
でも、少しだけ声が柔らかかった。
魔王城の門へ向かう。
行きと違って、足取りは軽くない。正直、まだ背中が冷えている。
ただ、悪くはなかった。
怖いものを怖いと思う。
失礼を失礼だったと認める。
相手の父親に頭を下げる。
どれも、昨日までの俺なら面倒くさがって飛ばしたことだ。
飛ばせなくなった。
それが、今は少しだけましに思えた。
城門の手前で、ミアが薄い画面を開いた。
「零さん」
「何」
「封印状態は安定しています」
「そうか」
「高位権限の再展開は、現時点ではできません」
「する気ない」
そう答えると、ミアは少しだけ視線を落とした。
その横で、シエルがぽつりと言った。
「上手くいかなくて残念でしたね」
ミアの手が止まった。
「……シエル」
「はい」
「それは、今言う必要のない情報です」
「そうですか」
俺は二人を見比べた。
「何のこと?」
ミアは黙った。
シエルは、いつもの無表情のまま答えた。
「零さんが高位権限を保持したまま安定すれば、いずれ日本担当神の実務を大部分移せる見込みだった件です」
風が止まった気がした。
「……は?」
自分の声が、思ったより低かった。
「日本担当神の実務?」
「はい」
「誰に?」
「零さんに」
シエルは当然のように言う。
「元日本在住で、補償権限への適応も早く、処理耐性もありました。条件としては悪くありません」
「待て」
俺はミアを見た。
「お前、俺に何をやらせるつもりだった?」
ミアは視線を少しだけ落とした。
「日本列島生命運行担当補佐神の業務です」
「長い」
「省略すると、日本担当神の実務です」
「そこじゃねえよ!」
リリスが、話についていけない顔で俺を見る。
「何? 日本って何?」
「俺がいたところ」
「いた?」
「今はそこはいい」
「よくない気がするんだけど」
「今はもっと悪い話してる」
ミアは、困ったような顔をしながらも、隠す気はなさそうだった。
「零さんに補償として高位権限を付与したのは事実です」
「だろうな」
「ただ、権限への適応が想定以上に早かったので、将来的には私の担当業務の大部分をお任せできる可能性がありました」
「可能性じゃねえ。狙ってたんだろ」
「効率は良いと思いました」
「言い直せよ!」
「負荷分散として有効だと思いました」
「同じだよ!」
シエルが小さく補足する。
「ミアの担当区は、事故処理と生命運行の確認が多く、負荷が高いそうです」
「お前は黙ってろ!」
「はい」
リリスがミアを見て、少し引いた顔をした。
「神って、そういうことするの?」
「人によると思いたい」
「こいつはするのね」
「見れば分かるだろ」
「分かったわ」
ミアは小さく首を傾げた。
「ですが、零さんには適性がありました」
「そもそも人に神の仕事を押しつけるな」
「押しつけるという表現は正確ではありません」
「じゃあ何だよ」
「お願いする予定でした」
「同じことだろ!」
思わず叫ぶ。
胸の奥がざわついていた。
腹が立つ。
だが、それだけではない。
何かが引っかかる。
最初から、引っかかっていたものが、今になって形を持ち始めていた。
日本担当神。
補償権限。
適応が早い。
将来的には業務を移す。
その言葉が、頭の中で変なふうにつながっていく。
俺は、ゆっくりミアを見た。
「なあ、ミア」
自分でも分かるくらい、声が低くなった。
「俺、そもそも何で死んだんだっけ」
ミアの動きが止まった。
シエルも、何も言わなかった。
「隣の五十二歳と間違えた。俺の方が生気が薄かった。そう言ってたよな」
「……はい」
「でもそのあと、補償で俺に高位権限を渡した」
「はい……」
「うまくいけば、日本担当神の仕事を俺に押しつけられた」
ミアは答えなかった。
俺は、そこでミアを見た。
「それ、本当に偶然か?」
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最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
本作は、かなり軽いノリで「何でもできるチート」を最後まで転がしてみた短編です。
一方で、もっと正統派寄りの異世界ファンタジーとして、
『フェンデリアの空の下で』
https://ncode.syosetu.com/n4575kq/
も公開しています。
こちらはシリアスなハイファンタジーで、旅、王国、魔法、剣、そして人物同士の関係をじっくり描いています。
本作のようなギャグ寄りではありませんが、世界観重視のファンタジーがお好きな方には、ぜひ読んでいただきたい作品です。




